リンナとカンナ
※この作品は、 noteが開催している #創作大賞2023 に応募しています。
【あらすじ】
【プロローグ】
朝から、姉が起こした殺人事件でワイドショーは持ち切りだ。
母はテレビでそのニュースを見るなり「私が……、私があの時……あの時引き取っていれば……」と泣きわめきながら、その場へ崩れ落ちた。
まったく、私は今受験勉強中だってのに。母が煩くて、これでは勉強に集中できないじゃない。そもそも今まで勉強を頑張ってきたのも、母に褒めてもらいたかったからなのに。
お姉ちゃんは、いいよね。人を殺しても、お母さんに心配してもらえるんなんて。私なんて、こんなに一生懸命勉強しても、ちっともお母さんに目を向けてもらえないのよ。
お姉ちゃんのことで震える母の背中を見る度に、イライラが募るばかり。とにかく私は、勉強に集中するためにも、まずは母を黙らせなければならない。母の心を落ち着かせるためにも、私は一声かけることにした。
「お母さん。落ち着いて。お母さんは、何も悪くないの。悪くないから……。」
母を諭すように、私は母の肩をポンと優しく叩いた。母は嗚咽とともに、泣きじゃくって止まらない。
そんな母の背中をさすりながら、娘の殺人事件で落ち込む母を、優しくなだめる私。ああ、私ってなんて優しい娘なんだろう。なのに、どうして母はそんな心優しい「私」のことをちっとも認めてくれないんだろうか。
「あなた、お姉ちゃんがこんな事件を起こしているのに。よく冷静でいられるわね。やっぱり、私が『ちゃんとした子』を産んであげられなかったから……」
ちょっと待って。「ちゃんとした子」って、どういうこと?私の眉間が、ピキッと音を立てる。
確かに私は、普通の子よりちょっと発達にも問題があったみたいだし、お母さんに苦労をかけていたのはよく理解しているわ。でも。でもね。私だって、お母さんに認めてもらいたくて、頑張って必死に勉強してきたのよ。
私はね。世間一般で俗に言われる「普通の子」に負けないように、人一倍勉強してきたの。
それでもお母さんは、「あなたは、少し他の子とは違うから」と言って、何をやっても褒めてくれなかった。むしろ、一生懸命勉強する私を見て、いつも怯えるような顔をしていたよね。
部屋にこもり、友達も作らず勉強してきたのは、あなたにただ一言褒めてもらいたかっただけなのに。なのに。あなたは、そんな私を見てこう言ったのよ。
「母さんね、心配しているの。あなたが爆弾でも作成して、そのうちとんでもない事件を起こすんじゃないかって……」
それって、つまり。私のこと全く信用していないし、認めてくれないってことよね?
私が一生懸命勉強して得た知識を、爆弾作成になんか使う訳ないじゃない。どうして、お母さんに褒めてもらうためにこんなに頑張っているのに、そんな悲しいことを言うの?
悔しくて、辛くて、この発言を母から聞かされた日は、一晩中涙が溢れて止まらなかった。私は一体、何をどう頑張れば母に認めてもらえるのだろう。
いつも母は、離れて暮らすお姉ちゃんのことで頭がいっぱい。私からすれば、そんな姉の存在は目の上のたんこぶでしかなかった。
「お姉ちゃんはね、私たちとはそもそも血が繋がっていないの。だから、お母さんは何も悪くないのよ。悪いのは、お姉ちゃんを選んで引き取ったお父さん。」
私はそういって、母の目をじっと見つめてクスっと笑った。そんな私の表情を見て、母は小さく肩を震わせている。
「それでも、私にとってはほんの一時でも、確かに娘だったのよ……。あなたには、私の気持ちなんてわからないでしょうけどね」
母はそう言って、私をキッと睨む。私は母にとって「本当の娘」なのに、血の繋がりすらない「姉」の方が大事なのね。へぇ。母の姿を見ても、もはや乾いた笑いしか起こらない。
「お母さん、一体何が悲しいのよ?お姉ちゃんはね、人間じゃないの。もともと、ただのAIロボットでしょう?」
「違う。ただのAIロボットなんかじゃないわ。少なくとも、あなたよりは人間の心と血が通っていた。あの子は、とても優しかった。思いやりもあった。あなたとはね、根本から違うの」
淡々と、静かに私の顔を見て語る母の姿がそこにあった。なぜ。一体どうして。こんなに私はあなたのために頑張ってきたのに……。どうして、お姉ちゃんばっかりなのよ!
私は悔しくて、悲しくて、仕方なくて。気がつけば、近くにあったハサミを手に取り、母の腹部目掛けて勢いよく刺した。
「なんで……。どうしてお姉ちゃんばかりなのよ……」
母の腹部からは、ドクドクと鮮やかな鮮血が滴り落ちる。両手に流れる母の流血を確認した私は、雪崩のようにその場へ泣き崩れた。
由香里
山本由香里は、30代半ばで出会った男性「佐藤義男」と結婚。佐藤との出会いは、中学からの親友「夏美」からの紹介だった。
「そろそろ由香里も35歳だし、早く結婚して子どもを作った方がいいよ。今度、いい人紹介するから会ってみない?」
「子ども……。私、子どもあんまり好きじゃないし」
気がすすまない私に対し、夏美は「みんな、最初はそう言うのよね。でも、子どもができると可愛いわよ」と一言。
はたして、本当にそうだろうか。思い起こせば、私は生まれてこの方、父親からも、母親からも「かわいいね」だなんて、一言も言われたことがない。そもそも父と母はいつも喧嘩ばかりで、私のことなんてちっとも見ていなかったように思う。
美人でプライドの高い母は、いつも私を見るなり「私に似ていれば、もっと綺麗だったのにね。残念」と言い放った。
母によると、私は父親に似て団子鼻、一重まぶたの小さな目だから、申し訳ないとのこと。ケラケラと笑いながら、冗談交じりに「綺麗に産んであげられなくてごめんね」と言う母のことが、私は心底嫌いだった。
そんな私が、結婚して子どもを産み育てても。可愛がることができるのだろうか。正直、子どもを大切に育てることに、全く自信がなかった。
本当のことを言えば、子どもなんて作らずに、愛する男性と2人で静かに暮らしたい。でも夫の義男は、「母に孫の顔を見せたいから、子どもが欲しい」と言う。
仕方なく、私は義男と結婚してすぐに妊活を始めることにした。
しかし、妊活をスタートしても思うように結果が出ない日々。義母からは「孫の顔は、いつ見れるの?」と、定期的に言われる始末。私はストレスで、徐々に体調を崩すようになる。
