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私にとっての阪神 『細雪』との出会い


生まれも育ちも関東で、親戚も関東圏内にしかいない私の境遇からは、谷崎潤一郎の『細雪』という作品は、関西という文化圏を初めて知る作品だった。

大学2年のとき、一つの文学作品を深く掘り下げる演習科目で、平安時代の作品を扱う演習の抽選にもれ、不本意ながら『細雪』を読む演習を受けることになった。

そこで学んだことの少しを思い出してみると・・・

『細雪』は、時代が太平洋戦争に向かっていこうとする昭和初期の、大阪船場の旧家蒔岡家の美しい四姉妹

−−−父親の代で商売が傾き、店も人手にわたってしまいながらも、家の格式と体面を守ろうとする長女鶴子、婿をとり芦屋に分家した華やかな気質の次女幸子、おっとりとしながらも何を考えているのかよくわからない三女雪子、旧家のしきたりや伝統的な価値観を嫌い、自由奔放に生きようとする四女妙子−−−

について、三女雪子のいくどとなく繰り返される見合い話を中心に描かれている。

谷崎潤一郎は東京日本橋で生まれ育ったが、関東大震災を機に関西の阪神地区に移り住む。そこで、東京の江戸っ子気質の文化とは異なる、阪神の文化に注目し、その感慨を「私の見た大阪及び大阪人」という随筆にまとめる。

また、「陰翳礼賛」「恋愛及び色情」という随筆において、西洋と比較した日本の“隠の美”を特長とする文化や女性のあり方について言及し、その集大成ともいうべき作品が『細雪』であったという。


谷崎潤一郎は、『細雪』の執筆の前年に『源氏物語』訳を完成させており、『細雪』は谷崎と妻と妻の美しい姉妹たちとの生活を、女性たちに囲まれて暮らす光源氏風に描いたとも言われているが、それ以上に、東京人の谷崎からみた阪神地域、ここでは船場と芦屋の中上流家庭の暮らしぶりや価値観が克明に描かれている。

物語の冒頭で、三女雪子の見合いに出かけるために、付き添い役の次女幸子が身支度を整えているシーンで、見合い相手の性格や人柄以上に、勤め先、給料、財産などの経済状況について、つまびらかに話しをしている。

谷崎は「私の見た大阪及び大阪人」で、フランス文学では登場人物たちの経済状況を説明する習慣があるとし、それと同じようなことが大阪の生活の中にもあると言及している。

幸子の芦屋の家では、夫と一人娘と、ある事情で転がり込んできた雪子と妙子たちとともに季節折々の年中行事を行うシーンがあるが、これもすでに戦前の東京ではあまり行われなくなったものとし、いまだに阪神近郊ではきちんと行われていることに、谷崎が感心していることに由来していると考えられる。


見合いにおける雪子のイエスorノーをはっきりさせない曖昧な態度も、内気であるが故の独特な美しさについても、谷崎は次のように説明している。

芸者に限らず関西の婦人は凡てそういう風に、言葉数少なく、婉曲(えんきょく)に心持を表現する。それが東京に比べて品よくも聞え、非常に色気がある。おまけに前にも述べたようにあの粘りっこい、潤い(うるおい)のある声でやんわりと来るのだから、なお以って余情と含蓄がある
・・・中略・・・大阪語には言葉と言葉との間に、此方が推量で情味を汲み(くみ)取らなければならない隙間(すきま)がある。・・・中略・・・大阪のは言葉数が多くても、その間にポツンポツン穴があいている。・・・中略・・・さすがに関西の婦人の言葉には昔ながらの日本語の持つ特長、−十のことを三つしか口へ出さないで残りは沈黙のうちに仄か(ほのか)にただよわせる、−−あの美しさが今も伝わっているのは愉快だ。

『谷崎潤一郎随筆集』(岩波文庫)「私の見た大阪及び大阪人」155、157、158ページ
心の奥のある愛情−−あるいは慾情—を、出来るだけ包み隠して、一層奥の方へ押し込んでしまおうとする時に、かえってその心持が一種の風情(ふぜい)を帯びて現れる。

同「恋愛及び色情」76ページ


誰かが『細雪』を「病の文学」と評していたのだが、たしかに終始、病の話題に事欠かない。雪子の見合い相手の母親が精神的な病にかかっているとか、幸子が流産するとか、妙子の交際相手が炎症性の病気で亡くなるとか、妙子自身が腸チフスにかかり入院したり、身ごもった子を死産したり。極めつけは、結婚の決まった雪子が東京に行く電車で下痢が止まらないという描写で、物語は終わる。

また、時代が太平洋戦争に向かっているなかで、雪子の縁談がうまくいかなかったり、自由奔放な妙子の行動や異性関係が常に蒔岡家悩みの種であったりすることは、旧家の没落を象徴するようで、読んでいて感じる景色がなんとなく、暗い。しかしその一方で、姉妹たちが和装、洋装で出かけるシーンはなんとも美しい。

