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温故知新(24)おのころ島 チャタル・ヒュユク ギョベクリ・テペ オリンポス山 諏訪大社 三峯神社 生島足島神社 幣立神宮 

 紀元前1550年から紀元前1200年頃まで、ギリシャ本土やクレタ島で使われていたエーゲ文明線文字Bは、構造が日本語のカナ文字に類似していることが知られ1)、音節文字と表意文字を含むことは、カナ文字と漢字を組み合わせて用いる現代の日本語に比較的類似しています。

 線文字Bにみられる「丸に十字」は、日本の古代文字(神代文字)とされる「伊予文字」や「ヲシテ(秀真)」にもあり、線文字Bでは「カ」と発音しますが、「伊予文字」や「ヲシテ」では「ナ」と発音します。カラ語では「カ(カウンデ)」は、中・真ん中という意味があり、河内(かうちーカウリ)は「中つ国」を指すようです2)。「ナ」は、カナ文字の中央に置かれ、特別な意味があったと思われます。「カナ」の由来は「仮名」とされていますが、「丸に十字」の線文字Bと伊予文字の読み方を合わせると「カナ」になり、逆にすると「ナカ(中)」になります。

 国生み神話で知られるおのころ島おのころ島神社)は、中央構造線を直線とした場合のほぼ中央にあり(図1)、邪馬台国エジプト説で知られる木村鷹太郎氏によると、「オノコロ」はギリシャ語の「オムファロス」に由来し「へそ」を意味するそうです3)。「オノコロ」がエーゲ文明と関係があるとすると、逆に「オノコロ」が、ギリシャ語の「オムファロス」に転訛したのではないかと思われます。

図1 中央構造線を直線としたラインとおのころ島神社

おのころ島の「おのころ」について
おのころ=オムファロス(転訛→オンハロ→オノコロ)
(へそ、臍の意で、ギリシャ神話では、おのころ島はアポローンの生まれたデーロス島と合致する)。

出典:http://majinnnn.jugem.jp/?cid=26

 線文字Bに含まれる「丸に十字」に類似したものには、島津家の紋である「丸に十字紋」がありますが、島津公が関東管領の時、守矢の先代に功績があり、守矢家の家紋を貰ったという話があります。国譲り神話では、オオクニヌシの子のタケミナカタは、信濃の諏訪に逃れとされ、長野県諏訪市には、神名帳に南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)と記されている信濃國一之宮の諏訪大社があります。また、守矢氏は、6世紀後半の大連で蘇我氏と対立した豪族として知られる物部守屋の後裔ともされています。日本語で「体の真ん中」に当たる「へそ」のある腹部を「おなか」といい、諏訪は、本州のほぼ中央にあるので、「丸に十字」は「へそ」を表しているのかもしれません。

 霧島神宮(鹿児島県霧島市)の近くには、約10,600年前(縄文時代早期前葉)の大集落で、約7,300年前の鬼界カルデラの噴火で滅亡したといわれる上野原遺跡があります。上野原遺跡とアイヌの聖地だった札幌市郊外にある藻岩山を結ぶラインは、三峯神社 奧宮とチャタル・ヒュユクを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2、3)。チャタル・ヒュユクは、9500年前の新石器時代から金石併用時代の世界最古の都市遺跡とされます。三峯神社 奧宮とチャタル・ヒュユクを結ぶラインの近くには、延喜式内名神大社 生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)(長野県上田市)や神津島とレイラインでつながっている権現岩(トトロ岩)(石川県輪島市)があります(図3)。生島足島神社の社伝によると、建御名方富命が諏訪へ向かっていた時、この地に留まり、生島・足島両神に米粥を煮て献じたとされます。生島足島神社の境内には日本中央と書かれた石碑が立っていて、御朱印には大八洲真中と書かれています。三峯神社 奧宮と上野原遺跡を結ぶラインの近くには高野山 奥之院(和歌山県伊都郡高野町)があり、上野原遺跡と藻岩山を結ぶラインの近くには大山祇神社(愛媛県今治市)があり、藻岩山と三峯神社 奧宮を結ぶラインの近くには、鳥海山や御神楽岳があります(図3)。

図2 三峯神社 奧宮と上野原遺跡を結ぶラインと高野山 奥の院、上野原遺と藻岩山を結ぶライン、藻岩山と三峯神社 奧宮を結ぶラインと鳥海山、御神楽岳、三峯神社 奧宮とチャタル・ヒュユクを結ぶラインと権現岩(トトロ岩)
図3 図2のラインと大山祇神社、生島足島神社

 チャタル・ヒュユクの近くにある紀元前9600年のギョベクリ・テペ(Göbekli Tepe)という遺跡は、トルコ語で「へその丘(太鼓腹の丘)」を意味するようですが4)、ギョベクリ・テペは、アナトリア地方(現在のトルコの大部分を占める)の南東部にあり、アフリカ大陸とユーラシア大陸を合わせたほぼ中央にあります(図4)。

図4 トルコ(アナトリア地方を含む)(赤色)とギョベクリ・テペ(∇)  出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Turkey_on_the_globe_(Turkey_centered).svg 