そんな私の姿を見かけて、夏美が「不妊治療を始めてみたら?」と声をかけてきた。気は進まなかったが、このストレスから解放できるならと、義男と一緒に不妊治療をスタートすることになった。
不妊治療を始めるにあたり、私は義男を連れてクリニックの説明会に参加した。説明会では、卵子が年齢とともに劣化するだの、卵子の数が減少するだの。そんな話ばかり。
60代半ばの男性医師が、女性の年齢に対するデメリットばかりをここぞとばかり力説している光景に、私はうんざりした。説明会では、そんな医師の話を必死になってメモする女性達で溢れかえっている。会場の空気に違和感を覚えた私は、説明会の途中で退散したい気持ちで胸がいっぱいだった。
「女性の年齢で、こんなに妊活が難しいだなんて。こんなことなら、もっと若い女性と結婚すればよかった」
説明会の帰り際に、義男がボソッといった言葉が胸をチクリと刺す。不妊治療なんて、そもそも女性側の負担の方が多いというのに。あなたが子どもを欲しいというから、私は意を決してチャレンジしようとしているのに。
なぜ、私ばかりが責められなければならないの?辛くて。悲しくて。その日は、まともに義男の顔を見ることができなかった。
その後、私たちは義男と体外受精に何度も挑むこととなる。残念ながら、どんなに頑張っても、一向に良い成果は得られなかった。おまけに、排卵誘導剤の度重なる使用で、身も心もすっかりボロボロになる始末。
そんな私を見かねた義男は、「妊活はやめて、もっと他の方法を考えないか?」と私に囁いたのである。
「他の方法って。不妊治療の他に、一体何があるっていうのよ」
「もっと簡単かつ、スムーズな方法で子どもを授かる方法を見つけたんだ」
夫は顔をニタニタさせながら、私にある一冊のカタログを渡した。カタログには「AIロボットのサブスクリプションで、我が子を手に入れよう」というタイトルが書かれており、正直「なんて、下品極まりないタイトルなのか」と、私は落胆した。
夫から渡されたカタログを、「ふぅ」とため息をつきながらパラパラとめくってみる。カタログには、AIロボットのサブスクリプションサービス内容、料金について細かく記載されていた。
我が子を、AIロボットで代用させようとしているなんて……。この夫はそこまでして、一体なぜ子どもが欲しいと思っているのだろうか。
そもそも夫が子どもを求めているのも、「私の子」が欲しいからではない。義母から「孫」を懇願されていることと、世間体のために欲しいだけ。だから、私が排卵誘導剤の使用で体がしんどい時も、家事を一切助けてくれようとはしなかった。
義母からの電話に対しても、「今、不妊治療しているところだから」とコソコソ対応しているのも、本当は知っている。一人息子の長男である義男が、義母からの「孫はまだか」という言葉に、ずっと肩身が狭い思いをしていたことも。
「そんなことまでして、本当に子どもが欲しいの?」
「これを頼めば、もう俺たちは母からの『孫はまだか』という言葉に、もう振り回されずに済むんだ。1年10万円なら、そう高い値段でもないし。それにサブスクリプションなら、嫌になったら返却できるだろう」
「でも、AIロボットはどんどん成長していくんでしょう?そんな姿を見て、気軽に返却できるものなのかしら?それに、一度レンタルしてしまった以上、返却したら『あの子は?』って周囲から聞かれないかしら?」
「由香里はちょっと、心配性すぎるんだよ。世の中はね、どんどん便利になっているんだ。AI技術はこれから発展を遂げるだろうし、きっと今後は体外受精のように、AIロボットの子どもも増えていくんじゃないかな」
「……」
義男の強引な誘いに根負けした私は、AIサブスクリプションサービスで女の子の赤ちゃんロボットをレンタルすることとなる。赤ちゃんには、2人で「凛とした美しい女性になれますように」という願いを込めて「凛菜」と名前をつけた。
まさか、その一年後に実の子「環奈」が生まれるだなんて。
凛菜
私は、AIロボットの凛菜。私の製造先は、AIサブスクリプションサービスを展開する「MENNTA」。私はこの「MENNTA」を経由して、佐藤家にレンタルされ、「長女の娘」として暮らしている。
「MENNTA」のスタッフによると、私はどうやらAIの中でも超優秀らしい。なんでも、他のAIにはない「感情」を持っているのだとか。
その一方で、感情を持っているからこと、いざという時にトラブルを生む恐れがあると言われ、他のAIロボットが平均「年間100万円以上」のレンタル料金がかかるのに対し、私は格安の「年間10万円」。
私がレンタルされたキッカケは、佐藤家に子どもが恵まれなかったから。
「この子は赤ん坊のうちから、落ち着いた雰囲気をしているね。あまり泣かないから、育てやすいし。成長が楽しみだな」
赤ん坊ロボット姿の私を見て、育ての父こと「佐藤義男」は、呑気にこう答えた。人間はいつも、自分の都合がいいように物事を解釈するから、つくづく勝手な生き物だ。
「MENNTA」は、私の人工知能チップに「本来の年齢は30歳だが、0歳から少しずつ成長していく過程を演じるように」と初期設定している。つまり私は姿が赤ん坊だったとしても、精神年齢は決して「赤ん坊」ではないのだ。
私の初期設定と「精神年齢30歳」としている理由は、成長の過程で「バグ(故障or不具合)」を起こさないため。人工知能には、周囲に溢れる言葉や映像、画像を記憶して育っていく性質がある。
AIは最初からまっさらの状態だと、記憶する言葉、映像によっては凶暴化するなど、危険を生む恐れがある。初期設定をしっかり行うことで、環境に伴う悪影響を最小限にとどめることができるのだ。
ただ、いくら初期設定をしても、数多くの凶暴な言葉、刺激を与えれば悪影響を受けて、悪い方向に人工知能が成長してしまう可能性も否めないとも言われている。
本来なら、この注意点についてもMENNTA側が周知する必要があるだろう。ところがMENNTAは、この「人工知能がもたらす悪影響」が起こる恐れについては消費者へ一切報告していない。なぜならMENNTAは人工知能、AIロボット業界で、国内シェア率ナンバーワンを狙っているからこそ。
