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もうすぐ四十九日

 最近鏡を見るたび母に似ていると思うようになった。
 実物の母を見る機会がなくなったせいだと思う。
 母が生きてる間は細かな差に気づくから、似てないと思えていたのだ。        
 他人から見て、全体的に雰囲気が似ているということはあるだろうけれども、部位ごとに見比べれば似てるところはないのだ。

 でもこの頃、その差を感じてた部分にあれ?っと思ようになったのだ。なんか似てきてない?って。
 多分、歳をとっていくともっと似てくるに違いない。 
 親子なんだから似ててもおかしくないんだけど、生前あんまり似ていないと思っていたから、なんだかなあって。

 いやなわけではないんだけども、嬉しいわけでもないし。感慨深いって感じでもないけど、何かを感じてて。それがなんなのか、どう言えばいいのかわらない。

それで「なんだかなあ」と

 言わさるのだね…。

 きっと、わたしは自分が死ぬまでの間、「老いってこんな感じだったんだね」としのぶんだろうなあ…。

※注 「言わさる」という言い方は北海道弁でございます。

わたしが描いた母


追記

 前の記事で母と伯父夫婦が折り合いが悪かった事を書いたが、母は子供の頃から異母兄妹の伯父の事に対して怒っていて、それでも盆暮れ彼岸の時期には祖父と曽祖母がいる伯父夫婦の家にわたしたち家族連れで訪れていた。それがわたしが中学に上がるとぱたりと行かなくなった。
 親同士が仲が悪いからって、わたしまで従姉妹と疎遠になる事はなかったなあと少し悔やんでいたのを思い出しながら先の記事を読み返していてふと気づいた…。

 あれ?本家に行かなくなったのは祖母の七回忌の頃だったのでは…。

 祖母の遺骨を大嶋の墓から合同墓に移したのは七回忌の時だった?!

 還暦になろうという時期まで気づかないなんて、わたしも大概自分のことしか考えてない人間だよ、まったく。

 自分の気鬱でいっぱいだった中学生の頃はいいとして(思春期ってそういうもんだし)

「いい歳した大人になってからも自分の好きなことだけしてたからだよ」って指摘されたとしてもしょうがない迂闊さだ。

 母の四十九日の前に気づいたのも何かの導きか…。


札幌の老人ホームに移ることが決まった頃の母

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