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短編小説作品集1

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初期の短編小説集。物語の中の日常を伝えられますように。
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#毎日note

『茜空に待っているのは君のこと。』(4)完

『茜空に待っているのは君のこと。』(4)完

あの夏から10年経って、あの時の少女に再会するなんて、思ってもみなかった。

再会したあの日から、僕が店の手伝いに入るようになった水曜日、
会社帰りの朱莉が店にやって来る。

というよりは、僕が彼女に会いたくて、母に店のシフトに入れてくれと頼んだのだから、僕の方がやって来ているのかもしれない。

風が少し涼しくなった頃、秋桜(コスモス)の切り花が店に並んでいた。
それを見た朱莉は、僕が中学を転校し

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『茜空に待っているのは君のこと。』(3)

『茜空に待っているのは君のこと。』(3)

帰り際、少女に名前を尋ねられた。

僕は、名字をなんて言ったら良いのか決めかねて、「章大(あきひろ)。」とだけ答えた。

ここは、自然公園と名前はついていても、森の中も同然だ。

「じゃあね、テラシマ アカリさん。気をつけて帰ってね。」
そう声をかけて、僕は家路を急いだ。

少し駆け足で進んでいると、後方から「ありがとう!」と少女の言葉が聞こえた。

くるりと振り返ると、
「僕こそありがとう。」の

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『茜空に待っているのは君のこと。』(2)

『茜空に待っているのは君のこと。』(2)

あの夏のあの日、あまりの暑さに、近所のコンビニエンスストアまでアイスを買いに行き、
帰りは自然公園を通り、近道をすることにした。

その道中、道端のベンチの上に立ち、背伸びをしながら腕を伸ばしている少女がいた。

風が吹いたら、見てはいけないものを見てしまう気がして、地面に目を逸らす。

さっさと通り過ぎてしまおうかと思ったが、
白いワンピースを着て、麦わら帽子を被っている後ろ姿を見て、
僕は妹を

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『茜空に待っているのは君のこと』(1) (『夏の終わりに思い出すのは君のこと』番外編)

『茜空に待っているのは君のこと』(1) (『夏の終わりに思い出すのは君のこと』番外編)

僕は花の勉強をしていて、別の花屋でバイトしていたけれど、
その日は母が急に熱を出したので、ピンチヒッターとして、母の店で店番することになった。

閉店間際の夜 8時、最後にやって来た客が朱莉だった。

中学1年の夏休み、一度だけ会った女の子。
彼女がその女の子だとは、すぐに気が付かなかった。

当時、背中の半ば位まであった髪は、肩くらいの長さになっていたし、
黒くて艷やかだった髪も、明るいブラウン

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『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(9)

『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(9)

あの夏から、10年が経った。

私は大学を卒業して、今年の春、食品会社に就職をした。
まだまだ、先輩に教わることばかりだけれど、同期の翠月と桃華の頑張っている姿に刺激をもらい、何とか出来ることを少しずつ増やしている。

今年の夏は、猛暑だった。
営業のため、外周りをしていると、何度も意識が遠のきそうになる。

それでも、いつもの夏と同じ様に空は青く、蝉も鳴いていて、
私は毎日ガリガリ君を食べていた

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『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(8)

『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(8)

9/ 1、始業式の日。
制服に袖を通す。

夏休み中は、ワンピースにビーチサンダルが私の定番だったから、久しぶりの制服は、何だか窮屈だ。
夏休みが終わったことを、思い知る。

9月になったとはいえ、まだまだ蒸し暑く、
髪をポニーテールに束ねた。

学校へ行くと、「久しぶりー!」、「元気にしてた?」と、久々の再会を喜ぶように、クラスメイト達が戯れ合っている。

私の属する 1年 2組は、学校舎の一階

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『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(7)

『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(7)

彼は、何故、私の名前を知っていたんだろう。

不思議に思ったが、ベンチの上を見て、すぐに察した。
スケッチブックにも、色鉛筆のケースにも、
覚えたての筆記体の英語で、名前を書いたシールが貼られていた。

アキヒロくんは、これを見て、私がテラシマ アカリだと知ったのだ。

私は何てマヌケなんだろうと、笑えてきた。
突然現れた、知らない男の子。
私は知らないけれど、彼は前から私を知っていてくれた。

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『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(6)

