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北海道美深町出身。1964(昭和39)年生まれ。 昭和15年と16年生まれの父母の命が…

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北海道美深町出身。1964(昭和39)年生まれ。 昭和15年と16年生まれの父母の命が短くなってきて、かつては疎ましいと思ったことも、さほどのこととも思わなくなってきたので記しておきたくなりました。 書き始めた文章が何処に辿り着くのかなかなか見えてこない雑文です。

記事一覧

もうすぐ四十九日

 最近鏡を見るたび母に似ていると思うようになった。  実物の母を見る機会がなくなったせいだと思う。  母が生きてる間は細かな差に気づくから、似てないと思えていたの…

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9日前
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白い四華の舞う焔と乾いた青い空

祖母編  母方の祖母が亡くなったのがわたしが5歳の時。母はわたしがまだ2歳にもならない時に、甲状腺を切除する手術の為に長期入院していてその時に祖母が子守に来てくれ…

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11日前
4

男女の機微とか、夫婦の絆とか

母の葬儀が済んだ。享年83歳。 入院と同時にほぼ会話のできる状態ではなくなっていたので母の声を聞くことはかなわなかった。 「元気でな」くらい言ってもらいたかったなあ…

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1か月前
9

花札と天塩川

 父方の祖母は戦争未亡人だ。夫は南洋の海で戦死した。3人の息子を遺して。わたしの父は真ん中の次男。長男の伯父だけが父親の顔をかろうじて覚えているが、父と下の叔父…

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5か月前
5

母の実家

 母の旧姓は大嶋というのだが、私の曽祖父にあたる人は北陸だか東北だかの下級武士の二男だか三男だかだったそうで、北海道の北部、美深というところの山間の土地を買って…

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6か月前
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困った男 後日談

 父方の祖母が末期の膵臓がんが見つかり入院した。まだ元気なうちに孫たちに会いに来るよう伯父が言ってきた。病院に一斉に息子たちと息子の子供らが集まって来て祖母は少…

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6か月前
4

困った男③

 父が娘のわたしとそれほど歳の離れていない女と浮気をした。父は母に離婚してくれと言うが、その女が本当に「奥さんと別れてくれ」と言ったものかどうか。わたしは怪しん…

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6か月前
2

困った男②

 「恥ずかしい!」母は言った。 「離婚なんかしたら他人にわかちゃうでしょ!なんて言われるか。見っともない!」  10もサバをよんで女の人を口説くなんて恥ずかしいマ…

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6か月前
3

困った男①

 父はトラックの運転手をしていた。わたしが小さい頃はダンプカーで砂利なんかを運んでいた。高校生の頃にはトラックで遠距離の仕事をしている。よく浜頓別から苫小牧まで…

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6か月前
4

妹よ、それはないだろ?

 その日も階下から聞こえてくる喚き声に布団をかぶって耐えていた。玄関のドアが激しく閉じる音がした後、無音になった。が、少しすると階段を上がって来る足音がする。一…

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6か月前
2

困った女(ひと)

 わたしが小さいころ、父と母はよくケンカをしていた。概ねお金のことなのだが、父が後先考えずにお金を使うとか、自分に相談もせず買ったとかいう事だったのではと思う。…

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6か月前
3

そういや今年両親はダイヤモンド婚式

 子供が両親の結婚の馴れ初めを無邪気にたずねることはよくあること。  そして身も蓋もない答えが返されることもまた、ままあること。 「お父さんは大人になってからお…

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6か月前
4

グズベリのこと

 大人たちがグズベリ、グズベリ言うからてっきりそういう日本語の名前なのだとばかり思っていた。   ある時グズベリのベリってベリー(berry)なのでは?と思い至った。  …

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6か月前
5
もうすぐ四十九日

もうすぐ四十九日

 最近鏡を見るたび母に似ていると思うようになった。
 実物の母を見る機会がなくなったせいだと思う。
 母が生きてる間は細かな差に気づくから、似てないと思えていたのだ。        
 他人から見て、全体的に雰囲気が似ているということはあるだろうけれども、部位ごとに見比べれば似てるところはないのだ。

 でもこの頃、その差を感じてた部分にあれ?っと思ようになったのだ。なんか似てきてない?って。
 

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白い四華の舞う焔と乾いた青い空

白い四華の舞う焔と乾いた青い空

祖母編

 母方の祖母が亡くなったのがわたしが5歳の時。母はわたしがまだ2歳にもならない時に、甲状腺を切除する手術の為に長期入院していてその時に祖母が子守に来てくれてたらしい。わたしは全盲の祖母にずいぶん懐いていたのだという。
 祖母が亡くなった時の記憶の断片がいくつかわたしにも残っている。
 病院のベットの脇で母や叔母たちが泣いていた事。
 初七日のお膳をいただく時父の膝にのせられていた事。
 

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男女の機微とか、夫婦の絆とか

男女の機微とか、夫婦の絆とか

母の葬儀が済んだ。享年83歳。
入院と同時にほぼ会話のできる状態ではなくなっていたので母の声を聞くことはかなわなかった。
「元気でな」くらい言ってもらいたかったなあ…と思ったら涙があふれた。

葬儀社に頼んでの家族葬だったからセレモニー用に故人の思い出エピソードを聞かれた。その時に父が語った母との馴れ初めは母からは聞いたことのないものだった。
母が喫茶店でアルバイトしてたのは聞いてたけれども、その

