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温故知新(55)京都御所 セリヌス シルクロード ジェッダ 敦煌莫高窟 バーミヤン遺跡 アララト山 マトボの丘群 イヴ 伊吹山
京都御所は、桓武天皇が794年に平安京に都を移したことに始まります。場所の選定には、藤原北家の藤原小黒麻呂や紀氏の紀古佐美らを派遣し検討させています。秦氏は、平安京造宮長官の藤原種継の母が秦氏の娘であったため、造都に全面的な協力をしたといわれています。「平安京」は、ヘブライ語で「エル・シャローム」すなわち「エルサレム」を意味するともいわれています。 豊受大神宮(伊勢神宮 外宮)とトルコ南部の古代都市セリヌス(Selinus Ancient City)を結ぶラインは京都御
温故知新(53)薬師寺 日光・月光菩薩 吉祥天 オリンポス山 イカロス ディオニュソス 高野山奥之院 パルミラ ペトラ ルクソール
2023年8月24日の朝日新聞によると、薬師寺境内から見つかったイカロスの陶片は、1938年の生駒山頂から大阪方面に飛び立って滞空時間や高度を競うグライダーの大会「全日本帆走飛行競技大会」の参加章で、37年の大会では金属製のメダルでしたが、同年の日中戦争開戦を機に、金属節約のため陶製に切り替えられたようです。キクラデス諸島では「キクラデスのフライパン」と呼ばれる陶製の鏡のような遺物が見つかっています。薬師寺には、麻布に描かれた日本最古の彩色画である吉祥天女画像(国宝)があり
温故知新(52)入の沢遺跡 マラケシュ 蝦夷 江釣子古墳群 オリンポス山 ギョベクリ・テペ スカラ・ブレイ 志波城 大島遺跡 モン・サン・ミシェル 八束城 メンフィス 太宰府天満宮
宮城県栗原市築館城生野にある入の沢遺跡は、古墳時代前期後半(4世紀後半)の大規模集落遺跡で、大溝や塀に囲まれた極めて防御性の高い集落です。集落の存続期間は短く、意図的に焼かれたと考えられる竪穴建物から、内行花文鏡を含む銅鏡・鉄剣を含む鉄製品・勾玉を含む石製装身具や各種土師器類等が多数出土しています。入の沢遺跡は古墳時代前期の大型古墳分布域の最北端で、北海道を中心に広がる続縄文文化との境界に位置しています1)。また、弥生時代終末期に関東地方や北陸地方から、大規模な集団移住があ
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温故知新(51)備中松山城 須佐之男命(孝霊天皇) 鯉喰神社・弥生墳丘墓 大阪城 五十瓊敷入彦命 和泉黄金塚古墳 名古屋城 建稲種命(狭穂彦王) メスリ山古墳
大阪城は、多氏一族のまつる多坐弥志理都比古神社(多神社)とチャタル・ヒュユクを結ぶレイライン上にあります。また、大阪城は、福井県小浜市にある加茂神社と五十瓊敷命の墓と推定される和泉黄金塚古墳(大阪府和泉市)を結ぶライン上にあります(図1)。このラインは、和気氏や弘法大師所縁の神護寺(京都市右京区)、千手観音を本尊とする総持寺(大阪府茨木市)、大阪城(大阪市中央区)、住吉大社(大阪市住吉区)の近くを通ります(図1)。大阪城と和泉黄金塚古墳がレイラインでつながっていることから、
温故知新(49)パルテノン神殿 桜町遺跡 平出遺跡 唐招提寺 熊野速玉大社 アルテミス神殿 チカモリ遺跡 吉備津神社 クフ王のピラミッド 出雲大社
