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妹よ、それはないだろ?

 その日も階下から聞こえてくるわめき声に布団をかぶって耐えていた。玄関のドアが激しく閉じる音がした後、無音になった。が、少しすると階段を上がって来る足音がする。一歩一歩わたしの部屋に近づいてくる。「来ないで!」と心の中で叫ぶ。足音が部屋の前で止まるとためらいがちに声がした。
「お姉ちゃん、寝た?」
 母はすすり泣いていた。

 その日のケンカは父の浮気が原因だった。相手がどんなひとかは知らない。一度だけ、父の車に女の人がいるのを見た事がある。すぐに浮気相手だとわかった。その時一緒にいた2つ違いの小学3年生の妹にわたしは言った。

「今のは見なかった事にするんだよ。お母さんには言っちゃダメだよ。」

そう言ったのに、帰ると妹は母に、

「お父さんが女の人といたよ。でもお母さんに言っちゃダメだって、お姉ちゃんが。」

わたしの苦労は水の泡になった。

 あの日の夜、「お父さんとお母さんは離婚するかもしれない。」と聞かされた後、どうしたのか覚えていない。
 ただ1年経っても2年経っても父と母が離婚する気配は無く、わたしは中学生になった。昭和52年、西暦1977年。

 時はち令和も3年、母も老いてペースメーカーを入れるほどとなり、様子を見に妹と妹の車で行った帰りの事。
 わたしは木造の、今にも朽ちて崩れそうな建物が散見される田舎道に触発されて、自分達のかよっていた小学校の話をし始めた。
 石炭ストーブの事やぼっとんトイレの事、冬になると格子の木枠のガラスの窓の隙間から雪が吹き込んで廊下に積もっていた事。
 しかし、妹はあまり覚えていないようだった。
 その古い木造校舎はわたしが卒業の年に取り壊される事が決まっていて、学校は町にもう一つあった別の小学校と統合された。だから妹は4年生までしかその校舎に通っていないのだった。
 その妹が通うことになる小学校は今まで通ってた学校より倍の距離があって、わたしが通う中学校はというと家から5分と離れていない場所にあった。
「ラッキーだった〜」とわたしが言うと妹の声がどこか不機嫌に。
「そうさ、◯◯子は30分もかけて学校通ったんだよ。小学生の足で30分だよ!2年間!」(妹は自分のことを名前で呼ぶ)
「それなのにさ」
と、話が何やら不穏な空気に。

「そう言えば、お母さんが、◯◯子が歩いて帰って来たらお腹減ってぺこぺこだからおにぎり作っておいてって頼まれてたやつを先に帰ってたお姉ちゃんが食べちゃってさ。◯◯子がすごく怒ってたって。食い物の恨みは恐ろしいぞって。ずっと後になって聞いた。」と笑い話にすり替えようとする姉。

「すごい楽しみにしてたんだよ!」といきどる妹。

あんたまだ怒っていたのね…。

姉妹2人、ともにアラカン。

とりあえずおにぎりの事は謝っとく。

すまぬ、妹よ。

下がわたし達の通った小学校
美深町史より

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