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天界の授業に招待されて(1時限目=礼儀の基本)

私は思いもよらず天界の授業に招待されました。そこには多くの方々が受講されていました。なぜ私を招待したのか尋ねたところ、「迷い悩んでいる方々にこの授業内容が励みになれば私たちはとてもうれしいのです。」と答えられた。(これは当時理解が出来なかったところを含めて清書したものです)
 
目次 1時限目=礼儀の基本   https://note.com/lucky_noto321/n/n195802ba5c64
   2時限目=礼儀の実践 
https://note.com/lucky_noto321/n/nc7b9c2a9aef1
   3時限目=叡智とは何か
https://note.com/lucky_noto321/n/n639cd464f81a
   4時限目=魂と人間の関係
https://note.com/lucky_noto321/n/ndccdf6d6647e  
    5時限目=魂の住む世界
https://note.com/lucky_noto321/n/n2bfef73c5a54
    6時限目=「念」と「意識」について
https://note.com/lucky_noto321/n/nd49e3e4c8f78  
 
    7時限目=宇宙創造を行う脳と意識 
https://note.com/lucky_noto321/n/ndde2cece552c

   8時限目=食物と意識の関係
https://note.com/lucky_noto321/n/n00308e4c6180

1時限目=礼儀の基本
礼儀は人と人との付き合いから社会の隅々に至るまでなくてはならないものです。礼儀の基本はこの宇宙のどこの世界でも変わることはないのです。なぜ変わらないのでしょうか。それは創造主が宇宙をおつくりになられた時に世界共通の決まり事として定められた法律だからです。
「礼儀の根源は遠く天のかなた(上天)にある」からなのです。全ての生命体が上は上天に、下は全ての天地・宇宙に存在するさまざまの形、あらゆる物事(万象)に対して正しい態度の備えを常にしなければならないのです。
このことについては出来るだけあなた方にわかるよう優しく教えましょう。しかし私たちの世界ではこの教えとは比べ物にならないほど厳格で厳しいものであることは覚えておいてほしいのです。ここでお話する礼儀は少なくともあなた方が持ってほしいと私たちが願うものです。
 
1 礼儀は自ら自然に湧き出るものであり際限がないものです。押し付けるものではないのです
あなた方の礼儀は多くの場合、型にはめて厳格に行っているか、礼儀の本質も分からずにこれが礼儀だと言って他人を縛り付けています。或いは礼儀さえも無視して行動しています。はたして礼儀は一つの型にはめて厳格に形を保たなければならないのでしょうか。創造主(神)はそんなことを考えて礼儀を定めたのではありません。世界を創造し運営していくために必要な決まり事として定めたものなのです。
礼儀は決して強制強要されるものではなく、だれかに強要するものでもなく、その行為が自らの内外に自然に現れて来ることが必要なのです。自然でなだらかで優しいものでなければならないのです。だから礼儀は際限がないのです。誰も型を決めることはできないのです。これは礼儀においてとっても大切なことなのですが、あなた方は型にはめて押し付けています。
礼儀とは、好い機会に、丁度好い頃合に、自分の置かれている立場をよく理解した上で、誠意をもって目的を成し遂げることに意を酌まなければならないものなのです。
あなた方の世界では、政党や支配者が変わるたびに礼儀の仕方も変えている場合も多々ありますね。最近、あいさつの仕方をこうあるべきだと児童に教えようと国や学校が決めようとしていることもありそれをとても残念に思います。これはとんでもない思い上がりで目を覆いたくなります。日本の戦前の日常生活の中に見られた素晴らしい教えさえどこか行ってしまったようでさみしく思います。
   
礼儀は教育の対象になるのでしょうか。礼儀は社会生活上必要なものですから無知では困ります。だから子供から大人に至るまで社会の付き合い上ある程度基本になることは必要でしょう。しかし今あなた方の世界で問題になっているように政治指導者やいわゆる教祖と言われるいくらかの者たちが大衆や信者をコントロールしたり、支配するために礼儀と言って偽りの礼儀を教え込む場合も多いのです。一番困るのは礼儀がなんなのか全く分かっていない者が、俺は偉いので偉い立場から礼儀はこうあるべきだと言って周りの者達をを引き込んで礼儀を決めることです。これには特に注意しなければなりません。これは神をも冒涜する行為なのですから。
 
