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加害者のこと、許せますか

今からすごく真面目に本の感想を書こうとしているにも関わらず、

今日も今日とてスーパーカップのホワイトチョコミント味を食しつつ片手で文章を打っている。

週3くらいでチョコミントスイーツを食べているが、(主にコンビニで買えるやつ)ぜひチョコミン党の方にはオススメがあれば教えていただきたい。

歯磨き粉味でしょ、なんて言わずにね。


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今日は知念実希人さんの「十字架のカルテ」という本について書きたい。

知念さんの本が好きで私はよく読む。知念さんは作家でもありそして医師でもある。

彼が書く本の多くが病院での出来事の話である。3年連続本屋大賞にもノミネートされている、私的には注目の作家さんである。


この「十字架のカルテ」という本は、とても重いテーマであり、あまり自分では考えたことのなかったテーマについて書かれた本である。

この本のテーマは、「精神障害者が犯した罪は許されて良いのだろうか」

そういうことである。主人公は精神科医の弓削凛。精神鑑定に興味があった彼女は、とある病院の委員長である影山司の下で、精神疾患の患者と向き合い様々なことを学んでいく。

彼女(弓削)自身、学生の頃に大切な友達の命を、解離性同一性障害を持つ女性に奪われていた。だからこそ、彼女は精神鑑定に興味を持っていた。

解離性同一性障害とは何か、いわゆる「多重人格」というものだ。

この本は短編集であり、彼ら2人の医師が様々な相手を精神鑑定していく話である。

彼らは最後の話でこの多重人格の女性を精神鑑定することになる。
それが何を意味しているか、私のこの文章では伝わらないかもしれない。


そう、この多重人格の女性は、弓削の友達を殺してしばらく経ったのち、
再び別の人を殺してしまったのだ。


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刑法三十九条
一. 心神喪失者の行為は、罰しない。
二.  心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

あなたの大切な人の命が奪われた。

けれど加害者は罪に問われない。不起訴になる。

加害者は心神喪失と判断される。加害者は本当に自分の罪を理解できているのかも分からない。

あなたは加害者のことを許せるだろうか?


本の中で弓削が多重人格の彼女を許すことができたかどうかについては、

どういう結論を出したのかについては、是非とも本を手に取って知っていただきたい。



私自身の答えを書くならば、おそらく答えはNOだ。

実際にそういう状況となって見なければ分からない、という部分ももちろんあるが、やっぱりNOだ。

多重人格者となる人の中には、幼少期に虐待を受けたことがある人が少なくないらしい。
この本に出てくる彼女も、幼少期に実の父親から性的虐待を受けており、彼女に生じたもう1つの人格は、その実の父親だったりもした。

心神喪失の状態となってしまった人自身には、本当は罪はないのかもしれない。

その人を心神喪失の状態としてしまった人にこそ、罪があるのかもしれない。

自分の子供が精神疾患を患っているなど、絶対に認めたくないという家族はこの話にも出てくる。精神面で障害を持っているというだけで、差別をしたりする人もいる。

人を普通か、普通でないかを障害があるかないかで判断する人は多いだろう。


心神喪失状態にあった人は、本当は罪を犯したいわけではなかったのかもしれない。

殺そうと思って相手を殺したわけではなかったかもしれない。

それでも、私は許すことはできないだろう。

怒りの矛先をどこに向ければ良いか分からず、ただただ憎しみの感情だけが残ってしまう、というような意味もある。

罰せられるべきなのは誰なのだろう。

裁かれるべきなのは誰なのだろう。


人の闇は、殺人を起こしてしまった人の闇は、なおさら理解し難い部分がたくさんあるだろう。
殺人を起こしてしまうくらい追い込まれた状態にいるのは間違いないし、生きているだけでどんどん闇深い人間になっている人だということは間違いないだろう。


それでもきっと、自分の大切な人を殺した人の、その人の"闇"を理解しようとは思えないだろう。

きっと加害者の"闇"を知ったって、何も変わらないだろう。
許せないという気持ちは、何も変わらないだろう。


🔁


ただ最近少し思うのは、「人の闇を知りたい」という気持ちが着実に私の中にある、ということである。

その人がどんな経験をしてどんな感情を抱いて、どんな過程を経て現在の性格や特性を持ったのか、純粋に知りたいのだ。

どこかで歪んでるんじゃないか、自分とは全く違うんじゃないか、と思う相手の心の闇を、覗いてみたいと思ってしまうのだ。

歪んだきっかけはなんだったのか、闇がなくなることはないのだろうか、逆に闇はずっと同じ状態のまま続いているのか、それとも徐々に深くなりながらその人はいつか闇に押しつぶされてしまいそうなのか....

単なる好奇心とかではなく、知りたいのだ。救いたい、というよりは分かりたい。
知っても分かっても何も相手にしてあげられることなんてないとは思う。
私に話したところで相手の心は軽くならないだろう。

それでも分かりたい。その相手に、他者に、"自分のことを深くまで知っている存在、分かってくれている存在"がこの世界にも1人くらいいることを、伝えたいような気がするのだ。


何が言いたいのかわからなくなってきたけれど、精神科医になるというのは、私の1つの夢であったことは間違いない。



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