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『腹を割ったら血が出るだけさ』 住野よる 作 #読書 #感想 ③

続き。3記事め。
ちなみに1記事めを公式マガジンに追加していただけたようです、、、!

この2つのマガジンです!!
私の作品以外に素敵な作品がたくさんあるので、本が好きな方はのぞいてみてください🌱





さて、感想に入ります。物語ももう終章です。


最後に、茜寧が自分を主人公に投影する『少女のマーチ』の作者である
小楠なのかさんに向けたインタビューがある。

「そうですね、もう一回が許される世界、を望んでいます。もう一度、分岐点の違う方を選び直せたり、足りないと感じた事柄を何歳からでも歩み直せる世界であること。そういった寛容さが、世代差や性差、環境の差による分断を少しでも修復していくのではと考えていますし、(略)」

381ページ:小楠なのかが望む世界


過去にこのことについてnoteを書いたことが何度かあったような気がしている。
これを読んでくださっている皆さんはどう思いますか?「もう一回が許される世界」を。

今の世の中を思い出してみると、
例えば芸能人の不倫。テレビや舞台に戻ってこれる人と、そうでない人が思い浮かぶよね。
例えば性犯罪を犯した人。そんなことをした人は死んで罪を償うべきだという人もいれば、反省して心を改めるのであれば社会復帰は認められるべきという人もいる。
例えばYouTuber。この世界はまさに、謝罪動画をあげれば"もう一回"が許される世界だろう。
例えば人を殺した人。そんなことをした人は死んで罪を償うべきだという人もいれば、反省して心を改めるのであれば社会復帰は認められるべきという人もいる。じゃあ安倍元総理を射殺したあの人は?どうでしょう?


「もう一回が許されてほしい」というのは住野よるさん自身の思いなのかな、と思ったりしたが。
私は「もう1回チャンスをあげる」とはなかなか言えない人間なので、誰かを簡単に許すことはできない。
いじめをした人は一生それを心に留めたまま生きるべきだと思う。だって加害者は誰にも罰せられていない。
レイプをした性犯罪者がこの世で普通に暮らしていたら、もう普通の生活なんてできなくなってしまったかもしれない被害者の人はどうなる?恐怖に怯えて生き続けるのだろうか。
不倫、中絶…..どこかのカップル2人だけの問題で、周りがとやかく言う(ニュースにする)ようなことではないとまず思っている。でも傷つけた側と傷つけられた側が存在している、それは確かである。


もう一回が許される世界で私は誰かを許したくはないし、誰かに許されたくもない。今のところそう思っている。





「小説に救われた」「物語の主人公はまるで自分のようだった」
そう思いながら本のページをめくり、ストーリーを心に浸透させてきた人はたくさんいるだろう。
私も過去に「小説に救われた」と思うことはあったし、「自分が言葉にできなかった感情を、ここまで綺麗な文章に落とし込める人がいるのか」と、自分の感情を言葉にしてくれたことに感謝したくなったし、こういうことを考えてしまう人は世の中に自分だけでは決してないのだ と安心させられたりもした。

皆さんはありますか?
手に取った本が、自分の運命を変えたこと。不思議と何度も何度も定期的に読み返したくなるようなこと。
物語の世界に入り込んで、主人公になったような気分を味わったこと。


小楠なのかさんはこう考えている。

「私は、物語が、小説が、誰かを救うなんてこと、ないと思ってるいるの」
(略)
「あなたの隣で起こる不幸を、紙の上で起こるストーリーは取り除けない」
大人なら誰もが諦めていることを、ただ復唱する。
(略)
人が人を傷つけるのを止める力が、人が人を蔑むのを止める力が。
小説や物語にはあると、かつて信じていたはずだった。
(略)
無数の物語が紡いできた想像力を、一つの悪意が台無しにする虚無感なんてあの頃は存在も知らなかった。

391ページ:小楠なのかの小説家としての思い


太字にした部分の(発言の)意図ってなんなんだろう。私の想像力では実際にどんな出来事があったのか?をあまり想像することができなかったのだけれど…..。

「一つの悪意」というのはいわゆる誹謗中傷や一方的な言葉の暴力のようなものなのかな?
だとしたら、私たちはお互いにお互いの特性や人生を想像するしかないけれど、
自分が想像したことをあくまで「こうなんじゃないか」と推測でSNSに展開して、その本当でない"ただの想像"を世の中に広く届けてしまうことだろうか。


ある人が なんらかの良くない言動をしてしまった背景というのは、その人にしか分からない。だからこそ私たちは想像するしかない。だけどこの(個人の脳内の)想像を他者に展開する前に、もしかしたら一歩立ち止まらなければいけないのだろうか。

自分の想像を、伝え方や文脈で誰かにとっての真実にしてしまわないか?
自分が憶測で発言したことが、拡散されるうちに真実になってしまわないだろうか?

それとも想像と憶測は、また別のものなのだろうか?



この物語の感想でさえ、私の「想像」でしかない。
主人公の気持ちを想像し、小楠なのかさんの思いを想像し、住野よるさんの意図を想像する。
私は想像することによって誰かを思いやっているつもりなのかもしれないけれど、そんなふうに考えてしまうことは傲慢なのかもしれない。

これを読んでいる誰かも、私が伝えたかったことを想像している。



完。

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