 「世界最古の神殿」とも言われるトルコ・アナトリア地方の「ギョベクリ・テペ」の構造物は非常に古く、紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられ、遺丘の隣に位置し発掘調査が待たれている構造物は1万4000年から1万5000年前のものであることがわかっています。T字型の石柱が配置された円形の構造物は、約13000年前の彗星が衝突した大災害の記念碑ではないかともいわれています。石柱や壁には、ライオン、ウシ、キツネ、カバ、ヘビ、クモといった、様々な種類の動物のレリーフが彫られていますが、イギリス・エディンバラ大学の研究によると、彫られた動物の位置が、約1万3千年前の星座の配置と一致することが明らかとなっています。

 トルコのギョベクリ・テペおのころ島神社を結ぶラインを引くと、ノアの方舟で知られるトルコ共和国の東端にあるアララト山を通り、出雲大社の近くを通ります(図5、6)。ギョベクリ・テペの近くに、タカマガハラ(高天原)の名前の由来ともいわれる古代都市ハッラーン(ハラン)があり、メソポタミア神話の月の神シンの祭儀の中心の街だったようです。トルコの国旗にみられる三日月と星はイスラム教の象徴であると同時に、アジアではイスラム教普及以前から使用され、日本国旗の太陽とトルコ国旗の三日月と星は、国旗のシンボルと国の地理的関係が一致しているといわれています。

図5 ギョベクリ・テペとおのころ島神社を結ぶラインとアララト山、ハッラーン
図6 ギョベクリ・テペとおのころ島神社を結ぶラインと出雲大社

 ギリシア神話ではオリンポス山は、オリンポス十二神の居所とされています。世界大百科事典「ギリシア神話」によると、オリンポス十二神のうちで現在確実にインド・ヨーロッパ語として解釈できるのはゼウスだけとされています。オリンポス山の南約180kmに位置するデルポイ(図7)にはアポロン神殿があり、臍石(オンファロス)がありますが、世界の中心(へそ)と信じられていたようです。デルポイは、メルカトル図法で描かれた世界地図(図8)で見ると、南北アメリカ大陸も合わせたほぼ中央に位置しています。

図7 オリンポス山とデルポイの位置関係
図8 デルポイ(青印) 出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/Delphi

 メルカトルという名前で知られている16世紀のオランダの地図製作者ジェラルド・クレーマーは、1563年にエジプトの大ピラミッドを訪問していますが、根気よく古代の文献を探したことで知られています5)。紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の時代から伝わる資料も参考にして1513年に描かれた「ピーリー・レイースの地図」には、南北アメリカ大陸の海岸線が描かれ、さらに、19世紀に発見された南極大陸の北岸とも思われる海岸線も描かれています。地図は古代エジプトのアレキサンドリアを通る東経30度線と北回帰線の交わりを基点とし、その手法は現在の航空地図を作る際に使われる「球面三角法」が用いられています6)。

 天文学者のピアッツィ・スミスは大ピラミッドを建てた古代エジプト人は世界が球体であることを知っていて、その南北の直径の5億分の1がピラミッド・インチで大ピラミッドは地球の縮図であると主張しました。また、大ピラミッドの元の高さと土台の周辺の長さは、地球の半径と周辺の長さの比率(2π)と一致しています5)。また、大ピラミッドは、側面が面の中央に向かってわずかに窪んだ八面体であることが知られています。ちなみに「八咫鏡」の半径をrとすると、2πr=8咫(周尺)になります。ギョべクリ・テペやアポロン神殿を造った古代文明では、すでに地球が球形であることや、大陸の正確な形も把握していたと考えられます。

 「丸に十字」は、ケルト人が好んで使った、聖所やパワーを表す記号ともいわれます。起源がキリスト教以前にまでさかのぼるケルト十字は、ラテン十字と十字の交差部分を囲む環からなるシンボルで、フランスのパリ東部にあるペール・ラシェーズ墓地のケルト十字には、縄文土器の連続渦巻文に似た唐草文様が見られます。シュメールの海洋民族には、インドネシアを拠点とした「丸に十字」を神紋とする部族がいたようです7)。シュメールの都市国家の一つであるウルクからは、「古拙文字」が発見されていますが、「丸に十字」は「羊」の意味で、前2400年頃の「楔形文字」では「羊」は「田」の字に変わっています8)。シュメール語は日本語と同じく膠着(こうちゃく)語で、助詞を付けて名詞の働きを変え、また、シュメール語は、漢字と仮名交じりのような構造をしています。

 青銅器時代後期(紀元前15世紀頃~)のレバント(東部地中海沿岸)の文書にみられる原カナン文字の「丸に十字」は、フェニキア文字の「丸に✕字」と同じく「車輪」を意味します。レバントは、「(太陽が)上る」という意味で、ヨーロッパでは、「丸に十字」は「太陽十字」や「車輪十字」といい、太陽の円を太陽神の戦車(チャリオット)の車輪とする解釈から派生した太陽のシンボルと解釈されています。アメリカの先住民族などは、象徴的に装飾のために太陽十字を現在でも使用しているようです。現代の天文学の惑星記号や西洋占星術では、地球を表すシンボルとして使われていますが、宇宙の中心に地球があるとする天動説の影響かもしれません。密教の宇宙の真理を図示した胎蔵界曼荼羅では、大日如来を中心として、四如来、四菩薩が描かれていますが、「大日」という言葉は、「大いなる日輪(偉大な太陽)」を意味しているとされるので、もしかすると、太陽と8個の惑星(4個の地球型惑星と4個の木星型惑星)を表しているのかもしれません。

