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転職という名の亡命。成功させるにはどこでも通じる実力とそれを保つ努力が必要。
たとえば、現職がハラスメントの見世物小屋のような状態になっていたとする。「そんなところにはいたくない」と転職活動を始めたとする。
転職活動が早期にうまくいくかどうかは、本人が持っている実力次第。「現職がどんなに悲惨か」は関係ない。
マルティン・ニーメラーの有名な詩『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』ではないけれど、「これはやばい」と感じたときには手遅れというケースが多い。
「あの会社に行きたい
コラムを読んだけど何も感じないのは疲れのせい?
今日のコラムは、選挙活動を揶揄したコラムだった。
だったのだけど、不思議と何の感想もなかったのだ。
何も感じないほどに疲れてしまっているのか、それとも、今風の選挙と離れた内容に現実味を感じなかったのか…。
これまでは何も感じなくても「何かあるはず」と思って何かしら書いたけれど、15分ほど悩んでも何も思い浮かばない。
これ以上考えたところで仕方がなさそうだ。
というわけで、「何も感じなかった
「前例主義」と揶揄したい瞬間もある。でも、堅い仕事をしてくれる公務員が安心
役所というのは、とにかく叩からやすい職場と思う。
「前例主義だ。」「頭が固い。」
なんてお決まりの批判から、メンタルが死んでしまうような罵詈雑言まで、カスハラの展示会場のようになることもあるらしい。
難しい試験をクリアして、そんな経験をするなんて、本当に頭が下がる。
たしかに、役所のやり方に文句をつけたくなることもある。
「ちょっと手配してくれればいいだけでしょう?」と。
でも、私にだけ適用
その無理筋は人心を離反させてまで通したいものだろうか。
「無理筋とわかっていても、それを「正」として通さなければならない瞬間がある。本当にそうだろうか。
今日の深代さんの天声人語は、靖国法案の強行採決の話だった。
「その理屈は無理筋」なことが権力によって「正」とされた典型例といえるかもしれない。
最近は強行採決はお見掛けしなくなった気がするけれど、こういった類の話は、身近でもよくみかける。
たとえば、ワンマン社長の命令なんかもそれにあたるだろう。
有名なだけの人を選びがちなのは、他の候補の主張がわかりにくいせいもあるのでは?
選挙で、有名なだけの人を選びがちなのは、他の候補の主張が分かりにくいためと思う。
「選挙ポスターでしか知らない誰か」よりも、テレビやラジオで見慣れた人物の方が親しみやすい。その人物が普段から作り上げているキャラクターから、「誠実で実行力もありそう」と感じるのは自然なこととも感じる。
他の候補が受かれないのは「候補が有名だから」だけではないだろう。
「主張が分かりにくいため、実現可能かどうかの判
立場ができてから素行を直しても遅い。
「でも、あいつってああいうやつだったよね」
立場ができてから立ち居振る舞いを変えても周りがもっている印象はそうそう変わらない。
それがネガティブな印象ならなおさら。ちょっとしたことでも「やっぱり。結局、ああいうやつなんだよ」と言われてしまう。
揚げ足を取られまい、立場に見合った行動をとらねばとどんなにがんばっていても、ふとした瞬間に感情優位になると元にもどってしまうのもよくない。
立場が人を
隣の芝生は青く見えるだけ。自分の組織はそんなに悪くないかもしれない。
「いいなぁ、お前のところは。グループ移動したいよ」
という愚痴を耳にするようになってしまった。
聞けば「上長が情報を流してくれない」「ハラスメントが横行しているのに、人事は何もしてくれない」「仕事がなくて干されているやつの愚痴を聞くのがしんどい」といった不満があるようだ。
事実とすれば、転職も視野に入れていいレベルの深刻さと思う。
でも、その問題は組織内の他のグループに移ったからといって解決は
いつの時代もリーダーに求められるのは誠実さと人間味。
「首相が」を「リーダーが」と言い換えたらそのままリーダーのあり方に使えそうな話だ。
リモートになって顔を合わせずにすむようになって「リーダーが難しい」といわれている。
人間不思議なもので、顔が見えなくても声色だけで相手の何かしらを察してしまう。ちょっとした勘違いや思いこみが続いて人間関係が崩壊するのも原因の1つらしい。
ちょっとした語感をとらえ、「あ、小ばかにされてるんだな」「お、よろろこん
風刺やジョーク、場違いな場所で話すと痛い目を見る。
風刺やジョーク、場を考えずに「これくらい通じるだろう」と高をくくって発するとだいたい失敗する気がする。
痛烈なものであればあるほど、冗談だと思わず真に受けた人たちの批判がすごいことになるからだ。
「批判を覚悟の上」であったとしても、激しい攻撃にメンタルが耐えられない。
ネット社会でAIも発達している「今」だ。「もしかして、風刺のつもりか?」と思えば調べようはいくらでもある。でも、反射的に「こい
人を傷つけないジョークが言えるのも教養のうち。
本当のあほうは道化にはなれない。というセリフを聞いたのはどこだったか…。ターゲットの頭のレベルに合わせて、時流の話題も取り入れて冗談を飛ばせるのは一定レベル以上の教養と頭の良さがないと無理というのは本当だろう。
道化としていきたいわけではないけれど、人を傷つけないジョークを楽しめる環境は素敵だと思う。
人を笑わせる、笑ってすっきりするというと「いじり」という名の「単なる悪口大会」が開かれてしま
批判や文句が口を出たら、己を振り返る必要がある
「むかつく」と声に出すのは簡単だけど、声に出すだけで満足してはいけない。なぜ自分がむかついたのかの原因を探り、似たような事案があったときに反応しないようにすることが大事だ。
いうのは簡単だけれど、実際にやってみようとするとむつかしい。
特に、わかってはいたけれど認めたくない自分の弱さをついてくるような出来事が原因ならなおさら。
原因はわかっているけれど、今まで目をつむってきたことだけに認めるの
多数横暴も必要悪?信じる正義が本当に正義かは後にならないとわからない
「未来のためだ。犠牲になってくれ。君たちの意思は関係ない」なんてセリフにしたら、なろう小説っぽい感じになりますね。
多数派が強引に少数派の意見を封じ込める話です(6月4日にこの話をするのはたまたまです。ほんとうに)
今日読んだ昔の天声人語は、防衛二法案、国鉄法案の暴挙についての天声人語だったのですよ。少数派の意見を亡き者にして進めた横暴に苦言を呈するものでした。
暴挙と書かれてはいるものの、後
情熱を傾けて回顧録を書くほどに責任ある仕事をしているか
回顧録が書けるほどに情熱を傾けて仕事をしているか。それも常に。
といわれると「していない」という回答になる。
でも、「ここが正念場」と感じたあのときの仕事は「回顧録が書けるほどに情熱を傾けたし、恥とならない仕事をした」と断言できる。
つらい経験でもあったけれど、過去のいくつかのそういった経験が、今の私を形作っている。あれらがなかったら、仕事人としても薄い人間になっていたんじゃないだろうか。
4月・5月に観た映画
Amazonプライムビデオを利用して映画を見ています。
(映画へのリンクはAmazonアソシエイトプログラムを使っています)
この記事は、見た映画の記録です。
4月は1本も映画を見ませんでした4月に観た映画は0本!!!
3月までは、職場の仲間と一緒にわいわいみていたんですが、ウォッチパーティがサービス終了したのでそれがなくなったんですねー。
「来週はなにみますかねー?」なんて言いながら映画を決め