礼儀はもともと自ら自然に湧き出るものでなければならないのですから無限に変化します。だから教育の対象にならないのです。教えなくてはならないものでなく、また教えられるのでもないのです。どうしても教えるなら私がいま言ったことをそのまま教えると良いでしょう。
 
礼儀は常識や理性で判断すると思い込みにより誤りに気付かずに知らず知らずに迷宮に入ってしまう場合があります。礼儀は叡智以上の存在物であり、人が都合で勝手に変えるのではないと肝に銘じておくことが必要なのです。そうすると、特別に礼儀云々との教えを請わなくても、いつでもどこでも礼儀ある態度で相手と接することが出来るのです。
   
2  礼儀は科学の性質を持っています。
礼儀は1面において神性、宗教性を持っています。しかし他の1面に置いては科学的性質も持っているのです。突き詰めると絶体絶命の力を持って自らを現すものであるのです。これは叡智や理性に関わるものであり、綿密な感覚、洗練された教養、豊かな常識など、これらのものを如何に練り合わせても真の礼儀を形成することはできません。礼儀を習うということは、礼源(礼のみなもと)に至らずしては絶対に不可能なのです。
 
一度礼源に接することができれば自ずとわかるようになります。どうすれば礼源に接することが出来るのでしょうか。そんなに難しく考えなさんな。あなたのところに初対面の誰かが訪ねてきたとします。どのようにあなたは相手から接していただきたいですか。相手が会社の社長だったらどう接していただきたいですか。外国の未開地にあなたが行った場合に裸の相手とどのように接したらいいと思いますか。わかりましたか、相手をまず考えるということです。このことは何万光年離れたところの銀河の果ての惑星の住民と接する場合であっても、身近な彼女と接するときでも同じと思いませんか。
礼儀を行うときは心と心を通じ合わせることに意をくみなさい。俺は偉いんだと思うからすれ違いが起こると思いませんか。ここに科学の性質があると思いませんか。
 
3  礼儀は芸術性があるのです。
礼儀が根源において神性、宗教性、科学性があることがわかれば芸術性も推しはかれると思います。冠婚葬祭や初対面の相手、偉い人に面会するとき、見知らぬ人と会う時など失礼がないようにと考えて四角四面に行えば礼儀にかなうと思ってそれを実行し続けることは白紙に墨を塗るようなものです。
礼儀は天衣無縫で見るからに美しく聞くほどに雅やかな先天の芸術性を保有しているからです。
 
礼儀は「天藾の妙音」を耳にするように人の心を爽やかにするものです。また「百花繚乱の花園」に踏み入るように満目の美を讃うるものでなくてはならないのです。その美しさにおいて、妙律、風雅においても限りなく種類があります。この限りなさがとても大切なのです。ですから何かの式典を開催するにあたり王朝の礼(※)がいくら素晴らしいものでもそれをまねして行うべきものではありません。
 
※ 天皇家の各種儀礼、式典などは精神世界の写しである。それを素晴らしいといって似せた形で行うことは無礼であるばかりか礼儀の根源にも背く行為であるのです。
 
公人私人いかなる場合の礼であれ、また世界がいくら広くてもその表現の美はそれに応じて変えることはとても大切なことなのです。この配慮なければどのような立派な礼儀に見えても醜くいものとなってしまいます。
神に対しては神の礼、人には人の礼、山川草木には山川草木の礼、殉職・殉難された人に対してはその人と遺族双方に対する礼、海女のさえずりさえそれは昔から引き継がれている彼女らの海女という世界で生きるために必要な体に対する呼吸を通じた礼儀に間違いはないことを心に留め置いてほしいのです。
 
音楽を奏でること、絵を画くこと、これらだけが必ずしも芸術ではないのです。家庭において、職場において皆心すれば己の顔を通じ、己の言葉を通じ、己の手足振る舞いによって練磨を要しないで芸術創造の秘蹟に参与することができます。これすなわち礼儀です。これすなわち芸術であり、同時に人間の行為でもあるのです。
 
4 礼儀の対象とは何なのでしょうか。どう行えばよいのでしょうか。 
礼儀は人間同士のことにだけに留まるものではないのです。上は上天の、常に私たちを思い導いて下さる生命体に対し、下は一握りの砂や草木に至るまで、すなわち宇宙の全てを礼儀の対象としなければならないのです。人間の従来の礼は形式に終始していました。下位の者に対する愛の礼(敬愛)を欠いて、上位の者が自分の偉さを誇らしく思っていました。いや、それが礼儀と勘違いしていたこともあるのです。しかし、愛の裏付けとして無限の敬の礼を伴わなければこの愛は侮辱の愛となってしまうのです。
 
