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母の実家

 母の旧姓は大嶋というのだが、私の曽祖父にあたる人は北陸だか東北だかの下級武士の二男だか三男だかだったそうで、北海道の北部、美深というところの山間の土地を買って明治の終わり頃入植してきたらしい。

 多分騙されて。

 今は美深町の北の辺りが水稲栽培の最北端らしいけど明治の入植当時に米がとれたとは思えない。米はとれなくてもなんらかの作物がとれればよいと思っていたのかもしれないが。私がせめてもの救いと思うのは冬の燃料となる柴を集められる山も買っていたことくらいだ。

 北海道の初期の入植者のほとんどは冬の寒さに耐えられずに亡くなっているらしい。
開拓当初の庶民の燃料といえば柴くらいしかなく、柴を狩れる山を持ってる人間以外はそういう人から買うしかないわけで、その費用はバカにならない。借金して入植している者も多い。充分な柴を買うことができずに冬を越せない者が多かったという話を読んだことがある。

 母の話からでは曽祖父が入植の時、すでに妻帯していて子供がいたのか入植してから結婚したのかが定かではないのだが、祖父はこちらで生まれているようだ。祖父には異母姉がいて異母弟妹もいるので、曽祖父は少なくとも3度妻を娶っている。
 だから、わたしがひいばあちゃんと呼んでいたひとは祖父とは血が繋がっていない。
 祖父は幼少のころ頭部に火傷を負いケロイド状になり毛髪が生えてこなくなっていて「ツルツルの丸ハゲの子供が不憫だったから後妻の話をうけた」とひいばあちゃんは言っていたと母は私に笑って話している。丸ハゲが面白いらしい。いや、ツルツルの方かな。…両方か?

 そう言う母にも異母兄と異父兄がいる。どちらも既に鬼籍に入ったが。

 つまり祖父もまた妻を複数娶っていて、かつ最後に娶った私と血の繋がりのある祖母には連れ子があったということなのだ。

 祖父の最初の嫁は子を生す前に若くして落馬して死んだという。2度目の嫁はさきに書いた曽祖母が嫌い、長男を産んだものの子供を取り上げ実家に戻らせたのだという。3度目の妻が母の実母になる。

 話が長くなるので根拠をここでは記せないのだが、祖父は独身の時遊廓通いをしてたものと思われ、妻がいなくなるとまた通い始めたのではないかと私は考えている。それをやめさせるべく曽祖母は後妻探しをしたのではないか。母は言わないけれども。

 以下、母の談。

「つるっぱげに後妻に入ってもいい、もしくはやってもよいという家はなかなか見つからなくて、ててなし子をみごもっている母さんの家に声をかけ、『子供も一緒なら』という条件で仕方なく母さんを迎えたのだ。」とか。

 つるっぱげも一つの理由だったかもしれないが、2度目の妻を姑が追い出している話は近隣に知れていただろうから、そっちの方が大きな理由だと思われる。それとも祖父の遊廓通いが知られていたのかも…。両方か?

 そんな訳で。

 母は生家を出るまで血の繋がらない曽祖母や祖父の異母弟妹や自身の異母兄、異父兄と実母の産んだ弟妹の13人家族の複雑な環境の中で長女として育っており、その頃の話をずっと聞かされて育った長女のわたしの思春期が暗かったのは、それだけでも十分推して知るべし、なのである。











追記 
 曽祖父も祖父も何度も結婚しているのは嫁が早逝しているからでもある。
 当時、嫁が早逝するのは出産が自宅で行われている時代であり、給湯器などという便利なものがなく、厳寒の真冬であろうと毎日水仕事をしなくてはならないとか家庭内労働が過酷だったせいだろう。
 母の実母は、母が幼児の頃感染症で全盲になっている。医療態勢や栄養状態が良ければ失明にまで至らなかったのではと思う。
 母は祖父に「もっと早くに病院につれて行くとかできなかったのか?でなくともいたわっていたら失明しなくてすんだんじゃないの⁈」と詰め寄った事があったらしい。
 家格の低い家から嫁いだ者はあまり良い扱われ方はしなかった時代。嫁より我が子が優先だし、子であっても長男が優先されてた。当然のように。

「父さんは何も言えんでいたけどさ」
と母。
 母はきっと父親である祖父から謝罪の言葉が欲しかったんだろう。

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