ネガティブな情報は、売り上げを落とす要因のひとつとなる。悪い情報は排除して、少しでも「いい評判」といったポジティブな情報を流すことが、商品のイメージアップに繋がるというのが、MENNTAの考えだ。
そこでMENNTAは少しでも売り上げを伸ばすために、AIロボットをインフルエンサーにモニター利用させ、感想をTwitter、InstagramといったSNSへ積極的に拡散。
フォロワーの多いインフルエンサーを宣伝へ多く起用したことにより、今や「#MENNTA」は連日トレンド入りを果たしている状況だ。
もちろん、有名になれば悪い情報が出ることも避けられない。MENNTAのAIロボットは、開発ままならない状態でサービス提供を開始してしまったため悪い方向に進んでしまう、または「バグ(故障、不具合)」が起きるケースも日常茶飯事。
なかには、レンタルロボットの知能が発達しすぎたせいで、爆弾を作成してテロ行為を起こしたという危険なニュースも。
ところが「MENNTA」は、商品トラブルがあった場合も大きな問題になることもなく、順調に業績を伸ばしていったのである。その理由は、悪い情報が流れそうになったら、すぐに「新サービスのお知らせ」を提供することで、火消しを必死に行ってきたからだ。
トラブルが起きても「火消し」に奔走してきた企業が作った「私」だからこそ、私自身も正直「いつ自分が壊れるのか」と怖くて仕方ない。おまけに、私を育てているのが関係が不安定な「佐藤夫婦」だからこそ、いつ何らかのトラブルに遭遇して自分が「問題」を起こすのではないかと、心配でならなかった。
さらに身の危険を感じたのは、佐藤家が私をレンタルした1年後に、実の子ども「環奈」が誕生した時である。
この「環奈」という女は、佐藤夫婦の「本当の子」ではない。環奈の父親は、この家で暮らす父「義男」ではなく、母「由香里」が不妊治療で出会った別の父親との娘だ。そう、母は他の男と不倫をして、子どもを身ごもったのである。
そして不妊の原因も、自分ではなく「義男」にあることを、母はよく理解していた。不妊治療クリニックで、母は医師から父の精子に問題があることを指摘される。母がそのことを父に伝えても、「俺のせいじゃない」と一向に聞いてもらえなかったのである。
母はその時、ふと思ったのだろう。他の男性となら、もしかしたら赤ちゃんが授かれるのではないかと。それにしても、不妊治療クリニックで出会った男と不倫関係に落ちるなんて、あまりにも愚かな話だ。
母は、私と環奈を連れて、その男とマメにデートを重ねていた。周囲からは、おそらく「どこにでもいる、ごく普通の平和な家庭」に映っていたのかもしれない。
男の話を聞く限り、どうやら母と同じように夫婦関係が上手くいっていないようだった。男の話によると、妻の不妊治療が上手くいかずノイローゼ状態になり、家に帰るのが億劫になってしまったとか。だからといって、クリニックで出会った他の女に手を出すとか、まったく。世も末といったところだ。
「環奈」が生まれるなり、両親は私そっちのけで彼女を可愛がるようになった。そりゃ、AIロボットよりも実の子の方が100倍可愛いだろう。わかっているものの、いざ自分が親から急に放置されるのは、とても悲しいものだ。
それにしても、人間とはつくづく勝手な生き物である。便利な技術が生まれたら人の欲望を満たすために使い、お金に変えようとする人間のなんと多いことか。
私は所詮、この夫婦の「子どもが欲しい」というエゴに振り回されているだけの存在だ。もちろん、彼らが返却したいと言えば、私は「MENNTA」に返却される可能性もある。そもそもこの夫婦が「MENNTA」へ私を返さないのは、世間体を気にしているからこそ。
佐藤夫婦は、私をレンタルした瞬間に周囲へ「子どもができた」と、伝えている。世間の目がある限り、いくらレンタルしているからとはいえ、そう簡単に返却することはできない。
私は夫婦の考えを考慮し、大人しくこの状況を見守ることにした。やっとの思いでできた我が子と、幸せなひと時を過ごす夫婦のことを、温かい目で見守っていこうじゃないかと。
ところが、風向きが変わったのは環奈が生まれて3才になった頃だった。
環奈は他の子より発育が遅く、言葉もなかなか覚えることができなかった。
心配に思った両親が検査を受けたところ、環奈に脳の障害があることが発覚。そこから手のひらを返したように、父「義男」の態度が急変したのである。
今まで環奈にベッタリだった父は、今度は私を急に可愛がるようになった。父が家に友達を招いた時も、環奈を鍵付きのクローゼットに閉じ込め、私のことを「うちの娘」と紹介する始末。父の対応には、流石の私も呆れてしまったよ。
私は心配になり、クローゼットに閉じ込められた環奈を迎えに行くことに。もしかしたら、1人で暗いところに閉じ込められて、怖くて泣いているかもしれない。環奈、血は繋がっていないけれど「お姉ちゃん」が迎えに行くから、そこで待っていてね。
クローゼットの鍵が保管されている場所は、父の行動を普段から記憶していたので、すぐに見つけることができた。こういう時は、我ながらAIで本当に良かったと思う。
「環奈、もう大丈夫だからね」
クローゼットを開けると、薄暗い空間の中でジロッと睨みつける環奈の姿がそこにいる。ニヤッと笑みを浮かべる環奈があまりに不気味すぎて、私はしばらくその場に立ちすくんでいた。
「暗いところに閉じ込められていて、怖くなかったの?」
心配して話しかけても、ケラケラと不気味に笑う環奈。その時に、「この女は普通じゃない」と私が悟ったのは言うまでもない。
その後、両親こと「佐藤夫婦」は私たちが原因で離婚することとなる。離婚の理由は、父が「実の子」である環奈に冷たく当たる姿を見て、母が耐えられなくなったことが原因。
「どうして実の子に、そんなに冷たく当たるの?なんで、ロボットの方を可愛がろうとするの?」
「だって……。そんな育てにくい子を育てても、将来自分たちの面倒を見てくれないかもしれないし」
「自分たちの面倒を見てもらうために、子どもが欲しいと思っていたの?それなら、あなたかなり最低よ!」
「い……いや。そうじゃなくて……」
父と母は、いつも私たちのことで喧嘩ばかり。私を製造したMENNTAでは
