飛び級できたらいいのに
こんにちは。
牧 菜々子です。
休校延長や、9月入学の話題が多くなり…。
夫が言い出したのが、「飛び級できたらいいのに」というフレーズです。
時代の変動期を迎え、価値観も変わりつつある今日。
たしかに、飛び級は、ますます理に適っていくのかもしれません。
世代を超えて協働できる時代
夫は、多くを語りませんが、教科書の内容は早いうちにすべてわかってしまっていたために、「飛び級したくてもできない」問題は、わりと切実だったようです。
これまでだって、特別優秀な子どもというのはいました。
それでも、周りのレベルに合わせてきた。
「同い年」ということが、それなりに重要だったからです。
ところが、時代の変化とともに、大人たちだって違う世代の人たちと協働するようになりました。
年下の人から教えてもらっている年輩者も、たくさんいます。
大人も、世代を超えて連携し、つながり、学び合うようになっているのです。
大人も子どもも歳の違う人たちと学び合う時代
だったら、子どもだって、「同い年」の中でしか学べないということはない。
飛び級して、歳の違う人たちと、学び合う。
大人が少しずつやり始めていることだからこそ、子どもも違和感なくできる時代になっているのではないでしょうか。
飛び級の不都合が意味をなさなくなっている
たしかに、親としては、わが子を飛び級させることを想像すると、不安もある。
とはいえもう、子どもを飛び級させた時の不都合というものが、それほどの意味をなさなくなっている可能性は高いです。
周りに合わせようとする世間の同調圧力は、ネット上を中心にまだまだ根強い。
一方で、ネットで知り合った人たちが、実際に会い、世代を超えて協働し、学び合っているのも、今の現実です。
飛び級は楽しい
何より、飛び級する子ども本人が、楽しいんじゃないかな、とも単純に思うのです。
大人だって、歳の違う人たちと話すのは、刺激があって楽しい。
これからの時代は、そのことを身をもって実感する人が、もっと増えるはずです。
飛び級できたらいいのに。
きっと、楽しいはずです。