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温故知新(50)アポロン神殿 デルポイ 日光東照宮 徳川家康 斑鳩寺 聖徳太子 金剛山古墳群 鐸石別命
徳川家康を祭神とする久能山東照宮と日光東照宮(栃木県日光市)は富士山を挟んで、直線上に配置していることが知られていますが、徳川家康の遺訓にある「及ばざるは過ぎたるよりまされり」は、デルポイ(デルフィ)の神託が行なわれていたアポロン神殿の入口に刻まれている格言の「過剰の中の無」と似ています。
鹿島神宮 奥宮とデルポイを結ぶラインは日光東照宮の近くを通ります(図1、2)。「汝自身を知れ 」とは、自身の習慣・道徳・気質を自覚し、自分がどれだけ怒りを抑制できるかを把握する、といったようなことを指しているものとされるので、家康の遺訓の「堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え」などと似ているように思われます。聖徳太子の十七条の憲法の第一条に記されている「和をもって貴しとなす」とも類似しています。
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兵庫県揖保郡太子町にある斑鳩寺は、クレタ島の古代都市ラトと丹生都比売神社を結ぶラインの近くにあります。『日本書紀』によると推古14年(606年)に、聖徳太子が法華経の講義を岡本宮で行ったため、天皇から播磨国の水田100町を与えられ、斑鳩寺(法隆寺)領として納めたとあります。
斑鳩寺は、土師一族の居住した地とされるたつの市揖西町土師にある土師神社とほぼ同緯度にあり、斑鳩寺と土師神社を結ぶラインは、兵庫県たつの市(旧揖保川町)の井関三神社(いせきさんじんじゃ)と井関三神社の真南7.4kmのヤッホの森にある金剛山古墳群を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図3)。井関三神社は、井関大明神として天照国照彦火明櫛玉饒速日命、八瀬大明神として瀬織津姫命を祀っていますが、社伝によれば、崇神天皇2年に四道将軍道主命に勅して、播磨国揖保郡亀山(きのやま)に天照神社(あまてるじんじゃ)として創祀したとされています。『播磨国風土記』の揖保郡稲置山(稲積山)は峰相山に比定されています。金剛山古墳群には、弥生時代、古墳時代前期のものもあるようです。金剛山古墳群は、和気氏ゆかりの由加神社(岡山県和気郡和気町)と同緯度にあり(図3)、金剛山古墳群には、垂仁天皇の皇子の鐸石別命が葬られていると推定されます。
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大宝令の注釈書『古記』(738年頃)には上宮太子の諡号を「聖徳王」としたとあるようで、崇神天皇(豊耳命)が上宮王家の祖だったとすると、崇神天皇の孫の鐸石別命も、聖徳太子と呼ばれたのではないかと思われます。
斑鳩寺とモン・サン・ミシェルを結ぶラインの近くには、鳥取市にある稲羽八上比売命を祀る売沼神社(めぬまじんじゃ)や白兎神社があります(図25)。このラインは、井関三神社と通宝山彌勒寺(姫路市)を結ぶラインとほぼ直角に交差し、井関三神社と弥勒寺を結ぶラインには「神座の窟」(しんざのいわや)があります(図4)。弥勒寺を開山した性空上人は、父が橘氏で、母は源氏の流れをくむ保津姫です。
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斑鳩寺とデルポイを結ぶラインの近くに、井関三神社があり、鐸石別命の墓があると推定される金剛山古墳群と彌勒寺を結ぶラインは、斑鳩寺とデルポイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。
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デルポイ(デルフォイ)という地名は、ドルフィン(イルカ)と同じ由来をもつ言葉といわれます。「いかるが」という名は、『日本書紀』には、この地にイカルという鳥が群れをなしていたことに由来するとありますが、アポロン、ポセイドン、ディオニュソスなどの聖獣であるイルカに由来するのかもしれません。
斑鳩寺には、江戸時代に作られた物のようですが、聖徳太子所縁の宝物として「地中石(ちちゅうせき)」(聖徳太子の地球儀)と呼ばれるものが伝わっていて、聖徳太子は「地球が丸い」ことを知っていたのではないかという逸話もあります。アポロン神殿の南西隅にオンファロス(へそ)と呼ばれる石が置かれ、この場所が世界の中心点とされます。斑鳩寺と世界のへそがあるデルポイがレイラインで結ばれていることと関係がありそうです。
天文学者のピアッツィ・スミスは大ピラミッドを建てた古代エジプト人は世界が球体であることを知っていて、その南北の直径の5億分の1がピラミッド・インチで大ピラミッドは地球の縮図であると主張しました。大ピラミッドの元の高さと土台の周辺の長さは、地球の半径と周辺の長さの比率(2π)と一致しています1)。また、大ピラミッドは、側面が面の中央に向かってわずかに窪んだ八面体であることが知られています。
三種の神器の一つである「八咫鏡」の「咫」は周尺(一尺 19.1cm)のことで、円周が八咫の鏡を「八咫鏡」とすると、2πr=8咫=152.8cmなので、八咫鏡の直径(2r)は48.7cmとなり、これは、『延喜式』伊勢大神宮式や『皇太神宮儀式帳』において、鏡を納める桶式の内径が「一尺六寸三分」(約49センチ)とされていることと符合します。「八咫鏡」は、大ピラミッドの設計思想と似ているように思われます。
文献
1)グラハム・ハンコック 大地 舜/訳 1996 「神々の指紋(上)」 翔泳社