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ずっと"誰か"に話を聞いて欲しかったのに"誰か"がいなかった【休職2か月目】

https://note.com/mina_career/n/nb1d83d70b506

↑これの続き

※自分用なので読みにくいです。お許しを

つながりの学校に入りまして、
初めてのセッション。

もう私は誰かにすがりたい思いだったから
コーチングとかセッションとか相談とか。
怪しそうで手を出してこなかったけど
信頼できる人にたくさん話を聴いてもらえるんだと思うと
もうそんな抵抗感気にしていられなかった。

でも意外と何も言えなかった。
それぐらい自分が相談下手だったなと気付いた。

その中でも
完璧主義の私と自由でいたい私の葛藤を紐解いてもらった。
それだけでもだいぶ楽になった。

12回あるうちの最初のセッションメモ

仕事を始めてからずっと続けていた完璧主義。
だってそれで今まで生きてきたから。
きちんとしないとダメだったから。

それと同時に、一人上京して自由にしたい気持ち
仕事仕事仕事じゃなくてのびのびしたい気持ち。
時間にルーズでいたい気持ち。

テレワークになってから比較的自由に時間を使えるようになった。
だから昼間にスーパーに行くこともあった。
その時の私の精神状態は
もうぎりぎりだった。

時間は自由に使えるから
夕方の主婦で混む時間を避けて
買い物をすることを選択したのに
「この間に仕事のメールあったらどうしよう」
「即レスできなかったらやばいかな」
「タスクの時間配分怪しまれないかな」
と、休憩時間なはずなのに
常に焦ってた。
常に緊張感があった。

オフィスで仕事をしている訳じゃないのに
常に責められている感じ。

これがずっと寝る時にも続いて
私の不眠や歯ぎしりを起こしていた気もする。


完璧に仕事をしないといけない。
常にパソコンに目を向けないといけない。
でもコーヒーを入れたいし
外にも出たい。
のびのび家で仕事をしたい。

それらは相容れないと思っていたけど
これらの2つの思考は
両極端だと思って葛藤を続けてきたけど

目指しているところは同じだった。

自分の将来を守りたいからという思いから生まれた
完璧主義な私と

その一瞬一瞬の変化を楽しく
コロコロと変わっていく変化を
流れるように楽しみたい
自由人な私がいて

どちらも自分の事を思っての
私だったことがセッションで分かった。

(なんでこれ一人で分かりそうなのに気づけないんだろう)
(自分が一番分かりそうで分からない)

楽しいを感じながら未来を守っていく
私の未来を守は何か形を作ること。
何か形あるものを残すこと。

だったら楽しみながら何か作っていけばいいじゃんか

セッションメモその2

この答えに辿り着いたというか
一人では考え付かなかった第三の道のようなものに
セッションの中で気が付いて
だいぶ気持ちが楽になった。

それから私はデザインするのが好きだったなあと思い出した。
その始まりは高校の時のクラスタオル。

自分一人でデザインして業者に発注して。

当時便利なアプリなんかないから
紙に書いたのをコピー機でスキャンして

そのスキャンデータだけでは業者さんには伝わらないから
一人一人名前をデータで送って。

これがすごく好きだったことを思い出した。

クラスタオルの元データ
製作したタオル

そこから自己満のロゴ作成を始めました。

でもつい最近まで会社の為に働いていた私。
デザインが好きだ!ロゴ作るの好きだ!

と思い出しても価値を他人に依存してしまう。

売れるロゴ、誰かに求められるデザイン、
みんなのを真似してやってみるデザイン

そうやってできたのは
The!canvaで作ったやつ!

なやつ。テンプレートの域をでないやつ。

休職して暇だったから無償でいろんな人のロゴを作ってみたけど
やっぱりしっくりこなくて(楽しいのは楽しい)

そこであるアプリに出会って、

今は人がいい!というのを作るんじゃなくて
自分がいい!と思うのを作ることがしっくり来てる。

この、「金になるロゴじゃないと!」
から抜け出せたのはsuzuriのおかげだった。

ロゴたち

suzuriは自分のロゴを商品にしてくれる。

私はこの消費の結末があることで
無意味なロゴを作ろうと、
自分の世界を生み出そうと
アクセルが踏めた。

後々の私の行きつく「食」の思想にもつながるのが
思い返せばこの時に感じ始めていた気がする。

わが子が卒業する未来が描けるから
その学校に入学させるように

わが子をこの土地でなら育てられると
故郷で出産するように

私は自分の生み出したものが
無事行きつく先があると
安心して生み出せる。

なんとなく気付いた。

とは言え、私はママでも何でもないので
わが子の例えは想像。
知らんけど。の世界。

ここまでが休職してつながりの学校に入って
起こった最初の出来事。

忘れないうちに書いとく、
そしてまだ続く、あと5ヶ月分の変化を書く。

↓休職3か月目のお話


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