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『星屑の森』-KAITO-(9)

春希が5歳になる年、京子と春希を鎌倉に連れて行った。
再来年に小学校受験を控えた春希に、鎌倉の寺社を見せたいと京子が言ったのだ。それを聞いた春希は、海が見たいとはしゃいでいた。

俺は平日に有給休暇を一日取ると、二人を車に乗せて午前中に鎌倉に入った。鎌倉八幡宮の目の前から真っ直ぐ伸びる参道「段葛(だんかずら)」に面する和食屋で早めの昼食をとると、鶴岡八幡宮・鎌倉宮を回り、そして最後に、学問の神である菅原道真が祭られている荏柄天神社を訪れた。

そこでは、京子が一番長く神様に願い事をして、いくつも学業お守りを買った後、受験前の祈祷や合格祈願の縁起物を熱心にチェックしていた。寺社を2時間近く歩き続けた春希は、すでに疲れて眠そうにしていて、俺と一緒に境内のベンチに座り、小振りな梅の花を静かに眺めていた。

「春希、疲れたろう。海はまた今度にするか」
段々と春希の身体が寄りかかって来るのを感じて、春希に言った。
「いく。ぼく、まだねむくないよ」
春希は、とろんとしていた目を大きく開くと、背筋を伸ばして座り直した。
京子は、春希に勉強のため、寺社を多く見てほしいと思っていたはずだが、まだ子供なのだ。海の方が好きに決まっている。

京子はまだまだ縁起物を見たいようであったが、声をかけて車を置いていた駐車場に向かった。
俺におぶられて眠気と闘う春希に、「海はまた今度でもいいのよ?」と京子は話しかけたが、春希はぶんぶんと大きく頭をふって、「いやだ。きょういきたい」と言って譲らなかった。
「辰範さん、もう疲れたし帰らない?」という京子の言葉に答えず、俺は車にエンジンをかけると、車で7分ほどの場所にある材木座海岸に向かった。

海岸近くにある駐車場に車を止め、すでに眠ってしまった春希を背に担ぐ。
砂浜に降りてから、「春希、起きろ。海だぞ」と声をかけると、春希はすぐに目を覚ました。
「わあ、うみだー! ほんとうに、おおきい!」
春希は、俺の背中でばたばたと足を振って興奮した。
「すごい。ここから、江の島と富士山も見えるのね」
先ほどまで不満そうな顔をしていたが京子だが、ここからの景色を見て、すっかり機嫌を直したようだ。

俺は二人の様子を見て、ほっと安堵した。
会社の同僚には、有給休暇を取る手前、「家族サービスなんて困っちゃうよ」を迷惑な素振りを見せていたが、自分のプランが家族を満足させられるかどうか、心配があった。家族に喜んでほしいと思うと同時に、俺は「できる父親」でありたかったのだ。

春希を背から降ろすと、俺は波辺に腰を下ろし、波打ち際で笑い声をあげる春希と京子を見ていた。

──その時だった。
強い海風と共に、いくつもの紙が飛んできて、その内の一枚がちょうど俺の元に落ちた。
A4用紙ほどの大きさの紙を拾い上げると、そこには一粒の宝石がついた指輪のデザインイラストが描かれている。

「わぁー! すみません! それ、私のですー!」
声のする方を見ると、長い黒髪の女性が飛び散った紙を拾いながら、こちらに近づいてきた。
俺は、近くにある数枚を拾い上げると、彼女の元に歩いて行った。

「これも、飛んできましたよ」
拾ったデザイン画を束ねて彼女に差し出すと、ちょうど紙を拾い上げた彼女が顔を上げた。
「あ、すみません。ご親切に、ありがとうございます」
長い髪を左耳にかけながら、笑顔で彼女は礼を言った。
しかし、その後すぐに俺の顔をまじまじと見つめてきた。

艶やかな長い黒髪に、円らな漆黒の瞳。整った目鼻立ち、意思のある細い眉毛にローズ色の唇。
彼女は俗にいう美人で、見つめられた俺は、内心どきどきしていた。

「もしかして、辰範くん?!」
突然、彼女が俺の名を呼んだ。
「え?」
知らない美人に名前を呼ばれ、俺は記憶を遡った。一体どこで会ったのだ?会社関係者を思い返しても、全く思い出せない。

「その顔は、思い出せんのね。昔の女を忘れるなんて、ひどいわ。私、如月里砂子!」
彼女の名前を聞いて、一気に大学生の頃の記憶が蘇った。
里砂子は、大学1年の時、半年間付き合った女だ。

(つづく)

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