『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(6)

間近でみる、初めての蝉を描き漏らすまいと、
色鉛筆を手早く持ち替えては、スケッチブックにその形を写していく。

隣にいる彼は、蝉の乗った枝を動かさないように、しっかりと手に握っていた。

もしかしたら、スケッチブックにのめり込む私を、もの珍しく見ていたかもしれない。

いつもなら、見られていたら、恥ずかしくて絵を描いてなどいられないけれど、
森と蝉の声に囲まれた世界には、二人だけしかいなくて、私達

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『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(5)

『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(5)

彼は、ベンチに座る私から少し距離を取り、
蝉の背を私に見えるように右手に持ちながら、立っていてくれた。

半泣きで、スケッチブックに絵を描き込む私を、彼は少し呆れた顔で見ている。

「虫苦手なのに、描こうとしてたの?」
と聞く声にも、それは滲んでいた。

「だって‥‥。
高所恐怖症だって、そこに橋があれば渡りたくなるかもしれないし、
お腹いっぱいでも、デザートは別腹とかいうし‥。」

私は、画用紙

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『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(4)

『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(4)

男の子の姿を確認すると、
私は、「アイスありがとうー!」と、彼に届くように、お腹に力を入れて声を出した。

少し先にいる彼は、その声が聞こえたらしく、手を振って応えた。

駆け足で私の元に来た彼は、
一本の木の棒を右手に持っていた。

私が、「それ、どうしたの?」と聞くと、
彼は、「これ、探してきた。使うの。」と、
ニヤリと笑った。

それは、まっすぐ細い木の枝で、30cmほどはありそうだ。
先が

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『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(3)

『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(3)

私以外の誰かが、この世界にいることを忘れていた。

私は、風が吹いたことで我にかえり、
ワンピースの裾を抑えると、ベンチから飛び降りた。

足の裏に、土がひやりと触れた。

「あ、あの‥、せ、蝉‥!」
いきなり知らない男の子がいたものだから、動揺して、咄嗟に出たのはそんな単語だけだった。

「蝉‥?」
男の子は、少し目を細めて首を傾げる。

ベンチの上に広がった、スケッチブックに気がつくと、
「あ

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『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(2)

『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(2)

ビーチサンダルを脱ぎ、裸足でベンチに体育座りをする。

描くのは、ここから見上げた、クヌギの木のあるの風景。

私は、膝の上にスケッチブックを抱えるように持ち、
ベンチの空いたスペースに、色鉛筆のケースを広げた。

青色の色鉛筆を手に取り、木の輪郭を書き始める。
木だからといって、茶色で書き始める必要はない。
今年の私の夏は、涼しいこの場所。
だから、青色がいい。

私は、クヌギの木の肌のゴツゴツ

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『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(1)

『夏の終わりに思い出すのは君のこと。』(1)

8月も終わりに差し掛かった頃、
秋めいた空を見ながら、蝉の声を聞く。

思い出すのは、あの夏のこと。

私が、中学一年生の夏休み。
「夏の風景を描く」という宿題があった。

両親は忙しく働いており、家族でどこかに出掛けるという予定がなかった私は、
家から行ける範囲で、描く対象を探していた。

夏休みに、区民プールへ一緒に行ったクラスメイトは、
祖父母宅へ帰省した際に、絵の宿題を済ませてしまったと言

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『ディスタンス―距離―』

『ディスタンス―距離―』

生まれる前、私は母の中にいた。

生まれてから、父と母は私の手を握り、私たちは繋がっていた。

外の世界が、不思議で満たされていると知ると、私は両親の手を離し、外の世界へ腕を伸ばした。
それでも、二人と手を繋ぎたくて、二人を探した。

弟が生まれる前、私は祖母に預けられた。
いつも、祖母が手を繋いでいてくれた。

弟が生まれると、私の手はクレヨンを握っていることが増えた。
一人でできることが、えら

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