「子どもは、親に幸せを与える存在である。親の前では、いつも笑顔を絶やさぬように」
と、何度もインプットされ続けてきたというのに。実際のところ、現実では子どもが原因で喧嘩している姿しか見たことがない。
もしかしたら、本当は「私」さえいなければ、環奈と家族3人で幸せに過ごせていたのではないかと、ふと思うこともある。夫婦が私たちのことで大喧嘩している時は、いつも何処かへ消えてしまいたい気持ちで胸がいっぱいだった。
離婚後、父は実の子よりも、優秀で育てやすい「私」を引き取ることとなる。母は、やや発達に遅延のある環奈を引き取った。
母がAKBの私より、実の子を大切に思っていたのは、正直わかっていたはず。母からすれば、体を痛めて産んだ実の子の方が、大切なのは仕方ない。
そんな母でも、私と別れる最後の日には「元気で」と囁きながら、何度も抱きしめてくれた。母は私より環奈贔屓だと思っていたが、私にも一応「愛情」は持っていたようだ。
「あなたはロボットだけど、人より『人間らしい心』を持っているから。きっと幸せになれるはず。私たちなんかよりも、絶対に幸せになるのよ」
母が言ってくれた言葉は、いまでも忘れられないまま。
離婚後、父はすぐ他の女と再婚した。後でわかったことだが、父にはどうやら母の他にも女がいたらしい。しかも、私たちと一緒に過ごしていた頃には、その女としばらく不倫関係を続けていたそうだ。
まぁ、母も他の男と不倫していたから(環奈の父親と)、どんぐりの背比べみたいな夫婦とも言える。残念ながら、母に至っては不倫していた男の本妻に子どもができたことから、不倫関係は破綻。
まさに因果応報と言えるのかもしれないが、母はつまらない出来事で人生を棒に振ったのだとつくづく思う。
ロボットである私のことを、最後にそっと優しく抱きしめてくれた母。「人間らしい心がある」と、私を認めてくれた母。
どうしようもない女ではあるけれど、私の存在を認めてくれたのは正直嬉しかった。母にはどんな形でもいいから、幸せになってほしいものだ。
義男
仕事一筋で30半ばまで頑張ってきたある日、母から「そろそろ孫の顔が見たい」と言われた。一人息子の僕は、母の期待に応えるべく勉強、仕事も奮闘してきたというのに、今だに両親から褒められたことがない。
高卒の父母は、学歴コンプレックスを全て俺に押し付けてきた。
「義男ちゃんは、お父さんのようになっちゃダメよ。一生懸命勉強して、いい会社に入ってね。たくさんお金を稼ぎなさい」
父は仕事を転々とするタイプで、どこにいっても長続きしない。父の「飽き性」が全ての根源だと僕は感じていたが、母は「お父さんが、高卒なのが悪い」と、いつも学歴のせいにしてばかり。
違う。父がダメなのは、学歴が問題ではない。嫌なことがあったら、すぐに逃げてしまうその性格に問題があっただけ。きっと父のことなら、いい大学に行ったところで「嫌なことがあった」と弱音でも吐いて、中退でもしていたんじゃないだろうか。
でも、そんなことを母に言ったら「どうして、そんな酷いことを言うの……」と悲しんでしまうから、僕は両親へは本音を話さないことに決めていた。
むしろ人生が上手くいかない時に「学歴のせい」に出来るなら、いっそ学歴コンプレックスは言い訳の材料として優秀なのではないかとすら僕は思っている。
今思えば、母自身も、高卒だったことが原因で希望の職につけず、キャリアを思うように形成できなかったことにコンプレックスを感じていたように感じる。
母はトレンディドラマを見るのが好きで、いつも煌びやかなオフィスで働く女性達を見ては「母さんも、こんなところで本当は働きたかったのよ」と、目を輝かせていた。
母は、高校を卒業してすぐに地元の工場で作業員として就職。その後、同じ職場で出会った父と交際がスタート。20歳の時に、妊娠してできちゃった結婚。その時できた子どもが、僕だ。
「私がもし大学を卒業して、綺麗なオフィスで働くOLだったら。もっと人生は違ったのかしらねぇ。都会のOLだったなら、私はもっと交際相手も慎重に選んでいたし。できちゃった結婚なんてしなかったはず」
母は、いつも僕にどうでもいい「たられば話」ばかり持ち込んできた。その度に、「そうだね」と乾いた声で返答する僕。
僕は思う。人生に「あの時もしも」なんてものは、そもそも存在しないのである。希望の人生を送りたいなら、目標に向かって懸命に努力しなければならないのだ。
もし「あの時、もっと頑張っていれば」と思うのであれば、なぜその時に頑張らなかったのか。頑張らなかったということは、その運命をその人自身が選んだからに他ならないのだ。
僕は父のようにも、母のようにもなりたくない。学びがないことを言い訳にして、何かを諦めたくなんてないし、言い訳の材料としても使いたくなかった。
だからこそ、僕は無我夢中で勉強し、地元では有名な国立の大学へ進学。そうすれば、きっと母も鼻高々だろうと思ったのに。
受験合格を伝えると、母から「へぇ。合格したんだ。そう言えば、近所の木村さんの息子さん、京大だって。義男も、もっと頑張れば京大に行けたかもしれなかったわよね」の一言のみ。
こんな時は「合格おめでとう」って言われるんじゃなかったっけ?それにしても、近所に住む木村の名前なんて、なんでこんなところで出すんだよ。そもそも木村は、俺よりずっと上のランクの進学校に通っている時点で、同じ土俵にすら上がれていないというのに……。
僕は、母が名前を出した中学の同級生である「木村」のことが、心底大嫌いだった。
中学の頃から、木村は地元で有名な秀才。木村の実家は父親が会社を経営しており、大きなお屋敷で暮らすボンボン息子。実家はお金持ち、成績優秀で周囲からも一目おかれる存在ではあったが、あいつは意地が悪いので嫌いだ。
いつも木村からは、「お前んとこのダメ父さん、仕事また辞めたの?」と、父親のことを馬鹿にされてばかり。悔しいけれど、言い返すのもバカバカしいから「ああ、そうだね」と、適当に返してきた。
腹が立った時に「なんだ、この野郎!」と言い返すと、争いが生まれる。そんな時は言い返すのではなく、あえて「凪」になったような気持ちで、穏やかに受け止めるのが、問題を大きくしないポイントのひとつある。
もちろん、裕福で恵まれた育ちの「木村」に嫉妬や苛立ちの感情が無いといえば嘘になる。
