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【無料】太平洋戦争(大東亜戦争)は自衛の戦争か?~高市早苗コラムを引用~

"歴史" を考え語るにあたっては、人や国によってさまざな解釈が行われるものだ。

なかでも、我が国の歴史を振り返るうえで最も解釈が分かれる事象といえば、「大東亜戦争」が挙げられることだろう。

「大東亜戦争」とは、支那事変(現在で言う日中戦争)と対米英蘭戦争(現在で言う太平洋戦争)をあわせて言う名称を指す。

この大東亜戦争について、主に "左翼" と呼ばれる者が「侵略戦争」と解釈し、主に "右翼" と呼ばれる者が「自衛戦争」や「植民地解放戦争」と解釈する、とされているのが現在の日本だろうか。

私はこれまで幾度にわたって大東亜戦争観について話してきたが、高市早苗・経済安全保障担当大臣のコラムに高市氏の大東亜戦争観を見つけたため、再度、簡単にであるがお話ししておこうと思う。

と言うものの、高市氏のコラムを読んで驚いたのだが、私と高市氏の大東亜戦争観は大枠においてほぼ一致しているようで、ほとんどが高市氏のコラムの引用になってしまうかもしれない(笑)

高市コラム

戦後教育を受けた私の「現代人としての価値観」や「現在の国際法」に照らして考えると、他国の領土・領海・領空内で行なう戦闘行為の殆どは(同盟国への防衛協力の場合等を除く)、「侵略行為」である。しかし、「日本にとって」「自存自衛の戦争だったか」ということなら、そうだったと思っている。その問いは「当時における戦争の位置付け」を問われたものと理解したから。欧米列強の植民地支配が罷り通っていた当時、国際社会において現代的意味での「侵略」の概念は無かったはずだし、国際法も現在とは異なっていた。個別の戦争の性質を捉える時点を「現代」とするか「開戦当時」とするかで私の答え方は違ったものになったとは思うが、私は常に「歴史的事象が起きた時点で、政府が何を大義とし、国民がどう理解していたか」で判断することとしており、現代の常識や法律で過去を裁かないようにしている。

田原総一朗さんへの反論
|高市早苗2002年08月27日
(https://www.sanae.gr.jp/column_detail155.html)より引用

まず、私のモットーとして、「現代の価値観によって過去を裁くことは歴史への冒涜である」というものがある。

現代の我々にとって、たとえば "民主主義" や "非暴力" 、"国民主権" などは当然の価値観として共有されていると思う。

しかし歴史を遡れば、たとえば戦国時代において、民主主義や非暴力、国民主権は当然のものだっただろうか。

これはまったく異なり、当時は暴力こそが最大の力であり、暴力によってのし上がった将軍が法であったはずだ。

そのような戦国時代について、「当時の統治は基本的な価値観すら共有されておらず、最悪なものであったとしか言いようがない」と評したとして、これに「その通りだ」と思える者がどれほど存在するだろうか。


おそらく、多くの方が「何をバカなことを」と思われるのではないかと思う。

しかしこれが近代の歴史となった途端に、『現在の価値観によって過去を裁く』ことを是とする者が増えるのだ。


私が常々批判している "リベラル左翼" と呼ばれる層がまさにこれであり、現代の価値観を大東亜戦争に適用し、「先の戦争は侵略戦争だった」と主張しているわけだ。

戦後、日本人を裁いた東京裁判(極東国際軍事裁判)も、"事後法" と呼ばれる「新たにつくった法律で、過去の出来事を裁く」という禁忌を犯しており、これは「現代の価値観によって過去を裁く」に通ずるものがある。

話を戻して大東亜戦争の当時、アジア諸国のほとんどは白人の植民地として支配されており、その支配は数百年にわたって継続されていた。

我が国は長く鎖国することによって独立を保っていたが、ペリー(大東亜戦争当時はペルリー等と呼ばれていた)が来航したことにより開国を迫られ、殺伐とした国際社会に放り込まれることとなってしまったのだ。

開国後の我が国が白人諸国と不平等条約を結ばされていたことを見るに、白人諸国は他のアジア諸国と同じように、我が国のことも植民地として支配しようと考えていたと考える方が自然だろう。

