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短編小説作品集1

52
初期の短編小説集。物語の中の日常を伝えられますように。
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#記憶

『星屑の森』-KAITO-(8)

『星屑の森』-KAITO-(8)

俺の名前は、磯貝辰範という。
磯貝家の男子には、代々「辰」の字が引き継がれてきた。
大学教授の父・辰興、専業主婦の母・典子、そして二つずつ年の離れた姉と妹。それが、俺の家族だ。
昭和の時代に数多く存在した核家族。男が夜遅くまで働き、女が家事と子育てをして家庭を守る。そんな風景が当たり前の家で育った。

妻の京子とは、お見合い結婚だ。
大学を卒業して東京のインテリア会社に入社してから、海外の取引先を

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『星屑の森』-KAITO-(9)

『星屑の森』-KAITO-(9)

春希が5歳になる年、京子と春希を鎌倉に連れて行った。
再来年に小学校受験を控えた春希に、鎌倉の寺社を見せたいと京子が言ったのだ。それを聞いた春希は、海が見たいとはしゃいでいた。

俺は平日に有給休暇を一日取ると、二人を車に乗せて午前中に鎌倉に入った。鎌倉八幡宮の目の前から真っ直ぐ伸びる参道「段葛(だんかずら)」に面する和食屋で早めの昼食をとると、鶴岡八幡宮・鎌倉宮を回り、そして最後に、学問の神であ

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『星屑の森』-KAITO-(7)

『星屑の森』-KAITO-(7)

今度は、いきなり水中に落ちた。
身体がそこに落とされた途端、周りには無数の泡が生まれ、空に昇っていく。
手紙の文字に自由を奪われていない私の身体は、腕と脚をばたつかせて、何とか泳ぐことができた。

立ち昇る泡が小さくなっていくと、手紙を書き始めようとする先ほどの女性の姿が見えた。
幸い、便箋はまだ真っ白で、文字は書かれていない。
彼女は、万年筆を手にもっているものの、「うっ、うっ」とただ小さく泣い

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『星屑の森』-KAITO-(6)

『星屑の森』-KAITO-(6)

ハッと気が付くと、私の意識は現実世界に戻っていた。
久方ぶりに息を吸った気がする。私の肺は、早鐘を打つ鼓動に合わせるように、懸命に酸素を取り込んだ。
いつの間にか、Tシャツがぐっしょりと濡れるほど汗をかいて、肌に張りついている。
とても疲れた──。
私は行儀が悪いことなど忘れて、テーブルに肘をつき上半身を屈めた。

はぁ、はぁ、と息を荒げる私を、篠森カイトは涼しい眼で見下ろしている。
「篠森さん、

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『星屑の森』-KAITO-(4)

『星屑の森』-KAITO-(4)

私が渡した白い封筒を少し眺めて「宛名はないのですね」と言うと、彼は静かに封筒を開けて、中から折りたたまれた一枚の便箋を取り出した。
便箋を開くと、そこに書かれた文を読み上げる。

『 明日の夜、あなたと最初に出会った場所で待っています。
必ずいらしてください。いつまでも待っています。
                        里砂子』

手紙に書かれているのは、これだけだ。
便箋は、白地に月

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『星屑の森』-KAITO-(2)

『星屑の森』-KAITO-(2)

「どなたですか?」
男が目を細めて顔を傾けると、金色の長い前髪が揺れる。
私は、相手が日本語を話せると分かって安心した。

「三船医院の三船先生から、篠森さんを訪ねるように言われたんです。……ここは、篠森さんのお宅ですか?」
私がそう尋ねると、男は溜息を吐いた。

「はあ、またあの先生は……。いつも前もって連絡しろと言ってるのに。さあ、外は暑いでしょう。どうぞ入って」
男は、三船医師を見知っている

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『星屑の森』―AKIRA―(最終話)

『星屑の森』―AKIRA―(最終話)

「愛、そろそろ起きないと遅刻するよ!」

お姉ちゃんの声で、私は目を覚ます。
何だか、長い夢を見ていた気がする。
よく思い出せないけれど、私は夢を見ながら涙を流していたようだ。

「お姉ちゃーん、駅まで車で送ってー」

時計を見ると、いつも家を出る時間の15分前だった。
「そろそろ」どころから、このままでは遅刻してしまう。
私は、急いで制服に着替えながら、お姉ちゃんに車を出してとお願いした。

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『星屑の森』―AKIRA―(13)

