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『星屑の森』-KAITO-(7)

今度は、いきなり水中に落ちた。
身体がそこに落とされた途端、周りには無数の泡が生まれ、空に昇っていく。
手紙の文字に自由を奪われていない私の身体は、腕と脚をばたつかせて、何とか泳ぐことができた。

立ち昇る泡が小さくなっていくと、手紙を書き始めようとする先ほどの女性の姿が見えた。
幸い、便箋はまだ真っ白で、文字は書かれていない。
彼女は、万年筆を手にもっているものの、「うっ、うっ」とただ小さく泣いているのだった。

私は、やはり胸の奥に鈍い痛みを感じたが、今は彼女のことを気にしている時間はない。
とにかく、鏡台にあるという私の名前が書かれている書類を探さなければ。

先ほどは気が付かなかったが、落ち着いて周りを見渡すと、ここはベッドルームのようだった。
清潔なシーツが敷かれ、柔らかそうな枕が置かれた大きなベッドがふたつ並び、白い窓枠の細長いガラス窓から日が差し込む。
その窓に向かって小さな机と椅子が置かれ、そこで彼女は手紙を書こうとしている。
その彼女の背中から少し離れた場所に、こぢんまりとした和風の鏡台があった。

彼が言っていた鏡台とは、これのことか。私は平泳ぎの要領で両腕・両脚を動かし、それに近づいた。
洋風の部屋の雰囲気に、この鏡台だけが和の趣き。
この部屋の中で、この鏡台だけが部屋に馴染んでいない感じだ。
見方を変えれば、この部屋を受け入れていないのは鏡台の方で、一人頑なに自分の世界を守ろうとしているようにも見える。
鏡台は、細長な鏡を支えるように小さな台座があり、その台座の二つの引き出しには曲線の美しい金物の取手が付いている。
控え目で落ち着いた印象の木目調のそれは、大正アンティークを感じさせた。

鏡台の上は綺麗に片付いていて、一枚のカードがすぐに目に入った。
シンプルな真っ白い四角いカード。名刺よりも一回り大きなサイズだ。
そこには、こう書かれている。

『            予約票 

  4月21日 16時より。ご来店を心よりお待ちしております。
 
    磯貝 辰範 様
       京子 様
               ジュエリー 月蕾(tsubomi)
                 如月 里砂子
                Tel: 0467-xxx-xxxx
                Mail:tsubomi_jewelry@xxx.ne.jp

  ご結婚10周年、おめでとうございます! 
  当日は、良かったら春希くんも一緒にご来店くださいね。     』


──どういうことだ。
私への手紙の差出人が「里砂子」で、私の妻ではないのか?
この予約票を見ると、磯貝 辰範と京子という人物が夫婦のようではないか。
春希とは、一体誰なんだ?

私がカードを見て混乱していると、手紙を書き始めたらしい彼女が「かごめかごめ」を歌い出した。
すると、この水の様な世界に黒いインクの筋が落とされ、次第に文字を形成していく。
黒い一筋の糸はゆらゆらと踊りながら、次第に結ばれ、離れ、「明日の夜」という文字になった。

──しまった。早く自分の名前を見つけなければ、『彼ら』に捕まってしまう!
身体を完璧に作った文字たちは、獲物を見つけた隼のように、一気に私に向かってきた。
私にとってここが水の中でも、彼らにとってはここは空のようだ。
何の抵抗もなく、重力もなく、ただ自由に飛び回れるのだ。

早く自分の名前に触れなければ!
彼は鏡台の上の書類に、私の名があるといった。
この「予約票」がそうなのか? 「磯貝 辰範」という名が、私の名前なのか?
彼女が「里砂子」で、私の妻であるならば、違う名前であるはずだ。

しかし、他のものなど探している暇など、彼らは与えてくれない。
「くれぐれも、『彼ら』に捕まらないでくださいね。今度こそ、取り殺されるかもしれないので」
頭の中で、篠森カイトの声がした。

捕まったら、今度こそ死ぬ……!
「明日の夜」という文字たちが、私を飲み込もうと大きく帳のように身体を広げた。
(もう駄目だ!)
私は思わず目を瞑って、鏡台の「予約票」を両手で触れた。

その瞬間、私を襲ってきた黒い帳が何かにバチンとはじかれた音がした。
目を開けると、「磯貝 辰範」の文字が大きな壁となって私を守っていた。

──ああ、思い出した。
「磯貝 辰範」は、俺の名前だ。

(つづく)

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