見出し画像

男女の機微とか、夫婦の絆とか

母の葬儀が済んだ。享年83歳。
入院と同時にほぼ会話のできる状態ではなくなっていたので母の声を聞くことはかなわなかった。
「元気でな」くらい言ってもらいたかったなあ…と思ったら涙があふれた。

葬儀社に頼んでの家族葬だったからセレモニー用に故人の思い出エピソードを聞かれた。その時に父が語った母との馴れ初めは母からは聞いたことのないものだった。
母が喫茶店でアルバイトしてたのは聞いてたけれども、その時に知り合って「仕事で北見に行くけど一緒に行くか?って聞いたら行くって言ったから連れて行った。」「その後お互いの家に挨拶に行ったんだ。」
これだけだと22才と23才の普通の青春エピソードじゃん⁈
しょーもないところだけ話して聞かせるって、どうなの⁇お母さん⁈
その話はこちらをどうぞ↓

父は若い頃、幼い子供と若妻を残し関東に出稼ぎに行ってたのだが、地元に戻る時にわたしたちを呼んで常磐ハワイアンセンターに行ったり東京観光させた思い出を通夜の日に孫たちに話していた。その話を横で聞いていたらそれらは父の中でキラキラしたエピソードになっていた。
それは1970年だったはず。
母が、もうすぐ6才と4才になる子供を連れて道北の美深という小さい町から千歳まで汽車で行ってそこから飛行機に乗せ羽田まで行くのに大変だったこと(飛行機の中でわたしは乗り物酔いで吐くし、妹はぐずって泣くしで)とか、出稼ぎの賃金の仕送りが少なくて母は子供抱えてやりくりが大変だったのだが後になって父の小遣いで大分が消えてたことを知ってしまい母の信用を失ったこととかは伏せられている。もちろん父が席を外した時にそれを孫に暴露する役目は伯母であるわたしの務めだ。

父の方がずっとロマンチストだな…。

妹が時々自分の旦那の愚痴をこぼすのを聞くのだが、そんなに我慢させられるのなら一緒に居なくてもとわたしは思ってしまうのだが、最近妹に「それだけじゃないから」「そんなことばかりなわけじゃないから」と言われて、ああ、母もそうだったのかと少しだけ理解した。
母はもう骨になってしまった後だけど。

でもね、母よ妹よ、あんた達言い方キツいのよ!手加減して話しなさいよ。
だって悪い話しか聞かされないのだから良い話もされてないとこっちの理解がおかしいことになってしまうでしょ?!

って、あと数ヶ月で還暦迎えるまで気づかずにいるわたしの方が粗忽なのかもねえ…はあ?なんでわたしが反省すんの?男女の機微?知らねえよ、くそ面白くもねえ。面倒くせ〜な〜。

あ、思い出した!出稼ぎ行ってた時、父が五分刈りで金髪にしてたことを。どこのチンピラかと思うような写真が残ってたよなぁ。古くなった茶箪笥を処分する時その中にそれまでの写真も入れたまんまお母さんがうっかり処分しちゃってさ〜。残ってたら孫たちに見せてやれたのに。今はひ孫相手に好々爺然としちゃって。

人の声だけじゃなく自分の声もよく聞こえなくなった父の大きな声が切ない。

葬儀社で作成してくれたボード

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?