父方の祖母は戦争未亡人だ。夫は南洋の海で戦死した。3人の息子を遺して。わたしの父は真ん中の次男。長男の伯父だけが父親の顔をかろうじて覚えているが、父と下の叔父は遺影でしか知らない。 その祖母の実家、S家では祖母の姉の夫と祖母の兄も戦死している。 曽祖父は未亡人となった娘2人とその子らを不憫と思い気にかけていたらしい。 それは曽祖父亡き後、本家の家長となった長男である大伯父や弟妹にも引き継がれていた。7人の兄弟姉妹は何かと行き来しあって助け合っていたようだ。
母の旧姓は大嶋というのだが、私の曽祖父にあたる人は北陸だか東北だかの下級武士の二男だか三男だかだったそうで、北海道の北部、美深というところの山間の土地を買って明治の終わり頃入植してきたらしい。 多分騙されて。 今は美深町の北の辺りが水稲栽培の最北端らしいけど明治の入植当時に米がとれたとは思えない。米はとれなくてもなんらかの作物がとれればよいと思っていたのかもしれないが。私がせめてもの救いと思うのは冬の燃料となる柴を集められる山も買っていたことくらいだ。 北海道の
父方の祖母が末期の膵臓がんが見つかり入院した。まだ元気なうちに孫たちに会いに来るよう伯父が言ってきた。病院に一斉に息子たちと息子の子供らが集まって来て祖母は少し興奮していたかもしれない。 特に次男である父が復縁したものの一度離婚しており、祖母はわたしと妹の2人にもう会えないかもしれないと思っていたのだから妹が自分にとってはひ孫に当たる子供まで連れて来てくれてとても喜んでいた。 わたしが顔を見せると祖母はわたしの手を取り父の事を謝ると「××男を許してやってな」と涙ぐんだ。
父が娘のわたしとそれほど歳の離れていない女と浮気をした。父は母に離婚してくれと言うが、その女が本当に「奥さんと別れてくれ」と言ったものかどうか。わたしは怪しんでいた。 歳を10も誤魔化していたと知った時「騙された!」と思ったはずだ。いくら子供のためとは言えそんな男と結婚したいと思うかな? わたしなら有り得んな… それともアラフォーともなるとそんな気になってしまうものなのかな… ギリギリアラサーのわたしは相手の女の事を想った。 わたしは母を連れて札幌に戻っ
「恥ずかしい!」母は言った。 「離婚なんかしたら他人にわかちゃうでしょ!なんて言われるか。見っともない!」 10もサバをよんで女の人を口説くなんて恥ずかしいマネをしたのは父で母ではない。見っともないのは父である。母を気の毒に思う他人はいても母が恥ずかしがることはないのでは?と思ったが、 話がこんがらがるので口を挟まずに聞いていたら母の悪態がエスカレートし始めた。 母が何を言っても父が申し訳なさそうにしてるだけで黙りこくっているせいで、かえって母の声はどんどん大きくな
父はトラックの運転手をしていた。わたしが小さい頃はダンプカーで砂利なんかを運んでいた。高校生の頃にはトラックで遠距離の仕事をしている。よく浜頓別から苫小牧まで荷物を運んでいた。 父の免許証は2輪を除いて全部に◯がついていた。 「だからお父さんはやろうと思えばバスの運転手もできるんだよ」と自慢気に言う母。 父は会社で誰かに面白くないことを言われるとすぐ辞めてしまうようなところがあった。 「お父さんはきちんとした仕事をする人だから『遊んでるならうちに来てくれ』っていうとこい
その日も階下から聞こえてくる喚き声に布団をかぶって耐えていた。玄関のドアが激しく閉じる音がした後、無音になった。が、少しすると階段を上がって来る足音がする。一歩一歩わたしの部屋に近づいてくる。「来ないで!」と心の中で叫ぶ。足音が部屋の前で止まるとためらいがちに声がした。 「お姉ちゃん、寝た?」 母は啜り泣いていた。 その日のケンカは父の浮気が原因だった。相手がどんな女かは知らない。一度だけ、父の車に女の人がいるのを見た事がある。すぐに浮気相手だとわかった。その時一緒に
わたしが小さいころ、父と母はよくケンカをしていた。概ねお金のことなのだが、父が後先考えずにお金を使うとか、自分に相談もせず買ったとかいう事だったのではと思う。 小さい時分には、両親がなんでケンカをしているのかわかってないから自分が悪いからなのではとか、自分がこの険悪な空気を変えなければと心を痛めたものだ。お父さんお母さん仲良くして、と。 子供ってそういうものよね。 母がコロナの熱が下がったものの下痢と便秘で病院に行くことになり、付き添いした妹が「お母さんの暴言が
子供が両親の結婚の馴れ初めを無邪気にたずねることはよくあること。 そして身も蓋もない答えが返されることもまた、ままあること。 「お父さんは大人になってからおたふく風邪で高熱を出したことがあってさ。自分には子種がないんじゃないかって気にしてたらしいのさ。だから妊娠した私と結婚したんだって。」 その時父は24才、母23才。私という子を授かり所帯を持った訳である。 「お父さんと一緒に歩いてたらこないだの人と違うねえって言われてさあ。」 笑いながら、聞いてもいないことま
大人たちがグズベリ、グズベリ言うからてっきりそういう日本語の名前なのだとばかり思っていた。 ある時グズベリのベリってベリー(berry)なのでは?と思い至った。 果たして、gooseberryなのであった。 さりとてグーズベリーと言い直しもしなかったのだが。 私が幼い時には農家の家のわきには、水道が通る以前には生活用用水路として使われていたと思われる小川があって、その川縁によくカリンズや茱萸なんかと一緒に植っていた。母の生家にもやはりあった。 夏になる