『星屑の森』―AKIRA―(13)

「別れって、どういうこと……?」

私は、その言葉の意味を理解できず、聞き返した。

「愛……、ごめんね。私は、あなたのお姉ちゃんではないの」

お姉ちゃんは、美しく整った顔を少しも歪めることなく、透き通った瞳で私を見つめて言った。

「意味分かんない。そんなわけないよ。 お母さんは違うかもしれないけど、私達は姉妹だよ。私が小さい頃から、ずっと一緒にいたじゃない。怖い夢を見たら、いつも隣で寝てくれ

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『星屑の森』―AKIRA―(14)

『星屑の森』―AKIRA―(14)

「──そうよ、愛。怒って。私を憎んで」

お姉ちゃんのその言葉を聞いて、私は自分が眉間に力を込めて、涙を流しながらお姉ちゃんを睨(にら)みつけていることに気が付いた。

「これまでの古い枝を折り、この新しい枝を挿せば、あなたの記憶から私は消える。元から、今の家族と幸せに暮らしていた。そういうあなたになれるわ」

「嫌だ! 私は、お姉ちゃんを忘れない。菜佳だって、忘れるわけないよ!」

「あなたの『

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『星屑の森』―AKIRA―(11)

『星屑の森』―AKIRA―(11)

ゆったりとしたピアノが、ドラムとバスのリズムの上にジャズのメロディーを奏でる。

目を開けると、お姉ちゃんの飲みかけの紅茶に、飴色のライトが映っていた。

私は、元の世界に戻ってきたのだ。
隣に座るお姉ちゃんは、私の方を見て微笑んでいた。

「ん……」

眠っていた菜佳が目を覚す。

「わ、いつの間にか寝ちゃってた。ごめんなさい」

「菜佳さん、気分はどう?」

「うーん、何だかいい気持ち。お姉さ

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『星屑の森』―AKIRA―(9)

『星屑の森』―AKIRA―(9)

「菜佳ちゃん、みて。私は、パンダにみえるよ」

私がそういって天井を指差すと、小さな菜佳はやっと顔を上げた。

「パンダちゃん?」

「そう。パンダは目の周りが黒いでしょ? それに耳も」

本当は、パンダというには苦しいけれど、茶色の濃い場所はパンダのタレ目に、鬼の角(つの)にも見える木目も(少し長めの)パンダの耳に見えなくもない。

「それに、あっちには蝶々が飛んでる!」

パンダの様に見える(

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『星屑の森』―AKIRA―(10)

『星屑の森』―AKIRA―(10)

お姉ちゃんと繋いでいる手が、じっとりする。
これは、私の汗だ。

私の不安に気付いたお姉ちゃんは、少し顔を傾けて私の目を覗き込んだ。

「大丈夫よ。他の原因を探そう」

お姉ちゃんの前髪がサラリと揺れて、瞳に光が見えた気がした。
お姉ちゃんが私の髪を優しく撫でると、不思議と恐怖が和らぐ。
お姉ちゃんを、信じていいんだ。
そう思った途端に、涙腺が緩んしまう気がして、私はもう一度気を引き締めた。

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『星屑の森』―AKIRA―(8)

『星屑の森』―AKIRA―(8)

「おねーちゃ、だれ?」

まだ覚えたての言葉で、辿々(たどたど)しく尋ねる女の子。

小さな菜佳が、オリーブの実の様な大きな瞳を私に向けると、
ふっくらとした頬に幾本も涙の筋が見えた。

私は、お姉ちゃんと繋いだ手が解けないように、ゆっくりと屈んで、女の子の目線に近づける。そして、

「菜佳ちゃんのお友達だよ」

と答えた。

「菜佳ちゃんは、どうしてこんな所にいるの?」

私が尋ねると、菜佳は

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『星屑の森』―AKIRA―(6)

『星屑の森』―AKIRA―(6)

「悪夢を見るのは、大抵、過去に怖いと思った記憶が、時々悪さをするからよ」

お姉ちゃんは、悪夢を見る理由をそう語る。
それは、本人が忘れたつもりでも、『記憶の樹』にはちゃんと残っているんだって。

菜佳の『記憶の樹』は、3m程の高さがあった。
幹は私の両腕で抱えられそうな位で、そんなに太さはないけれど、まっすぐ靭(しな)やかだ。
表皮は傷もなく滑らかで、数本の太い枝から幾つもの細い枝が伸びている。

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