真脇遺跡(石川県鳳珠郡能登町)では、縄文晩期の環状木柱列が見つかっています。生石神社の「石の宝殿」、環状木柱列、環状列石は直線状に配置されていて、石の宝殿と、真脇遺跡、上総国一之宮 玉前神社や、桜町遺跡、古富士ポイントや、チカモリ遺跡(石川県金沢市)、富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)などは直角に配置されていることが報告されています(石の宝殿、益田岩船と環状木柱列(ウッドサークル)・環状列石(ストーンサークル)との驚く関係)。 玉前神社、石の宝殿、三内丸山遺跡を頂点す
温故知新(48)音羽古墳群 聖徳太子 神八井耳命 天足彦国押人命(天押帯日子命 和邇日子押人命) 神皇産霊尊(神産巣日神 神魂命)
モロッコのアラビア語での正式国名は、アル=マムラカ・アル=マグリビーヤで、「日の没する地の王国」を意味しているのだそうです。聖徳太子が遣隋使に託して中国の隋の煬帝に宛てた国書に記された「日出處天子致書日沒處天子 無恙云云(日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや)」が連想されます。オリエントは、ラテン語で「日が昇る方角」を意味します。 モロッコのマラケシュの近くにあるクサール・ヌアイラと豊受姫命と推定される大宜都比売命を祀る上一宮大粟神社(徳島県名西郡神山
温故知新(47)アポロ・アテナ・ライン エデン タルシーン神殿 アルメンドレスのクロムレック ジェベル・イルード遺跡 ミタンニ王国 岩宿遺跡
アポロ・アテナ・ラインは、メルカトル図法では、アイルランドから始まり、モン・サン・ミシェルやモンテ・サンタンジェロなど、聖ミカエルゆかりの土地を通り、ギリシャに至るとデルフィ(デルポイ)などアポロ神とアテナ神にちなんだ神殿を通る直線になるといわれています(図1)。Googleマップ(距離の測定)で、ナクソス島のアパリロス城(Apaliros Castle)とフランスのベルトーム砦(Bertheaume Fort)を結ぶラインを描くとデルフィ(デルポイ)、モンテ・サンタンジェ
温故知新(46)箸墓古墳 武当山 二里頭遺跡 邪馬嘉国 夏王朝 馬家窯文化 秦始皇帝 夏姫(夏太后) 三星堆遺跡 馬王堆漢墓 八大龍王 シヴァ神 ロータル遺跡 ミノア 燕国
老子は道教を創立させた人物と評され、『老子道徳経』は道教の根本または源泉と関連づけられています。老子の履歴について司馬遷(紀元前145年 - 紀元前86年)が紀元前100年頃に著した『史記』によると、老子は、姓は「李」、名は「耳」、字は「聃」(または「伯陽」)で、楚の苦県、厲郷の曲仁里という場所の出身としています。しかし、『史記』は司馬遷の死後も加筆・修正が盛んに試みられ、一説には「仁(儒教の思想)を曲げる(反対する)」という意味を含ませ「曲仁」という場所の出身と唐代の道家
温故知新(45)大和三山(天香久山 畝傍山 耳成山) 藤原宮 摩耶山 三輪山 忌部山 益田岩船 亀石 酒船石 矢田の大石 ヤマトタケル 妹背山 アルテミス神殿
大和三山(やまとさんざん)とは、橿原市に位置する天香久山(あまのかぐやま、あめのかぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)の三山をいいます。天香山命(あめのかぐやまのみこと)は、大国主命(倭建命 孝元天皇)と推定されるので、天香久山は大国主命(倭建命 孝元天皇)を象徴していると考えられます。大和三山が、瑜伽山(由加山)や豊受大神宮(外宮)とほぼ同緯度にあるのは、大国主命と豊受姫命の関係を示していると推定されます。 大和三山に囲まれた平野には、藤原宮(ふじわ
温故知新(44)縄文文明 三内丸山遺跡 デーノタメ遺跡 真脇遺跡 遮光器土偶 田端環状積石遺構 棚畑遺跡 是川石器時代遺跡 伊川津貝塚遺跡