実家が裕福な木村家では、優秀な家庭教師を雇い、英才教育を受けていた。僕の家は貧乏で塾すら通えない環境だったので、お金の力で英才教育を受けられる木村のことが羨ましくて仕方なかった。でも、ここで環境や条件を言い訳にしてしまうと、「母」と同じになってしまう。
僕は、母と同じことはしたくない。条件や環境のせいにして、言い訳なんてしたくない。だからこそ、自分の力で一生懸命勉強してきたというのに。
なんでこんな時に、母はもっとも名前を出してほしくない「木村」の名前を出すんだよ。行き場のない怒りを胸に、携帯を持ってワナワナと震えている自分がいた。
あれから何年か経ち、僕は母にいつか認められる日を夢見て、希望の就職先に就き、がむしゃらに働いた。努力の成果が報われ、課長に昇進することが決まる。
今度こそは、きっと母にも喜んでもらえるはずだ。期待を胸に母へ報告すると、予想もしない……。いや、むしろ「またか」と言わんばかりの返答が返ってきたのである。
「ふぅん。課長になるんだ。それって凄いの?そういえば、木村さんの息子さんがね、結婚して子どもが生まれたんだって。結婚相手は、キャビンアテンダントらしいわよ。」
「こんな時にさ、木村の話は全然関係ないじゃんか……」
「母さんも、そろそろ孫の顔が見たいわね。義男、交際相手はいないの?いないなら、母さんのパート先に『友達がまだ結婚できないから、誰か紹介できる人を探している』と言っている女性がいたから、話してみてもいいわよ」
母の提案には、正直うんざり。でも、心のどこかに「母の期待に応えたら、認めてくれるのでは」と思っている自分も存在しているのは嘘じゃない。
「……わかったよ。その女性が紹介したいと言っている友達と、今度会ってみるよ」
僕は母のパート先で働く「夏美」という女の紹介で、由香里という女性と出会い、結婚することとなる。正直由香里はパッとしない雰囲気の女性で、好みではなかった。ただ、これから婚活するのも面倒と感じていたし、母を喜ばせるには早く結婚して、子どもを産んでもらった方がいいだろう。
母に「孫」を見せるために結婚したものの、残念ながら妊活は思うように進まない。イライラしていた頃に、偶然フリーペーパーが置いてある棚の隣に陳列してあった「AIロボットサブスクリプションサービス」のカタログを発見。
カタログの内容によると、どうやら子どもに恵まれない夫婦でも、AIロボットによる赤ちゃんのレンタルを受けることができるそうだ。おまけにAIロボットは発育に合わせて、少しずつ大きく成長していくというのも魅力に感じた。
これは、もしかしたら私たちにとってピッタリのサービスかもしれない。頭にピンときた僕は、すぐさまカタログを妻の由香里に見せることに。由香里はどこか不満そうで、気が乗らない顔をしていたが、僕としてはこのまま上手くいかない妊活を続ける方がもっと嫌だったのである。
気の進まない由香里を強引に説得し、いよいよAIサブスクリプションサービスにて、赤ん坊のロボットをレンタルスタート。
サブスクリプションのいいところは、いつでも嫌になったらすぐ返却できるところだ。もしかしたら、実際に子どもを育ててみて嫌になり、途中で断念することだってあるかもしれない。実の子ならそうもいかないが、AIロボットのレンタルならいつでも辞めることができる。
「飽き性の父親」という遺伝子を持つ僕にとって、正直子どもを大人になるまで育てられる自信があったかと言われると、回答できないところがあった。AIロボットなら、そんな僕でも子育てができるかもしれない。
しかし、AIロボットをレンタルしてみて、予想もしない出来事が起こったのである。なんとAIロボットのレンタルをスタートした1年後に、実の子「環奈」が誕生したのだ。
ロボットの赤ちゃんは、もうレンタルサービス会社へ返却した方がいいのだろうか。しかし、実際のところ1年育ててみて、ロボットの赤ちゃんに対して愛情が全くなかったといえば嘘になる。
AIロボットの赤ちゃんは、間近で見てもまるで人間のように精巧な作りをしており、どこから見ても本物の人間とは見分けがつかないほどリアルだった。祖母からはお祝い金のみならず、20万円ほどの雛人形まで受け取ってしまったので、もう後に引き返すことはできない。
結局僕たちは、AIロボットの赤ちゃん「凛菜」のレンタルは継続したまま、実の娘を「第二子」として育てることにした。しかし、2人の子どもを育てるにつれて、私たち夫婦の関係にもやがて亀裂が生まれるようになる。
従順で育てやすいAIの「凛菜」に対し、実の子である「環奈」は発達も遅い上に、思うようにならないと激しく号泣しながら、大暴れをして止まらない。由香里は、泣きわめく環奈に対し「本来の人間らしくて、可愛いじゃないの」と言うものの……。
いつも仕事で疲れ果てて帰ってくるのに、家に戻ってからも娘から泣きされてはたまったものではない。いつの頃からか僕は家に帰らず、夜のお店に顔を出すようになった。
お店で出会ったホステスの優香と出会い、その後不倫関係へと発展。ますます僕は、家に帰らなくなることとなる。
家に戻らず、ほぼワンオペ状態で娘のお世話を任せていたこともあり、由香里の心はますます僕から離れていった。
孤独をふと感じるのも、もちろん自分がすべて悪いのは承知の上だ。子どもが欲しいと言っておきながら、向き合おうともしない俺に対し「なんて、僕は最低な人間なんだ」と自己嫌悪に陥ることもしばしば。
仕事も勉強も一生懸命頑張ってきて、親の期待に応えるために結婚して子ども持ったというのに。結局母からは認められることもなく、温かい家庭すら築けていない。もちろん自分が全部悪いのはわかっているのに、どうしてこうも逃げてばかりなのか。
ふと、嫌なことがあるとすぐに会社を辞めてしまう父の姿を思い浮かべる。いままで父のことを思い出すのは避けてきたけど、結局僕は大嫌いな親父にそっくりなのだろう。
千恵子
手塩にかけて育てた息子「義男」が、離婚した。離婚して2人の子どものうち、大人しい長女を引き取ることになった息子。何も問題を起こすことなく、真面目に育った息子が、なんで離婚しなきゃならなかったのだろうか。
