『腹を割ったら血が出るだけさ』 住野よる 作 #読書 #感想 ②
つづき。
昨日の感想を思い出せるような茜寧の姿。
鏡越しに自分を見て、"グロテスク"だと感じるその心が、分からないでもない。昨日も書いたけれど。
茜寧のことを思い出したところで、もう1人の主人公について触れておきたい。
アンチに対してこんなことを言っていた樹里亜。その一方でこのアンチからの声も自分の"ストーリー"だと考えるくらい、生きている自分の"ストーリー"を大切にしているこの主人公こそ、アイドルグループの一員である樹里亜である。
この発言、世の中の全アンチにぶつけたくないですか???
Twitterで言ってやりたくなる、しょうもないことを言って誹謗中傷を積み重ねている人たちに向けて(笑)
この本は樹里亜と茜寧という、自分のことを素直に ありのまま表現できない理由のある2人と、
自分らしさを理解し ありのまま全ての感情を表現する逢という1人の人間の対比といっても過言ではない。
樹里亜が会った事もない茜寧のことを想像して、逢に告げたことがある。
前回も書いたけれど、逢のような人間がこの世に何人いるのだろう。
純粋で、真っ直ぐで、自分の性質をありのまま認めて生きていられるような人間。
こういう人の話をされる時、私の頭の中で思い浮かぶ人は2人だ。
1人は予備校で出会った女の子。1人はインターン先で出会った社員の方。
私から見ればこの2人は、周りをとにかくハッピーにし、ほとんどの時間を笑顔で過ごし、誰に対しても優しく、自分のことを表現するのがとても上手だ。
彼らは逢のような人間なのか?そうだとしたら、彼らは鏡の向こうの自分が嫌いな誰かを、救えるような存在なのだろうか。
私も前はそんなふうに思えたのかもしれない。
でも今、言葉にしきれない渦に巻き込まれた世界で生きる私は こんな人たちも裏側で何かに苦しんでいるんじゃないか?と勝手な想像をせざるを得ない。
誰かと共に生きている自分を守るために、裏では戦っているのかもしれない。
こんなことを想像する余地もないくらい、自分の思うままに従って生きている小説の中の逢を、私は嫌いになることができない。
こんなふうに誰かのことを、「想像する」ことしか私たちにはできない。
そんなことが書かれたページがある。
この文章を全て解釈するだけの能力が私には備わっていないけれど。
いくら想像しても誰かのことを100%理解することなんてできないから、その人と直接向き合おうと努力するのに。それでも何らかの形で寄り添うことに成功するのは、ほんの一部だけだ。
想像は答えに辿りつかないとわかっていてもなお、誰かの人生に想いを馳せてしまう。どうにかしたい、今を変えたいというこの状況は同情なのか、自分のことをただ重ね合わせている何かなのか、それとももっと救いようのない考えなのだろうか。
心を曝け出せる存在が、誰しも1人くらい必要である。私もそうは思っている。
ただこれが最上の正解でもないのだろう。
本当の自分を隠して、守って生き抜くことこそが 自分を孤独にしない生き方なのかもしれない。
何より「自分は全てを曝け出している」→「だから相手もそうしてくれる」という思い込み、誤解が…..
人と人との関係性の歪みを引き起こすのかもしれない。
誰かに愛されたい、とまで茜寧のように願っていなくとも、誰かの特別でありたいという願いは人の心を歪めるのかもしれない。
本音ありのままは綺麗事だと思いながらも、心のどこかで目指したい世界である。