藻岩山と約10,600年前からの遺跡がある鹿児島県の上野原遺跡を結ぶラインは、三峯神社 奧宮とチャタル・ヒュユクを結ぶラインとほぼ直角に交差します。藻岩山と三峯神社 奥宮を結ぶラインの近くには、大平山元遺跡(東津軽郡 外ヶ浜町)、三内丸山遺跡(青森市)、伊勢堂岱遺跡(秋田県北秋田市)があります(図1)。伊勢堂岱遺跡は、世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中で一番南西に位置する遺跡で、三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前)の大規模集落
温故知新(43)蛭子神(恵比寿 少彦名命) 東国三社(鹿島神宮 香取神宮 息栖神社) 神崎神社 笠間稲荷神社 西之宮大神宮 大生神社 大生古墳群 大戸神社
鹿島神宮、香取神宮、息栖神社(いきすじんじゃ)は、関東地方東部の利根川下流域に鎮座する神社で東国三社と呼ばれます。古代、この付近には「香取海(かとりのうみ)」という内海が広がっていました。鹿島神宮の創建については、鹿島神宮の由緒『鹿島宮社例伝記』(鎌倉時代)や古文書(応永32年(1425年)の目安)によると、神武天皇元年に初めて宮柱を建てたといわれ、神宮側ではこの神武天皇元年を創建年としています。『常陸国風土記』では、「香島郡」の名称は「香島の天の大神」(鹿島神宮を指す)に
温故知新(42)日高見国 常世の国 ニライカナイ 少彦名命(少彦男心命 事代主命) 姫塚古墳 阿波山 筑波山 豊城入彦命 彦狭島命 伊都許利命 赤城山
出雲大社と茨城県ひたちなか市にある酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)(写真1)を結ぶラインの近くには、浦嶋神社(京都府与謝郡伊根町)、諏訪大社 下社 秋宮(長野県諏訪郡下諏訪町)、常陸国出雲大社(茨城県笠間市)があり、酒列磯前神社と日前・國懸神宮を結ぶラインの近くには、武蔵御嶽神社(東京都青梅市)や松平東照宮(愛知県豊田市)があります(図1)。酒列磯前神社は、主祭神が少彦名命で、配祀神が大国主命ですが、武蔵御嶽神社は、社伝によると、創建は崇神天皇7年で、武渟川別命が大
温故知新(41)鬼ノ城 邪馬台国 品陀真若王(出雲建 温羅) ディオニュソス 神功皇后(穴門武媛命 阿曽媛) 安仁神社 美和神社
温羅伝承で知られる岡山県総社市の鬼城山(きのじょうざん)に遺る鬼ノ城(きのじょう)(写真トップ、1)は、神籠石式山城(こうごいししきやまじろ)で、土器などから7世紀の後半に築かれたものと推定されていますが、鬼ノ城の建造時期については、古代史学界でも議論があるようです。 城壁は土を突き固めた土塁(版築(はんちく)土塁)で作られ、高さは6メートル、上幅は6メートルあり、城の周囲を2800メートルとりまいています。古代の「東海道甲斐路」とみられる幅6メートルか9メートルの道路
温故知新(40)ロドス島 平出遺跡 諏訪大社 ツタンカーメン フルリ キプロス島 前方後円墳 サモトラケのニケ 千手観音
ロドス島はヨーロッパ、中東、アフリカを結ぶ要衝に当たり、建築的、文化的、言語的に多くの異なる特色をもっていて、島には紀元前4000年頃には人が住んでいたと推測されています。 ロドス島で最大の都市であるロドスの街は、古代から港湾都市として栄え、世界の七不思議の一つの「ロドス島の巨像」があったことでも知られています。エラトステネスの前にアレクサンドリア図書館の館長だった「ロドスのアポローニオス」は、ロドス島の出身ではありませんが、イアーソーンとアルゴナウタイの航海の物語である『