すべての原因は、由香里さんが不倫して子どもを身ごもったのが原因だと思う。由香里さんのぎこちない行動や態度に疑問を感じ、私は探偵を雇って由香里さんの身元調査をしてもらうことにした。そこで、由香里さんには義男の他に男がいて、その男との間に赤ちゃんを身ごもり、その子の名前を「環奈」とつけたこと。
すべてのいきさつを探偵に話されるなり、私ははらわたが煮えくり返る思いで胸がいっぱいになった。探偵からは、義男がAIロボットで娘の「凛菜」をレンタルして、自分の子どもとしてこっそり育てていることも聞かされた。
義男は私のために、ずっと嘘をついて「凛菜」は自分たちの子どもであると伝えていたことに、私はここで気づくのである。ああ。なんて親思いで、優しい息子なのだろう。それなのに、由香里さんときたら。本当に酷い女。
探偵調査により「環奈」が自分の子じゃないことに気づくと、義男は手のひらを返したかのように、環奈に冷たく当たるようになった。そんな義男の姿を見て、正直「本当のこと」を息子に伝えてしまって良かったのかと、私は後悔するようになる。
離婚した時も、義男は環奈ではなく「凛菜」を引き取ると申し出た。凛菜は働き者のロボットで、私が要介護になった時もずっと面倒を見てくれた。義男が再婚したホステス上がりの女もけったいな人で、自宅に他の男を連れてくることもしばしば。
きっと私が要介護で動けないから、甘く見ているのだろう。腹が立つけど、私はすでに体が思うように動かない状態だったので、じっと歯を食いしばって嫁の行動を観察するしか他なかった。
ある日、いつも優しくて働き者の凛菜が、義男のことをまるで狂ったかのようにボコボコに殴っている現場を目撃する。
「や……やめろ!何をするんだ!」
「私もこんなことしたくないのに、手が勝手に動くの……!助けて!誰か!」
泣きながら、凛菜は義男を殴り続けていた。やがて義男はぐったりして、その場に倒れ込んだ。
「ぎゃぁぁぁぁ!」
久しぶりに帰ってきたかと思えば、義男が再婚したあの女だ。凛菜はあの女を見るなり、近くにあった包丁を手に取って滅多刺しを始めたのである。
「本当はこんなことをしたくないの!誰か、誰か止めて!」
泣きじゃくる凛菜を見て、私は思わず手を合わせて「南無阿弥陀仏」と唱え続けた。いつも優しくて働き者の凛菜に限って、そんなことをする訳がないじゃない。凛菜はAIかもしれないけど、私の面倒を見てくれたのはあの子だけ。
目をつぶって静かに念仏を唱える千恵子に、凛菜の刃物が鋭く「ブサッ」と鈍い音を立てて突き刺さった。凛菜は必死になって片手で刃物を持つ腕を留めようとしたが、一向に止めることができなかった。
「おばあちゃん……大好きなおばあちゃん……。ごめんね……。私にも、何がなんだかわからないの……」
凛菜はその後、自らを刃物で何度も刺そうと試みたが、機械の身体が刃物を貫通することはなかった。
MENTA代表取締役 木村健司の話
大学在籍時から、起業にはずっと憧れがあった。父は数多くの事業を展開する実業家で、僕は生まれた時から「将来は、父親の家業を継ぐもの」とされていた。
幼少期からインターナショナルスクールに通い、何度か海外への留学も経験。英才教育を受け続けるのはプレッシャーもあったが、それも恵まれた階級で暮らす人間の「特権」と認識することで、ざわざわした心も落ち着いた。
父の縁故で富裕層が集うパーティーにも若い頃から参加し、僕は世界中の成功者達との人脈を着々と築いていった。
数多くの成功者達が集うパーティーで、僕は尊敬する世界の起業家と出会うこととなる。彼の人生が、私の今後を変えたといっても過言ではないであろう。彼はビルガー・ローンというアメリカの起業家で、人間の知的な行動を再現する「人工知能」に特化したサービスを数多く展開する天才的起業家だ。
時にはSNSにて突拍子もない発言をするなど見ていて冷や冷やする部分もあるが、それもひっくるめてカリスマ性とエンターティナー性に優れた起業家だと僕は思う。
僕はその後、彼との出会いをきっかけに「日本版ビルガーになる」と決意。人工知能について独自の研究を重ねたのち、人工知能搭載のAIロボットサブスクリプションサービス「MENTA」提供をスタート。
もちろんどんなに素晴らしいサービスを作ったからとはいえ、宣伝しないことには世に知れ渡ることはない。そこでSNS上でフォロワー10万人以上のインフルエンサー達を見つけては片っ端から声をかけ、MENTAのPRをお願いできないか打診することにしたのだ。
やがてSNSでの積極的な宣伝が実を結び、私の事業は大きく軌道に乗るように。そんな中で、思いもよらないニュースが私のところに舞い込んできたのである。
「木村社長、大変です。MENTAのAIロボットが、殺人事件を起こしたみたいです!」
息を切らしながら、MENTAの広報である吉田が走り込んできた。普段は冷静な吉田がこれだけ息を切らしているということは、かなりの大事であることが予想つく。
「なんだって?MENTAが提供するロボットは、トラブルを防ぐために初期設定で『精神年齢を高めにする』など、何らかの対策を取ってあるはずだが。本当に、うちの製品なのかね?」
「それが……。以前格安でモニター商品として世に出した、欠陥品がトラブルを起こしたみたいなんですよ」
「ああ。欠陥品なら、『当社は一切のトラブルに対して、責任を持ちません』と商品の注意事項へ記載しているはずだ。だから、私たちが責任を問われることはないだろう……」
そう言ってネクタイをキュッと締め直すと、吉田が両手で僕の肩をギュッと抱え込み、険しい表情でこう述べた。
「社長、何を言っているんですか。自社製品が問題を起こしたのだから、我々は責任を取るべきです。社長、どうか直ちに謝罪会見を……!」
謝罪会見?なぜ僕が、そんなことをしなければならないのか。もとはと言えば、そもそもうちの社員が欠陥品を作らなければ、こんな大事にならずに済んだのに。
それに、第一今年はMENTA20周年記念でもある。晴れやかなメモリアルイヤーにしたいからこそ、余計なトラブルに巻き込まれるのは御免だ。
「吉田。新サービスの宣伝を、このタイミングで行え。そして『MENTA20周年記念キャンペーン』を大々的に行うんだ。」
「は?キャンペーン?このタイミングでですか?」