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花札と天塩川

花札と天塩川

 父方の祖母は戦争未亡人だ。夫は南洋の海で戦死した。3人の息子を遺して。わたしの父は真ん中の次男。長男の伯父だけが父親の顔をかろうじて覚えているが、父と下の叔父は遺影でしか知らない。

 その祖母の実家、S家では祖母の姉の夫と祖母の兄も戦死している。
 曽祖父は未亡人となった娘2人とその子らを不憫と思い気にかけていたらしい。  

 それは曽祖父亡き後、本家の家長となった長男である大伯父や弟妹にも

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母の実家

母の実家

 母の旧姓は大嶋というのだが、私の曽祖父にあたる人は北陸だか東北だかの下級武士の二男だか三男だかだったそうで、北海道の北部、美深というところの山間の土地を買って明治の終わり頃入植してきたらしい。

 多分騙されて。

 今は美深町の北の辺りが水稲栽培の最北端らしいけど明治の入植当時に米がとれたとは思えない。米はとれなくてもなんらかの作物がとれればよいと思っていたのかもしれないが。私がせめてもの救い

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困った男 後日談

困った男 後日談

 父方の祖母が末期の膵臓がんが見つかり入院した。まだ元気なうちに孫たちに会いに来るよう伯父が言ってきた。病院に一斉に息子たちと息子の子供らが集まって来て祖母は少し興奮していたかもしれない。
 特に次男である父が復縁したものの一度離婚しており、祖母はわたしと妹の2人にもう会えないかもしれないと思っていたのだから妹が自分にとってはひ孫に当たる子供まで連れて来てくれてとても喜んでいた。
 わたしが顔を見

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困った男③

困った男③

 父が娘のわたしとそれほど歳の離れていない女と浮気をした。父は母に離婚してくれと言うが、その女が本当に「奥さんと別れてくれ」と言ったものかどうか。わたしは怪しんでいた。

 歳を10も誤魔化していたと知った時「騙された!」と思ったはずだ。いくら産まれてくる子供のためとは言えそんな男と結婚したいと思うかな?

 わたしなら有り得んな…

 それともアラフォーともなるとそんな気になってしまうものなのか

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困った男②

困った男②

 「恥ずかしい!」母は言った。
「離婚なんかしたら他人にわかちゃうでしょ!なんて言われるか。見っともない!」

 10もサバをよんで女の人を口説くなんて恥ずかしいマネをしたのは父で母ではない。見っともないのは父である。母を気の毒に思う他人はいても母が恥ずかしがることはないのでは?と思ったが、
話がこんがらがるので口を挟まずに聞いていたら母の悪態がエスカレートし始めた。

 母が何を言っても父が申し

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困った男①

困った男①

 父はトラックの運転手をしていた。わたしが小さい頃はダンプカーで砂利なんかを運んでいた。高校生の頃にはトラックで遠距離の仕事をしている。よく浜頓別から苫小牧まで荷物を運んでいた。
 父の免許証は2輪を除いて全部に◯がついていた。
「だからお父さんはやろうと思えばバスの運転手もできるんだよ」と自慢気に言う母。
 父は会社で誰かに面白くないことを言われるとすぐ辞めてしまうようなところがあった。
「お父

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妹よ、それはないだろ?

妹よ、それはないだろ?

 その日も階下から聞こえてくる喚き声に布団をかぶって耐えていた。玄関のドアが激しく閉じる音がした後、無音になった。が、少しすると階段を上がって来る足音がする。一歩一歩わたしの部屋に近づいてくる。「来ないで!」と心の中で叫ぶ。足音が部屋の前で止まるとためらいがちに声がした。
「お姉ちゃん、寝た?」
 母は啜り泣いていた。

 その日のケンカは父の浮気が原因だった。相手がどんな女かは知らない。その夜の

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困った女(ひと)

困った女(ひと)

 わたしが小さいころ、父と母はよくケンカをしていた。概ねお金のことなのだが、父が後先考えずにお金を使うとか、自分に相談もせず買ったとかいう事だったのではと思う。

 小さい時分には、両親がなんでケンカをしているのかわかってないから自分が悪いからなのではとか、自分がこの険悪な空気を変えなければと心を痛めたものだ。お父さんお母さん仲良くして、と。

 子供ってそういうものよね。

 母がコロナの熱が下

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そういや今年両親はダイヤモンド婚式

そういや今年両親はダイヤモンド婚式

 子供が両親の結婚の馴れ初めを無邪気にたずねることはよくあること。
 そして身も蓋もない答えが返されることもまた、ままあること。

「お父さんは大人になってからおたふく風邪で高熱を出したことがあってさ。自分には子種がないんじゃないかって気にしてたらしいのさ。だから妊娠した私と結婚したんだって。」

 その時父は24才、母23才。私という子を授かり所帯を持った訳である。

「お父さんと一緒に歩いてた

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グズベリのこと

グズベリのこと

 大人たちがグズベリ、グズベリ言うからてっきりそういう日本語の名前なのだとばかり思っていた。
 
ある時グズベリのベリってベリー(berry)なのでは?と思い至った。
 
 果たして、gooseberryなのであった。

さりとてグーズベリーと言い直しもしなかったのだが。

 私が幼い時には農家の家のわきには、水道が通る以前には生活用用水路として使われていたと思われる小川があって、その川縁によくカ

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