これこそが谷崎が「陰影礼賛」の中でいう“隠の美”ではないか。

諸君はまたそういう大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光が届かなくなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げかけているのであるが、私は黄金というものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。・・・中略・・・私は前に蒔絵というものは暗い所で見てもらうように作られていることをいったが、こうしてみると、啻に(ただに)蒔絵ばかりではない、・・・中略・・・僧侶(そうりょ)が纏う(まとう)金襴の袈裟(けさ)などは、その最もいい例ではないか。・・・中略・・・由緒(ゆいしょ)あるお寺の古式に則った(のっとった)仏事に列席してみると、皺(しわ)だらけな老僧の皮膚と、仏前の燈明の明滅と、あの金襴の地質とが、いかによく調和し、いかに荘厳味を増しているかが分るのであって、それというのも、蒔絵の場合と同じように、派手な織り模様の大部分を闇が隠してしまい、ただ金銀の糸がときどき少しずつ光るようになるからである。

同「陰影礼賛」198〜200ページ

これを読んだとき、四姉妹の「蒔岡」という家名は、「蒔絵」そのものであることを理解した。

このように、おそらく谷崎は、明治以降の近代化が進むなかで、生活の西洋化、工業製品の大量生産、画一化で失っていく日本的な美を、阪神の暮らしのなかで見出し、“滅びゆく美”として『細雪』という作品に残そうとしたのではないか、ということを演習で学んだ。

『細雪』だけを読んだだけではわからなかった作品のテーマや作者の思いなどに触れ、おもいがけず、近代文学の作品の読み方、解釈の方法の面白さを学んだ。

また、“谷崎の目をとおした阪神”ではあったけれども、私にとってはまったく縁がなかった土地の風土や生活を知り、東京との違いを感じることができた、実り多き演習であった。

* * *

『細雪』は上中下巻からなるかなりの長編で、演習で使ったテキストは中央公論社の「日本の文学」という全集もので、2段組で600ページ近くある大作である。これを全部読むのにはかなりの時間と労力を要するが、映画や舞台、テレビドラマ化されているので、そちらでも十分に楽しむことができる。

私も演習を受ける際、あらすじを知ろうと思い、中学のときに話題となった市川崑監督の映画「細雪」をレンタルビデオで借りてきて、みた。

比較的原作に忠実ではあったが、三女雪子を演じたのが吉永小百合さんで、吉永さんの透明感ある美しさを強調する仕立てになっており、原作にひそむ“隠の美”や“滅びの美”を感じることはできなかった。

ちょうど今年の1月、NHKのBSプレミアムで、ドラマ『平成細雪』が放送されていた。演習で学んだことを思い出しながら毎週楽しみにみた。ドラマの脚本家は谷崎の「私の見た大阪及び大阪人」あたりは読んだのか、そのことがうかがえる台詞が、随所に散りばめられていた。

このドラマでは、時代をバブル経済が崩壊した直後の平成の初めに設定している。先ほども触れたように、谷崎の原作では、姉妹たちの美しい何気ない日常生活の裏側に潜んでいる太平洋戦争へ向かっていく時代の暗さがあるのだが、平成を舞台にしたドラマでは、それをどのように表現するのだろうと気になっていた。

原作には、姉妹たちが着物を着て京都へ桜をみに出かけるシーンがある。市川崑監督の映画でも名場面の一つとなっているシーンなのだが、ドラマでは、桜ではなく紅葉に置き換わっていた。それが何を意味するのか。

ドラマの終盤では、妙子の交際相手の死や、妙子の妊娠と死産、長女鶴子の夫が東京への転勤を言い渡されたことで、姉妹たちが育った船場の本家を処分しなければならないなど、これでもかというくらいの失意の出来事が四姉妹を襲う。

それでも姉妹たちは、美しく前を向いて歩いて行こうと紅葉の下で決意するが、次の季節にやってきた平成最初の試練とも言うべきあの未曾有の災害を匂わせてドラマは終わる。

“桜”が“紅葉”に置き換わったことの意味を知るとともに、やり切れない気持ちが残った。谷崎の意図した“隠の美”や“滅びの美”とは違うけれども、私たちが生きてきた平成のなかで、あの暗さを表現しようとすると、こういうことになるのか・・・と、その終わり方に胸を突かれた。


四姉妹を演じた女優たちには多少いいたいこともあるけれど・・・。

それにしても、つっぱり少女役(「つっぱり」という言葉も、今の若い世代ではその意味を知る人もいないのでは?)でデビューした中山美穂さんが、誇り高い長女鶴子を演じるとは、時代も変わったものだ。

あのはっきりした目鼻立ちで、姉妹たちに家の格式や威儀を言い聞かせるシーンは、船場の“御料さん”(商家の若奥さんという意味)というよりは、“極妻”にしか見えなかったは、私だけだろうか。

* * *

船場といえば、以前勤めていた職場の大阪支社が心斎橋の博労町にあり、初めての出張で訪れた際、その先に南船場という交差点があるのを見て、「あの細雪の舞台になったところだ・・・」と感慨深い思いに浸ったことがある。

先年、天神橋筋商店街でたこ焼きやを食べて、天満天神繁昌亭で落語をきいて、天神さまへお参りし、商店街を突き抜けたところで、「曽根崎通」という看板を見つけたときは感動した。

浄瑠璃の「曽根崎心中」とどの程度関係があるのかはわからなかったけれど、文学を通してしかしらなかった土地を、実際にこの足で踏めたことは、私にとっては意味のあることだった。

宮本輝の「錦繍」の御堂筋、須賀敦子の夙川など、阪神地区は私の青春時代をともに過ごした文学作品ゆかりの地であり、ほかにも訪れてみたい場所がまだたくさんある。




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