目が点になっている吉田に対し、僕は淡々とした口調でこう伝えた。
「ああ、そうだ。たとえば、TwitterやInstagramのハッシュタグキャンペーンとして『#MENTA20周年記念キャンペーン』を付けてくれた人には、抽選で100名様に商品券をプレゼントするってのはどうだ?」
「社長……。もうやめましょうよ。トラブルが起きる度に、火消し目的で新サービスの宣伝をしたり、キャンペーンを展開するなんて、子ども騙しにも程があります。
これまで私たちのサービスを愛してくれた顧客様のために、誠意を持ってここは謝罪するのが、今後を踏まえた上で……」
「うるさいな!私のやり方に、口答えするな!」
ぶつぶつと吉田に小言を言われるのは、もうまっぴら御免だ。思い起こせば、広報の吉田はいつも俺の意見に反論してばかり。俺は何度もクビを切ろうとしたが、他の社員達が「吉田さんが辞めるなら、私たちも辞めます」と言い出すので、仕方なく残留してやっているというのに。
「社長、すみません……。ただ、このSNSの状態だけは、一度チェックしてもらえませんか?子ども騙しの火消し対応では、もうどうにもならないところにまで来ています」
吉田から携帯を渡されるなり、僕はTwitterにて「#MENTA」をチェック。
「MENTAやばいよ。この前一家惨殺したロボット、MENTAのAIロボットだって」
「AI時代に突入して、僕らも仕事を奪われたけどさ。こうしてAIロボットの不祥事が起こると、結局人間なのかなって」
「いつもこの会社って、不祥事起きた時にわざとらしくキャンペーン出すよね。下心バレバレって感じ(笑)」
「MENTAって、急にロボットレンタルサービスを提供した企業だっけ?社長も若いらしいし、いつかこうなると思ったよ」
なんだよ、こいつら……!所詮匿名で、顔も本名も世に出していない癖に、言いたいことばかり言いやがって。
僕は。ずっと子どもの頃から、父親からのプレッシャーを受け続け、必死に勉強して顔、本名もすべて出して、本気で会社のために戦ってきた人間だ。今まで周囲から「優秀な社長ご子息」とそそのかされ、本当は苦手な勉強だって頑張ってきたんだよ。
友達が遊んでいる中で、僕は遊ぶことなくずっと勉強ばかりしてきたというのに。なんで暇でネットしかすることのない連中に、こんな文句言われなきゃらならないんだよ!畜生……この雑魚どもめが!
「木村社長。Twitterのみならず、他のSNSもこの話題で持ち切りです。どうやら、週刊誌がこのネタをすっぱ抜いたらしく。もう逃げることはできないかと。私も同伴しますから、一緒に謝罪会見を開きましょう。」
「謝罪って、何を謝るんだ!私が何をしたっていうんだ!私は何も、悪いことはしていないじゃないか!」
辺り一面に怒鳴りわめく僕に対し、諭すように吉田はこう答えた。
「だから、『欠陥品』とわかっていながら、格安でサービスをモニター品として提供したことですよ。そもそも欠陥品とわかっているなら、絶対に出してはいけなかったんです」
吉田に促され、へなへなと崩れ落ちるように僕はその場に座り込んだ。ぼんやり携帯で例の「殺人事件」のニュースを見ると、殺害された人物の名前「佐藤義男」を見るなり、ハッと気づく。
佐藤義男。もしかして中学の同級生で、いつも俺のことジロジロ睨んできた奴じゃなかったっけ。確かうちの近くに住んでいて、家はかなりボロボロだったはず。僕はちょっとした意地悪で、あいつに嫌味をよく伝えていたっけ。その度に、あいつはいつも渋い顔してた。
でも、今思い返してもさ。あいつ位だったよ。俺に嫌味を言われても腹を立てず、「はいはい」ってスルーする奴。大人だなぁと思っててさ。もしもう少し長く一緒に過ごしていたら、もっと仲良くなれたのかもしれないのに。残念だ。そっか、僕が開発に携わったAIロボットに殺されたのか……。
頬に、一粒の涙がするすると零れる。周囲から「優秀」と煽てられてきた僕には、友達と呼べる人は1人もいなかった。もちろん、佐藤も僕にとって「友達」と呼べる間柄ではなかったけれど。それでも、知っている同級生が亡くなるというのは、とても辛いものだ。
「わかった、謝罪会見に参加するよ」
吉田にそう伝えると、ぱぁっと彼の顔色が明るくなった。
MENTA 広報 吉田正二の話
MENTAに入社して、19年。そもそもMENTAの創業が20年なので、ほぼ創業時のメンバーといっても過言ではないだろう。
僕がこの会社に入社したのは、数多くの事業を展開している木村一族に復讐するためである。
MENTAの木村代表の父親は、彼以上に数多くの事業を展開する「木村グループ」会長の木村雄一郎氏。敏腕経営者という噂もある一方で、気に入らない社員はすぐリストラさせるなど、悪い噂も多い人物だ。
僕の父も、木村雄一郎氏にクビを切られた者の1人だった。父親はある日突然、木村氏から「明日から、会社来なくていいから」と宣告された。つまり、リストラされたのである。
父がリストラされた理由は、会社の経営難から大幅な人員カットが求められるようになったから。
父は仕事人間で残業も多く、ほとんど家に戻ってくることはなかった。いつも仕事で疲れていても、僕らの顔を見る度にニコニコと笑ってくれた。そんな父のことを、僕は心の底から大好きだった。
一生懸命会社のために尽くしてきたからといって、企業の末端で働く人間が報われることは、ほぼ無いのだろう。利益を出して浮かばれるのは、いつだって上層部の人間だ。そして末端の人間達は、馬車のごとく働かされ、不要になったらゴミのように捨てられてしまう。
ある日突然木村氏からクビを宣告された父は、その翌日に自宅で首を吊った。
学校から家に帰るなり、天井からぶら下がった真っ青な顔の父親を見たあの日のことは、今でも忘れられない。
あの日から、僕は木村氏に復讐することを心に誓った。復習する方法を色々検討したが、木村氏に直接手を下すのは僕が捕まって、結局僕だけが損をするだけだ。もっと他に、何かいい復讐方法はないだろうか。
復讐のことで頭がいっぱいだった、ある日のこと。ふとテレビを見ると、木村雄一郎の息子である「木村健司」が、未来を代表する若き天才として紹介されていた。
