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『星屑の森』-KAITO-(4)

私が渡した白い封筒を少し眺めて「宛名はないのですね」と言うと、彼は静かに封筒を開けて、中から折りたたまれた一枚の便箋を取り出した。
便箋を開くと、そこに書かれた文を読み上げる。


『 明日の夜、あなたと最初に出会った場所で待っています。
必ずいらしてください。いつまでも待っています。
                        里砂子』


手紙に書かれているのは、これだけだ。
便箋は、白地に月桂樹の葉、そして小さな黄色い花のイラストが書かれているもので、何の変哲もない市販されている普通のレターセット。
「里砂子」という名と柔らかな美しい文字から、手紙の差出主が女性だと分かるが、なにせその人物のことは何も思い出せない。

「篠森さん、これだけの文章から何か分かりますか? 『里砂子』という女性が、私を呼び出して頭を殴ったのでしょうか。『里砂子』とは、誰なんでしょう。私の恋人か何かなのでしょうか」
「さあ、どうでしょう。説明したように、僕はこの手紙の文字から記憶を読み取ることしかできません。なので、あなたが襲われた瞬間を見られるわけではありません。まずは、この手紙を書いた主のことを、聞いてみましょう」
「……聞くって、誰に?」
私がほけっと口を開けて尋ねると、彼はにっこりと微笑んで、右手を手紙の上に乗せた。

「あかいしさん。文字というのは、見た目以上に膨大な情報が詰まっているものです。文字は自分たちがどんな意味を持つか知っている。インクで書かれた時、パソコンで文字を打ち込まれた時、その瞬間に電気のようなエネルギーを生じて、書き手の思いは文字を通して紙に写り込むのです。『彼ら』の声を聞けば、記憶を探れば、自ずと手紙に込められた思いがわかる」
そう言い終えると、彼は突然、私の右手首を掴んだ。
いきなり強く掴まれ、私は思わず「なんですか?!」と大きな声を出したが、それと同時に真っ白な世界に落ちていった。


──ここは、どこだ?
私以外誰もいない、何もない、風も吹かない、どこまでも続く白い世界。
また頭を殴られたのか? 篠森カイトは、どこへ行ったのだ。

……それにしても、身体が重い。沼に落ちてしまったような感覚だ。見えない何かが身体にまとわりついている。

ピチョンと音がした。水音だ。
私のすぐそばに水滴が落ちて、真っ白な地面に黒い波紋を描いている。
私がその不思議な波紋に近寄り眺めていると、今度は連続してぽたぽたと水滴が落ちてきて、水たまりほどの黒い波紋がいくつもできた。
膝をついていつまでも鎮まることのない波紋を覗き込むと、揺れ動く波紋の向こうに人影が見える。

「篠森カイトは、私を置き去りにしてあんなところにいたのか!」
そう言って、私が手元の波紋をこぶしで叩くと、その瞬間、水が飛び跳ねるようにぐにゃりと曲がった文字が現れ、私の身体をまるっと波紋の中に引きずり込んだ。
私の前に現れたのは、「明日」という文字だった。私は「明日」にがんじがらめにされた。

黒い波紋の中は、水の中の世界のようで、思わず息を止めた。
波に合わせて揺れる風景。くぐもった音。息を吐けば、空気が球体となって昇っていく。
重い身体、からまる文字。私は全く動くことができずにいたが、視力と聴力だけは正常に働いていることに、少し安堵した。

先ほど、波紋の上から見えた人物は、篠森カイトではなかった。
どこにでもいそうな、善良な市民、質素倹約で貞淑な妻といった印象の女性だ。
彼女は、飾り気のないシンプルな薄い桃色のブラウスを着て、長い黒髪をひとつに束ねている。手紙を書いているのだろう。椅子に腰かける彼女の背中はすっと伸びて、どこか品を感じさせた。

手紙……。
そうか、私が今見ているのは、篠森カイトが言っていた手紙に書かれた「文字の記憶」というやつなのか!

(つづく)

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