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温故知新(53)薬師寺 日光・月光菩薩 吉祥天 オリンポス山 イカロス ディオニュソス パルミラ ペトラ ルクソール
2023年8月24日の朝日新聞によると、薬師寺境内から見つかったイカロスの陶片は、1938年の生駒山頂から大阪方面に飛び立って滞空時間や高度を競うグライダーの大会「全日本帆走飛行競技大会」の参加章で、37年の大会では金属製のメダルでしたが、同年の日中戦争開戦を機に、金属節約のため陶製に切り替えられたようです。キクラデス諸島では「キクラデスのフライパン」と呼ばれる陶製の鏡のような遺物が見つかっています。薬師寺には、麻布に描かれた日本最古の彩色画である吉祥天女画像(国宝)があります。吉祥天と弁財天は、共に天女であり、新旧七福神の一員ということもあって同一視する見方もあるようです。
薬師寺とオリンポス山を結ぶラインの近くには、饒速日命ゆかりの白庭台、八幡神社(吉川八幡神社)(大阪府豊能郡豊能町)、猪名川不動尊(兵庫県川辺郡猪名川町)、養父神社(兵庫県養父市)、長瀬八幡神社(兵庫県美方郡香美町村)、兵主神社(兵庫県美方郡新温泉町)があります(図1)。
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オリンポス山とエルサレムを結ぶラインは、イカロスの伝説のあるイカリア島を通ります(図2)。また、フェニキア人の聖地だったと考えられているバールベックとオリンポス山を結ぶラインは、アフロディーテ(ヴィーナス)が誕生したキプロス島を通り、アルテミス神殿の近くを通ります(図2)。
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パルミラ(タドムル)は、シリア砂漠の中央に位置するオアシス都市で、シルクロードの中継点として、紀元前1世紀から紀元3世紀にかけて最も栄えました。邪馬台国の時代とも重なります。パルミラのベール神殿などには、地中海世界に起源をもつ葡萄唐草紋が用いられていますが、奈良の薬師寺にまで伝わっています1)。かつてはオシリスと同じく死と再生の神だったディオニュソスは、ギリシア神話では豊穣とブドウ酒と酩酊の神で、聖樹は葡萄、蔦です。
『ホメロス讃歌』第7番
ディオニュソスは、花ならば咲き初めたばかりの初々しい若者の姿で、岬の上に立っていた。
するとエトルリアの海賊たちが船を岸につけ、この若者の襲いかかって縛り上げ、彼を担いで船に連れ去った。
しかし海上に出ると、縛りは解け、ブドウ酒が船内に流れ、ブドウの木が、たちまち帆柱を這い上がって大きく茂り、キヅタが、棚受け全部に絡みついた
パルミラとエジプトのルクソールを結ぶラインの近くには、パルミラと入れ替わるように消えた砂漠の都ペトラ1)があります(図3)。紀元前1200年頃から、エドム人たちがペトラ付近に居住していたと考えられていて、紀元前1世紀ごろからは、古代ナバテア人の有力都市として栄えました。ペトラの特徴として、スパイス交易の拠点機能と治水システムがあげられています。ルクソールは、エジプト新王国の時代の都市テーベがあった場所で、ナイル川の東岸にカルナック神殿やルクソール神殿、ナイル川西岸に王家の谷や王妃の谷などがあり、王家の谷にはツタンカーメン王の墓があります。
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図3のタドムル(パルミラ)と薬師寺を結ぶラインの近くには、青谷上寺地遺跡、若桜弁天 江嶋神社(鳥取県八頭郡若桜町三倉)、八大龍王権現大野神社(若桜町大野)があります(図4)。薬師寺は、奈良県橿原市にあった本薬師寺から平城京遷都の際に、現在の場所に移築されたとされていましたが、最近の発掘調査により別々に造られたとする説が有力になっています。薬師寺は、弥生時代の投馬国と推定される青谷上寺地遺跡や、豊玉姫命と関係があると推定される八大龍王権現大野神社とレイラインで結ばれていることから、邪馬台国の時代から薬師寺の場所は聖地だったと推定されます。
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薬師寺金堂には、薬師如来像の両側に「日光・月光菩薩立像」が安置されています(写真1)。「日光・月光菩薩立像」の体の逆S字状やS字状の曲線は、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケと似ているように思われます。このポーズは三曲法というようです。宝冠には、アテナや縄文のビーナスの冠に似た渦巻き模様があります。
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「日光・月光菩薩立像」は、豊玉姫命と関係があると推定される大御堂観音寺(普賢寺)(京都府京田辺市)の十一面観音立像とも似ています。崇神天皇の宮(支城)があったと推定される京都市北区西賀茂水垣町と熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)を結ぶラインの近くに、観音寺(普賢寺)、薬師寺、唐古・鍵遺跡、本薬師寺跡、大峰本宮 天河大辨財天社(奈良県吉野郡天川村)、玉置龍神水(和歌山県新宮市熊野川町)があります(図5)。
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文献
1)中村真哉(編) 2023 「Newton別冊 新・ビジュアル 古代遺跡辞典(ニュートンムック)」 ニュートンプレス