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温故知新(26)徐福 物部氏 燕国 青谷上寺地遺跡 投馬国 天女(豊受姫命 𧏛貝比売・蛤貝比売) ヴィーナス
太古の先秦時代、東夷は山東省にあった諸民族を指し、華夏族の起源の一つで、象形文字の「夷」は、矢に縄を巻き付けたさまを表しているようです。中国戦国時代の儒学者である孟子は『孟子』において、「舜は諸馮に生まれて負夏に移り、鳴條で亡くなった東夷の人である。文王は岐周に生まれ、畢郢に死した西夷の人だ」として、中国神話に登場する五帝の一人の「舜」は「東夷」の人、周の文王は「西夷」の人であると述べています(
もっとみる温故知新(5)孝元天皇(大国主命 宇遅比古命(菟道彦 莵道彦) 宇豆比古 珍彦(椎根津彦) 彦火火出見尊(山幸彦) 宇都志国玉神 葦原色許男神 欝色謎 難升米 宇遅比命 宇摩志麻遅命 天日鷲命 大綜麻杵命)
大国主命は『日本書紀』正伝によると素戔鳴尊(すさのおのみこと)の息子で、日本国を創った神とされています。また、須佐之男命の娘である須勢理毘売命(すせりびめのみこと)との婚姻の後にスクナビコナと協力して天下を経営したとされます。大国主神は多くの別名を持ち、大穴牟遅神(おおあなむぢ)、八千矛神(やちほこ)、葦原色許男・葦原醜男・葦原志許乎神(あしはらしこを)、宇都志国玉神(うつしくにたま)、大国魂神
もっとみる温故知新(9)崇神天皇(聖徳太子 豊耳命 御間城尊 彦太忍信命) 観音菩薩 靭負神社 浦間茶臼山古墳 豊城入彦命(豊布流) 彦狭島王 毛野氏
『古事記』では「上宮之厩戸豊聡耳命(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこ)」、『日本書紀』推古天皇紀では「厩戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこ)」とされている聖徳太子は、一般的には、飛鳥時代の用明天皇の第二皇子(厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)とされています1)。
第8代孝元天皇(大国主命)と倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼)との子は、第10代崇神天皇と考えられ、丹生氏の
温故知新(16)倭建命(孝元天皇 景行天皇(吾賀古君) 成務天皇(稚足彦尊 真若王 吉備兄彦皇子)) 仲哀天皇(小碓命 吉備武彦命 讃王 日本武尊) 五百城入彦皇子(彦人大兄命 大枝王 弟彦公) 八坂入媛命(訶具漏比売 伊那毘能若郎女 大橘比売命) 弟橘比売命(弟財郎女) 海部氏
ヤマトタケルは「やまと」の勇者の意味で、実在の人物ではなく、『日本書紀』『古事記』の伝える話は、各地の伝承を一つの人格にまとめたものとみられています1)。日本武尊の妃となって仲哀天皇を生んだとされる両道入姫命については、記紀ともに一致して記載している仲哀天皇の享年から計算できる生年(成務天皇18年)が日本武尊の死去から38年後にあたるという矛盾があることが知られています。また、佐伯有清氏は、日本
もっとみる温故知新(20)継体天皇(丹生麿) 伊須流岐比古神社 大虫神社 若狭彦神社 白山比咩神社 今城塚古墳 丹生氏 息長氏 物部氏
『古事記』、『日本書紀』は、ともに第26代継体天皇(在位:507年-531年)を応神天皇の5世の子孫と記しています。『釈日本紀』の引用する「上宮記一云」という史料によると、応神ー若野毛二俣王ー意富富杼王ー乎非王ー汙斯王(彦主人王)ー継体、という系譜になります。丹生氏系図にある「大樹」(品陀真若王と推定)の子の「伊集岐」は、応神天皇の后の仲姫命と推定され、伊集岐ー長日―椋垣―田迷―峯主―丹生麿、と
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