その後、我が国は明治維新を経て圧倒的な近代化を成し遂げ、清を破りロシア帝国を破り、国際社会のなかで一定の発言権を得ることになる。

 中国の分裂と混乱、世界の保護貿易主義傾向で資源や市場を獲得できなくなった日本の経済安全保障への懸念、地理的に隣接するロシアの極東軍事力の増大、様々な要因の中で追い詰められていった日本の「当時における大義」はやはり「自存自衛だった」と言わざるを得ません。(その後の戦闘行為の中で発生した個別の戦時国際法違反事例を正当化はいたしません。米国が原爆投下で犯した「非戦闘員の殺戮や非軍事施設への攻撃」といった事例は、各国とも経験しているはずです)

田原総一朗さんへの反論|高市早苗
2002年08月27日
(https://www.sanae.gr.jp/column_detail155.html)より引用

我が国は現在も、隣国である中国、その影響を受ける北朝鮮、北に位置するロシア連邦に悩まされているわけであるが、当時の我が国も同様に、支那(当時の呼び方)の混乱、ソビエト連邦(現在のロシア)、それらの影響を受ける朝鮮半島に悩まされていたのだ。

そのうえ、「パリ講和会議において人種差別撤廃を訴えるも退けられる」など、白人諸国と我が国の関係は、決してよいものとは言えない状況だったのである。

議場では、イギリスなどの消極的な姿勢を前に少しずつ妥協しながらも、牧野が「人種的、宗教的な憎しみが紛争や戦争の源泉となってきた」と主張するなど、日本全権団は人種差別の撤廃に向けて粘り強く交渉を続けました。
 1919年4月11日に開催された国際連盟最終委員会において、牧野は国際連盟規約の前文に「各国の平等及びその国民に対する公正待遇の原則を是認し」との文言を盛り込むよう提案し、出席者16名中11名の賛成を得ました。しかし、議長であるウィルソン(T. Woodrow Wilson)米大統領は、このような重要事項の決定には全会一致を要するとして、日本の提案を退けました。こうして日本の人種差別撤廃に関する提案は、最終委員会での牧野の陳述と日本の提案に対する賛否の数が議事録に残されただけの結果に終りました。

外交史料 Q&A 大正期
>Question 1919年(大正8年)のパリ講和会議において、日本が国際連盟規約に人種差別撤廃を定めようとしたのは本当ですか。|外務省
(https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/taisho_02.html)より引用

そのような情勢において、我が国が自存自衛を全うするために大東亜戦争へと突き進んだことについては、私はこれは「セキュリティ・自衛の戦争であった」と言うべきであると考えているのだ。

高市氏が "欧米列強の植民地支配が罷り通っていた当時、国際社会において現代的意味での「侵略」の概念は無かったはずだし、国際法も現在とは異なっていた" とおっしゃっているが、まさにこの通りである。

よって私の「大東亜戦争観」として言えば、『我が国が自存自衛を全うするための自衛戦争の結果、それがアジア諸国の植民地解放にも繋がった』となる。


ただし高市氏と同じく、「戦闘行為の中で発生した個別の戦時国際法違反事例」を正当化はしない。

それと同時に、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下等、アメリカが起こした非戦闘員の殺戮・ジェノサイドも「正しかった」などとは考えないし、この責任を追及せず一方的に日本人をリンチした東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決も否定する。

よって私は、「大東亜戦争は日本の侵略戦争だった」などという『現在の価値観で過去を裁く、歴史への冒涜』には与しないし、同時に「皇軍は一切の悪事を行わなかった」という無茶苦茶な日本擁護にも与しない。

従軍慰安婦や徴用工強制連行、南京大虐殺などの捏造はもちろん論外だが、個別の戦時国際法違反については当然として反省が必要だし、補給の軽視など軍体制についても反省が必要である。

第一次世界大戦、第二次世界大戦において悪事を働かなかった軍隊など世界のどこにある、という話で、反省すべき点を正しく反省することは、「日本は悪い国だった」などという偏見的な自虐史観には繋がり得ない。

歴史、そして先人を冒涜し目を背ける自虐史観から脱却し、反省が必要なことまで見境なく肯定し目を背ける限界ネトウヨ史観も否定し、史実に基づいて大東亜戦争を検証できるようになって初めて、『日本の戦後は終わった』と言えるのではないだろうか。


そのうえで、私は自存自衛を全うするため国家に命を捧げられた先人たちを誇りに思うし、職業を問わず、誰もが安心して靖国神社を参拝し、御英霊のみなさまに尊崇の念を捧げることができる日本をつくっていきたいと思う。

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