人間の世界において上位、同位の者にも下位の者にも礼を尽くすことは同じでありますが、時処により愛の位置を調整しなければなりません。その時その時に応じて変化しなければなりません。対象が変われば(時間も感情も含めて)相対的に対応しなければならないということです。
 
5 自分自身に対する礼と他に対して行う礼儀についての心構え
礼儀の成り立ちの源、礼源は九天のかなた、天の最も高いところにあります。全宇宙に通じるものなのです。そのようなわけで人間も対象であるのですから自らも礼儀の対象としなければならないのです。自分に対する礼儀(自敬慈愛)が一切の礼儀の前提条件であると心してください。
 
この宇宙の次元のはざまには宇宙連合総司令官ソ・ラーラの管理する「西の星」と呼ばれる巨大な宇宙船が浮かんでいます。そのような宇宙船を管理する、何千万年も生きて任務についている強く偉大な精神の持ち主であるソ・ラーラさんとあなたが面会したらあなたはどうしますか。
何も迷うことはありません。恐れることもありません。心を込めて普通に接すればいいのです。ソ・ラーラさんも心を込めてあなたに普通に接してくれるでしょう。
 
少し考えてみてください。今まで私は相手に礼を尽くしていただろうかと。今までの礼は礼源を知らず、他礼に終始していたところから無理が生じていたかもしれません。それとも心から相手に対して礼を尽くしていたかもしれません。
自礼の心眼が開くと、自ら複雑微妙なる他礼もいともたやすく掌握することができるのです。あなた方のほとんどは、背後に神を見ずに唯一社会、上下に対して礼儀が存在すると誤解盲信しているからいつまでも形だけの礼しか出てこないのです。草木禽獣の表面だけを見ているから真の礼儀は出てこないのです。いかさまの神を信じてはなりません。精神世界であろうが物質世界にあろうが人間は神ではなく神の一部となって誠心誠意創造を行うことを忘れてはいけないのです。さすれば自然と他への礼儀も行えるはずです。他への礼儀は己に対する礼儀でもあるのです。今一番問題なのが、創造主以外のあまたの神を信じる者が その神が言ったわけではないのに あたかも神が言ったように礼儀を解くことです。何もわからない教師が子供たちに四角四面の礼儀を教えることです。上司が会社の礼儀はこうあるべきだととんでもない馬鹿な教えを行うことです。これを聞いたあなたはこれからはこういう礼儀は信用しない。教師も上司もくそくらえ。と言ってこれを無視した場合それは正しいことでしょうか。この中に真の礼儀が含まれていることも多いのです。それを見極めるのはあなたの責任です。見極め、それを自分のものとすることができればあなたは人生の上で素晴らしい進歩をすることになるでしょう。
 
6 礼儀の位とは何でしょうか。どのような位があるのでしょうか。
礼儀は一つであり多数であります。多数であってもそれを突き詰めれば一つです。これこそが宇宙の決まり事ですが、そういってもわからないだろうからあえて区分してわかりやすく説明することとします。
 
① 礼儀の下位
今までは儀礼は会社の上司、自分より上位の階級の者、先生、先輩、組織の指導者など上位に対して行われており同位と下位の礼儀は忘れていました。いや、社会がそのようにさせてしまっていたのです。しかしよく考えてみてください。創造主は皆を分け隔てなく創造し、皆は創造主の手足となって創造活動に参加しているのです。とういうことは皆平等なのですよ。上と下という立ち位置だけが異なるというだけの話なのです。だから礼儀の位とは上も下もなく同じものなのです。あなた方が強弱の関係によって作り変えてしまったものなのです。これは礼儀の縦と横の軸のみに終始してしまった結果とは思いませんか。本当の礼儀とは敬愛の無限の表現であることを知らなかったからなのです。礼儀は全てのものに平らに(平等とは言っていません。)施さなければならないのです。
 
一つの例として、喉が渇いた時の一滴の水はほんとに甘い美味しいものです。水は飲まれて本懐を遂げ役割を果たしたと考えるでしょうか、我々は水を人間より下のものとみなすでしょうか。そうではないでしょう。人間の70%は水なのです。水は多くの健康な物質をあなたの体に運んでいます。それを考えればたとえ水は下位のものとみなしても、私たちに文句も言わずに尽くしてくれているのです。ということはあなたとどこが変わりますか。あなたと同等以上ではありませんか。だから礼を持って応えなければならないのは明らかでしょう。

