マガジンのカバー画像

レイラインを利用した古墳の被葬者の推定

12
古代オリエントやエーゲ文明の都市や遺跡などと結ばれるレイラインなどから、古墳の被葬者を推定しました。
運営しているクリエイター

#孝霊天皇

温故知新(12)元伊勢 黒媛 笠縫邑 正勝吾勝々速日天之忍穂耳命 豊鍬入姫命 倭姫命 パレルモ ドラゴン・ライン 月読命 

温故知新(12)元伊勢 黒媛 笠縫邑 正勝吾勝々速日天之忍穂耳命 豊鍬入姫命 倭姫命 パレルモ ドラゴン・ライン 月読命 

 元伊勢(もといせ)は、三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的に祀られたという伝承を持つ神社・場所です。丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ) は、主祭神として彦火明命(ひこほあかりのみこと 饒速日命)、相殿に豊受大神、天照大神、海神、天水分神が祀られています。豊受大神宮(外宮)に奉祀される豊受大神は、須佐之男命と神大市比売との間に生ま

もっとみる
温故知新(51)備中松山城 須佐之男命(孝霊天皇) 鯉喰神社・弥生墳丘墓 大阪城 五十瓊敷入彦命 和泉黄金塚古墳 名古屋城 建稲種命(狭穂彦王) メスリ山古墳

温故知新(51)備中松山城 須佐之男命(孝霊天皇) 鯉喰神社・弥生墳丘墓 大阪城 五十瓊敷入彦命 和泉黄金塚古墳 名古屋城 建稲種命(狭穂彦王) メスリ山古墳

 大阪城は、多氏一族のまつる多坐弥志理都比古神社(多神社)とチャタル・ヒュユクを結ぶレイライン上にあります。また、大阪城は、福井県小浜市にある加茂神社と五十瓊敷命の墓と推定される和泉黄金塚古墳(大阪府和泉市)を結ぶライン上にあります(図1)。このラインは、和気氏や弘法大師所縁の神護寺(京都市右京区)、千手観音を本尊とする総持寺(大阪府茨木市)、大阪城(大阪市中央区)、住吉大社(大阪市住吉区)の近く

もっとみる
温故知新(11)伊弉諾尊(孝安天皇 天太玉命 比古麻命 大山祇命) 手置帆負命(懿徳天皇 帥升) 忌部(斎部)氏 紀氏 

温故知新(11)伊弉諾尊(孝安天皇 天太玉命 比古麻命 大山祇命) 手置帆負命(懿徳天皇 帥升) 忌部(斎部)氏 紀氏 

 徳島県鳴門市大麻町にある阿波国一宮の大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)の祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)で、阿波国を開拓した阿波の忌部氏の祖神とされています。大麻比古神社、大山祇神社、青谷上寺地遺跡を頂点とする三角形のラインを描くと、大麻比古神社とギョベクリ・テペを結ぶラインは、大山積神を祀る大山祇神社(愛媛県今治市)と青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(

もっとみる
温故知新(30)神功皇后 富雄丸山古墳 尾綱根命(尻綱根) 蛇行剣 ひひら木の八尋矛 倭讃(香坂王) 佐紀陵山古墳 倭珍(忍熊王) 五社神古墳

温故知新(30)神功皇后 富雄丸山古墳 尾綱根命(尻綱根) 蛇行剣 ひひら木の八尋矛 倭讃(香坂王) 佐紀陵山古墳 倭珍(忍熊王) 五社神古墳

 国内最大の円墳とされる富雄丸山古墳は、元伊勢籠神社と丹生川上神社上社を結ぶラインの近くにあり、ライン上には、彦坐王の墓と推定される桜井茶臼山古墳(外山茶臼山古墳)もあります(図1)。これは、富雄丸山古墳の被葬者と豊受姫命や彦坐王や丹生氏との関係を示している推定されます。

 モン・サン・ミシェルと富雄丸山古墳を結ぶラインは、弥生時代後期から末期の大風呂南墳墓群(京都府与謝郡与謝野町)、大呂神社(

もっとみる
温故知新(43)蛭子神(恵比寿 少彦名命) 東国三社(鹿島神宮 香取神宮 息栖神社) 神崎神社 笠間稲荷神社 西之宮大神宮 大生神社 大生古墳群 大戸神社 

温故知新(43)蛭子神(恵比寿 少彦名命) 東国三社(鹿島神宮 香取神宮 息栖神社) 神崎神社 笠間稲荷神社 西之宮大神宮 大生神社 大生古墳群 大戸神社 

 鹿島神宮、香取神宮、息栖神社(いきすじんじゃ)は、関東地方東部の利根川下流域に鎮座する神社で東国三社と呼ばれます。古代、この付近には「香取海(かとりのうみ)」という内海が広がっていました。鹿島神宮の創建については、鹿島神宮の由緒『鹿島宮社例伝記』(鎌倉時代)や古文書(応永32年(1425年)の目安)によると、神武天皇元年に初めて宮柱を建てたといわれ、神宮側ではこの神武天皇元年を創建年としています

もっとみる
温故知新(48)音羽古墳群 聖徳太子 神八井耳命 天足彦国押人命(天押帯日子命 和邇日子押人命) 神皇産霊尊(神産巣日神 神魂命)

温故知新(48)音羽古墳群 聖徳太子 神八井耳命 天足彦国押人命(天押帯日子命 和邇日子押人命) 神皇産霊尊(神産巣日神 神魂命)

 モロッコのアラビア語での正式国名は、アル=マムラカ・アル=マグリビーヤで、「日の没する地の王国」を意味しているのだそうです。聖徳太子が遣隋使に託して中国の隋の煬帝に宛てた国書に記された「日出處天子致書日沒處天子 無恙云云(日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや)」が連想されます。

 モロッコのマラケシュの近くにあるクサール・ヌアイラと豊受姫命と推定される大宜都比売命を祀る上一宮

もっとみる