コミュニケーション障害を齎す『スキーマ(信念)』

 コミュニケーションについて知識を増やしております。カエルです(o・ω・o)どうぞよろしくお願いします。

 私は「コミュニケーションしようと思えば出来るけど、いろいろめんどくさいと感じてやらない判断をしてしまう」タイプのコミュ障なんですが、

(蛙・ω・)<どうしてそんなことになったんだっけ?

 と、ふと考えたのです。


無意識の「スキーマ信念


 生まれた瞬間からコミュ障な人はいないワケです。
 成長の過程で。大人になる道中で。青春から玄冬へと移り変わる中で。
 だんだんと「コミュニケーションが苦手」になり、「コミュニケーションそのものが出来なくなる」というのが、"コミュ障道" な訳です。

 そこで問題になるのが、

 会話をすることで、
嫌な思いを経験したことがある。

 というバックグラウンド背景

 ブログ内で紹介されている『対人問題ワークブック』の著者、マシュー・マッケイ博士曰く、

「人間関係のスキーマ」が原因である。

 と仰っており、スキーマとは、「自分自身や他人について無意識のうちに抱いている中核的(物事の中心にある重要)な信念」とのこと。

■マシュー・マッケイ

カリフォルニア州バークレーのライト研究所教授。多数の共著書がある。これまでに販売された書籍は合わせて400万部を超える。カリフォルニア臨床心理大学院にて臨床心理学のPh.D.を取得。不安とうつ病の認知行動療法を専門とする

プロフィール

 前述の「会話をすることで、嫌な思いを経験したことがある」という人は圧倒的マジョリティ大多数だと思います。事実、私もそうです。
 相手と建設的なコミュニケーションを取りたくても感情論になって平行線になったり。
 そもそもコミュニケーションを拒否されたり。

 コミュニケーションを望むことで不快な思いをすることは多々あります。

「コミュニケーション面倒くせえ」と思うことなんて、私にはしょっちゅうです。 

 そしてそんな "経験" が、「コミュニケーションを取ろうとすると、不快な思いをするから他者とは一定の距離を置こう」というスキーマになる。

 というお話。

 そうして積み重なって出来た『スキーマ』は、コミュニケーションの度に鎌首をもたげてこう言います。

「積極的なコミュニケーションは嫌なことのデメリットばかりだからやめておけ」

 てことで、私みたいな「コミュニケーションしようと思えば出来るけど、いろいろめんどくさいと感じてやらない判断をしてしまう」タイプのコミュ障を生み出してしまったというワケ。

 ま、それが全てではないでしょうけれど、スキーマが無いと言えないくらいには、信念的に「他者とのコミュニケーションめんどくさい」と思ってしまいます。
 無意識に「嫌な思いの可能性」を遠ざけているのでしょう。

 マッケイ博士曰く。

スキーマは、あなたの行動だけでなく、他人の行動をどう解釈するかにも影響する。
あなたは自分のスキーマに照らして他人を見るので、自分の信念に反するものはフィルターにかけてしまう。

 私の場合で言うと、

 私が「コミュニケーション面倒くさい」と思っている
とき、
 
 私は相手に対しても、「コミュニケーションを取るには面倒な人だ」と解釈したり、

「そもそもコミュニケーションはめんどうだから、話しかけないでおこう」

 と目の詰まった漉し器のようなフィルターにかけてコミュニケーションを捉えている。という訳です。
 思い起こしてみれば、すごく腑に落ちる思考です。


 


スキーマは深く刻み込まれているうえに、世界を理解するのに役立つので、根強く残り続ける。


 さて。
 そんなスキーマをどう回避するのか?
 どんな手法で払拭するのか?

 というのはまた明日書くとします。

 気になる方はパレオさんのブログからもどうぞ~。


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