 ② 礼儀の同位
礼儀の同位とは人間同士とか階級が同じとか同じ仲間とか、そういう意味ではないのです。
山川草木砂の一粒等一切のものは礼儀のうえにおいては同位として礼を尽くすことが必要なのです。 一つの例として、本棚の書物は自分より下位として扱っていると思いますが、いざ本棚から取り降ろして読む場合には自己と同位者として扱かうのが書物に対する礼儀です。我々が本を読んでやるというのではなく、本のおかげで知識を養うことができると考えることなのです。皆さんは養蜂家のミツバチを見たことがありますか。木陰にたくさんの巣箱が置かれていますね。ミツバチは菜の花などの花から蜜を集め、受粉もします。人間はこれを管理しているのですから当然人間はミツバチの上位にあたるかもしれませんね。でもこれは本当でしょうか。ミツバチはあなた方の食料の多くを提供しています。あなた方よりひょっとしたら上なのではないでしょうか。よく考えてみてください。お互いに助け合っていますのにどうしてあなた方より下位なのでしょうか。どのように考えても同位でしょう。だからミツバチに対しては同位の礼を行うべきなのです。すると人間関係から動植物まで全て同位の礼を行うべきだということがお分かりと思います。
 
③ 礼儀の上位
上位というのは必ずしも上位ではありません。上位というのは向こうからいただく位が偉いのであって己はちっともえらくないのです。偉くないが偉い位をいただいて位に相当したご奉仕をさせていただくその時に本当に自分の位が上がるとあなた方の世界では言う方もいますが、そんなことは関係ありません。そんなこと感じるのは思い上がりも甚だしいことです。己が偉いと思ったらそれでおしまいです。
 
以上の説明でお分かりと思いますが、本当は位の上下などどうでもよいのです。そう感じたその時、あなたの前には天の法則が厳然と現れるものです。礼儀というものはまさにやさしく簡単なものです。難しく考えてはいけません。
しかしこれを絶対の権威と称して逆にやるから虚礼になるのです。着衣どころか礼儀と思って誤った礼儀を尽くすから無礼になるのです。私利私欲が絡んでいるからそうなるのです。愚かを通り過ぎた愚かというほかないのです。先ず私欲を捨てましょう。我あると思ってはいけません。天地あると思いましょう。静かに創造主の言葉を聞きこれを行うとき、この形を「礼」と言います。礼儀は之に尽きるのです。
 
※礼儀の上位、中位、下位等についてはあまりにも崇高な教えであって具体的にどのようにしたらいいのか私は困惑していました。必ずしもこうなるとは限らない。混在していることもあるのでは。どこで上中下を区分したらいいのか。そう思っていた時、「ワシントンにある海軍博物館のアーレイバーク展示品の中で各国から贈られた勲章の中に日本の天皇陛下から贈られた勲章がなぜ展示されていないのか調べてみなさい。それですべてがわかる。そこに上位、中位、下位が共存している。親切には親切で返すのは礼儀としてとても大切なことです。」とのメッセージがあった。私の調べたことについては、次回二時限目の最後に、「親切には親切で返す」という項目で書き留めました。

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・「光の薬の作り方」実践テキスト
https://note.com/lucky_noto321/n/n0d6aa7355f11

イシスの性魔術とホルスの錬金術 第1~3章(これから瞑想を学ぶ人のために)https://note.com/lucky_noto321/n/ndceb0ca46849

DNAの2重螺旋構造と機能、起動(DNAの不思議な振る舞い)
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アルクトゥルス回廊
https://note.com/lucky_noto321/n/n138d85b10481

転生における前世の忘却等
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天界の授業に招待されて
https://note.com/lucky_noto321/n/n195802ba5c64

・アボリジニ物語 
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月の真実と地球人類の歴史https://note.com/lucky_noto321/n/na2cd28e8460d

宇宙船(UFO)の飛行原理、搭乗体験記 https://note.com/lucky_noto321/n/n7b714db106bf

「アルクトゥルス女性からのメッセージ https://note.com/lucky_noto321/n/n9da508e39240

日本人のルーツ パート1~6 https://note.com/lucky_noto321/n/nd852f09fa2e2

日本人のルーツ外伝パート1~3

「アルクトゥルスの風」パート1~10

 
 

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