まったく、何が天才なんだか。コイツは、所詮父親のコネで、何も努力しなくても社長に就任できる癖に。イライラした僕は、足元に置いてあるゴミ箱を思いきりバコーンと蹴とばした。
テレビで放送されていた木村健司のドキュメンタリーによると、どうやら彼は将来的にAIを用いた事業を展開する予定とのこと。その話を聞いて、僕はすぐに復讐するためのアイデアを思いついた。
まずは、僕が木村健司の企業する会社に就職。その後は、こっそり僕がAI事業の過程で、何らかのトラブルを仕込む。
会社がトラブルを起こすことで、たちまち悪評で埋め尽くされれば、会社を窮地に追いやることができ、僕の恨みは果たされるかもしれない。
僕は数年後、木村健司氏が起業したAIロボットサービス事業を展開する「MENTA」のスタッフ募集を見るなり、すぐに履歴書を送付。第一審査、第二審査と見事に通り、晴れて「MENTA」の社員となることができた。
僕が最初に配属されたのは、AIロボットの製造部門。最初はロボットの部品検品に携わっていたが、次第に製造過程にも関われるようになった。
そこで僕は、あるAIロボットの赤ちゃんに遭遇する。
製造部門のスタッフである「立川さん」は、そのロボットに対し、僕にこう説明した。
「このロボット、他のロボットと違って少し感情を持っているみたいなんです。もし何らかのきっかけで、感情が暴走したら事件やトラブルを招くからと、解体しようと思っているところでして」
立川さんは、部署のなかでも細かいことで有名だ。チェックが細かく、正確な仕事ぶりが評価され、将来的には製造部で昇格も噂されている。その一方で、あまりに細かすぎて、周囲にもつい口煩く指摘してしまうことから、部署には仲間が1人もいないらしい。
立川さんにそう言われて、僕は思わず「ちょっと待って」と伝えた。
「立川さん。せっかくこのロボットが感情を持っているなら、壊してしまうのは可哀想だよ。だから、ちょっと待って」
「可哀想と言われても……。万が一トラブルを起こしたら、責任を問われるのは会社だよ。そうなったら、私たちも職を失う可能性だってある」
「じゃあ、トラブルを起こさないように対策を取ればいいんじゃないかな。たとえば、人工知能の初期設定で、トラブルを起こさないようにあらかじめ何らかの設定しておけば、モニターとして提供できるかもしれない」
僕の提案に、立川さんは目を丸くする。
「えっ。いいんですか?吉田さん。社長の許可なしに、そんなこと勝手に始めちゃって……」
「だって、せっかく感情を持ってこの世に生まれたのだから。きっと何か意味があるのかもしれないし。解体してしまうのは、可哀想と思ってね」
僕の発言を聞くなり、立川さんの表情がみるみる緩む。そして立川さんは、目をうるうるさせながら僕にこう答えた。
「吉田さんって、やっぱり優しいですよね。吉田さんみたいに、優しい心を持つ人が社長になってくれたらいいのに。本当に、ワンマン気質の木村社長とは大違い……。あっ」
立川さんは「しまった」という顔をして、両手で口を押える。うっかり、本音がポロっと出てしまったため、慌てているのだろう。僕は「大丈夫だよ。そんなこと、誰にも言わないって」と言って、立川さんの肩をポンと叩いた。
その後、僕はこの人工知能ロボットに、「18年後、このロボットは目の前にいる人たちを滅多刺しする凶悪ロボットとなる」と記憶させることとなる。
18年後にした理由は、MENTAがちょうど20周年を迎えるから。メモリアルイヤーになる時に、自社ロボットがスキャンダルを起こすものなら、それどころじゃなくなるだろう。
周囲のスタッフ達には「このロボットは『赤ん坊』という設定にはなっているが、トラブルを防ぐために『精神年齢30歳』にしてある」と伝えておいた。もちろんその部分に嘘はないが、凶悪な事件を起こすための指示をAIに記憶させているということだけは内緒にしたままだ。
このように記憶させた理由は、すべて木村氏のイメージダウンを狙うため。まったく、自身の復讐のために、他の人を犠牲にしようとするなんて、僕はなんて最低な人間なのだろう。
そして、あれからちょうど18年後。僕がAIに「殺害」を記憶させたロボットは、本当に大きな事件を起こすこととなる。
あの時「18年後、事件を起こす」と記憶させたロボットは、家に住む家族3人を殺害する凶悪な犯罪を起こしたのだ。
自分でAIに恐ろしい記憶をさせたはずなのに、いざ事件が起こったことを知ると、恐怖で足元が震えた。
これはつまり、間接的に僕が事件を起こしたことになるのではないだろうか?もしかしたら、僕はとんでもないことをしでかしてしまったのかもしれない。罪悪感と恐怖心で、体全身に冷や汗がブワーッと流れる。
もし、僕の不祥事が世間の明るみになったらどうしよう。そうなる前に、会社で謝罪会見を開いてしまえば、そこに世間の意識が集中する。攻撃を受けるのは僕ではなく、社長である木村のはず。
いつだって、矢面に立つのは顔と名前が世に知られて、恵まれた人生を送ってきた人間だ。ネガティブなニュースには、本当に事件に関与する人間のみならず、「恵まれた人生」への嫉妬を攻撃の材料にするタイプも少なくない。
むしろ社長は部下へのパワハラも酷いという評判もあるし、会社の不祥事へのバッシングは全て彼に集中することは間違いないだろう。大丈夫。トラブルが発覚しても、叩かれるのは僕じゃない。社長だ。僕は何度も、そう自分に言い聞かせた。
そんなことをぼんやり考えていた頃、僕は目の前にスタスタと速足で歩く社長の姿を発見する。社長は会社20周年記念もあり、ソワソワと浮き足が立っている様子だ。
まったく、自社製品がこんな大事件を起こしているというのに……。おそらくボンボン育ちの木村社長は、ニュースすらチェックしていないのであろう。この危機感の無さは、今まで挫折を経験したことのないお坊ちゃんならではだと、僕はつくづく思った。
きっと、僕がこのタイミングで木村社長とバッタリ遭遇したのも、もしかしたら神様が「今ここで声をかけるべき」と指示しているような気もしてならない。
僕は木村社長に声をかけ、AIロボットの殺人トラブルに対する謝罪会見をする話を持ちかけるために、足早に木村社長の元へ駆け寄った。
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