 天之御中主神は、日本神話の天地開闢において登場する神で、神名は天の真中を領する神を意味します。九州の「へそ」と呼ばれた熊本県阿蘇郡蘇陽町 (現上益城郡山都町)にある幣立神宮では、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が祀られていますが、九州のほぼ中央にあります(図9)。幣立神宮とオリンポス山を結ぶラインの近くには、玉依姫命豊玉姫命を祀る乙和多都美神社(おとわたつみじんじゃ)があり(図9)、天之御中主神は、豊玉姫命や玉依姫命と関係があると推定されます。

図9 幣立神宮とオリンポス山を結ぶラインと乙和多都美神社

 おのころ島神社と幣立神宮を結ぶラインの近くには三瀧神社(愛媛県西予市)があり、幣立神宮と青谷上寺地遺跡を結ぶラインの近くには豊後一ノ宮 西寒多神社(大分市寒田)と綿津見神社(新見市)があり、また、青谷上寺地遺跡とおのころ島神社を結ぶラインの近くには那岐神社があります。那岐山は、古くから全体が神として崇められ、那岐大明神と呼ばれていました。おのころ島神社とオリンポス山を結ぶラインの近くには住吉神社(岡山県備前市島根県安来市)があり、幣立神宮と青谷上寺地遺跡を結ぶラインは、おのころ島神社とオリンポス山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図10)。

図10 おのころ島神社と幣立神宮を結ぶラインと三瀧神社、幣立神宮と青谷上寺地遺跡を結ぶラインと西寒多神社、綿津見神社、青谷上寺地遺跡とおのころ島神社を結ぶラインと那岐神社、おのころ島神社とオリンポス山を結ぶラインと住吉神社

 おのころ島神社と大山祇神社(愛媛県今治市)を結ぶラインの近くには讃岐國一宮 田村神社(香川県高松市)があり、大山祇神社と青谷上寺地遺跡を結ぶラインは、おのころ島神社とチャタル・ヒュユクを結ぶラインとほぼ直角に交差し、おのころ島神社とチャタル・ヒュユクを結ぶラインの近くには、岩見神社(鳥取県日野郡日南町)、鏡神社(島根県雲南市)、奥宇賀神社(島根県出雲市)があります(図11)。これらのレイラインは、おのころ神社とエーゲ文明の関係を示していると推定されます。

図11 おのころ島神社と大山祇神社を結ぶラインと田村神社、大山祇神社と青谷上寺地遺跡を結ぶライン、青谷上寺地遺跡とおのころ島神社を結ぶライン、おのころ島神社とチャタル・ヒュユクを結ぶラインと岩見神社、鏡神社、奥宇賀神社

 三重県一志郡嬉野町の片部遺跡と熊本県玉名市の柳町遺跡から土器に書かれた「古代の文字」が見つかっています。いずれも「田」と読め、九州にある柳町遺跡の方が、近畿にある片部遺跡の「墨書土器」より20年から30年古いとされています。垂仁天皇の皇后の狭穂姫命の墓と思われる行燈山古墳からの出土品として、銅板1枚が知られ、拓本が残されていますが、銅板の片面には内行花文鏡に似た文様があり、他面には田の字形の文様があります。

 線文字Bには「田」はありませんが、「伊予文字」や「ヲシテ」には「田」があり「ノ」と発音します。という漢字は、区画された耕地を表す象形文字とされています。「墨書土器」の「田」は、漢字ではないとすると、「太陽」を表すのかもしれません。太陽は中心点を持つ円で表され、これは、漢字の「日」のもとになっていますが、中心点を持つ円が「日」になったことを考えると、「墨書土器」の「田」は、もとは「丸に十字」で、宇宙の中心にあるとされた「太陽」を表し、「ナ」と発音していたのかもしれません。神武天皇は、倭奴国王で、奴国(なこく)は「丸に十字」を国名にし、九州地方から日本の中心に近い大和(奈良)に東遷したのかもしれません。

文献
1)矢島文夫 1999 「解読 古代文字」 ちくま学芸文庫
2)金 容雲 2011 「「日本=百済」説」 三五館
3)木村 鷹太郎 明治44年刊 「世界的研究に基づける日本太古史 上巻」 博文館
4)グラハム・ハンコック 大地 舜/訳 2016 「神々の魔術(上)(下)失われた古代文明の叡智」 角川書店
5)グラハム・ハンコック 大地 舜/訳 1996 「神々の指紋(上)」 翔泳社
6)仁科剛平 1998 「超古代史通になる本」 オーエス出版社
7)竹内一忠 2020 「ペテログリフが明かす超古代文明の起源」 玄武書房
8)小林登志子 2020 「古代メソポタミア全史」中公新書