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「わかっているだろう」という前提を疑え。
今日のコラムは難解だった。当時、大人だったらわかったのだろう。
何を風刺しているのかわからない。
どこまでが事実なのかもわからない。
ぐぐってもでてこない。
深く調べれば時代背景から推察できるのだろうけど、そこまでの熱量もない。
「どうもどこかしらのラインは冗談らしい」というところまではわかったのだけれど、そのラインが不明。
「お前の常識力が足らんのだ」と言われてしまえば、返す言葉もない。
ただコラムを読んだだけの話
読んだコラム「ファッショ論争」
思ったことを箇条書きに
タイトルの「ファッショ」がわからず、本文に行く前にググる。
ひらがなで「みのべ」とあるのは、この方のことかしら?
どうやらあっているらしい。(若い…!!)
なるほど(笑)
いまなら、ハイ論破って言われちゃいそう。でも、いまでもあるはあるのか…。
人間の理性より、情緒に訴えた方が都合がよく、手っ取り早い
これ、ファシズムに限らず…
その時代の政治家の色紙。時代背景を思いながら眺めると面白いかも。
政治家の先生の色紙、興味なかったのだけど、覗いてみると面白い。
見事な達筆の人もいれば…という話ではなくて、書く内容が面白かった。
手元になくてもGoogle検索すれば様々な色紙をみることができる。中古品売買サイトでは、ずいぶんと昔の政治家の色紙もあった。
もちろん、中には偽物も混ざっているだろうから、「それっぽい。それっぽい」程度で楽しむレベルなのがいいのだろう。
こういうのも、当時の時代背
「お前にだけは言われたくない」。言わせる側にも問題がある。
立場が人を作る。というし、立場が変われば言動が変わるなんてことはよくある。
たとえば、会社の方針でやってる学習会。出世するまではほとんど出席しなかったくせに出世するなり「学習会に参加しないのは逆賊」と言わんばかりの締め付けを始める…など。
まぁ、受け手のこちらもいい大人なので「立場が変わるとね(あいつも大変だな)」くらいで流すのだけど…。
中には流せない人も、いる。
「お前にだけは言われたく
大人が身につけておくべき教養。どこまでが当たり前の範囲か。
今日のコラムは文中にドイツ、フランス、アメリカ、日本の首脳陣の名前が出てくる内容だった。
何をしたかまでいえる人、前任者の名前もわかる人、名前だけ知っている人、名前も初めての人…となった。ググってみて「ああ、そういう人なのね」という感じで「新しい知識が得られてハッピー」とはなったのだけど…。
調べないとわからない=教養がないということなのでは?
とも感じた。
もし、これがコラム連載当時なら「
【休憩】マンネリ化したら初心に戻る
深代さんの天声人語を読んで、感想を持ち、感想を軸にして文章を書く。
毎日やることでアウトプットの習慣をつけ、文章力をつけようと始めたのが3月の末。
気が付けば3か月半も続いている。
毎日やろうといいつつも土日祝日はお休み。体調が悪いときは無理をしないという感じになってしまったものの、よくやっていると思う。
しかし、最近どうもマンネリしてしまった。
感想を持つのは難しくなくなった。
当初は40
今日のコラムは田中首相退陣の話だった。
読んだコラム「初冬の風」
思ったことを箇条書きに
ついに田中角栄首相が退いたのかな…。
門閥も学歴も関係ない人がトップにたつ。境遇が似た人たちが「俺たちの」となる。よく聞く話だけれど…。
2年半の在任期間は長かったのかな?
岸田首相が並んだという記事があるから、短くもく長くもなくといったところかしら?
長い人は8年弱らしい。
時勢に答えられず、変化を見抜く力も不足していたとあるけれど、
皮肉交じりの冗談を使いこなすには。流行りが過ぎたら引っ込めて次に乗る勤勉さが必要。
時代背景もとらえたうえで、皮肉を交えて言いたいことを言う。
簡単そうで難しい匠の技。と思う。
今日読んだコラムで紹介されていたエッセイ、今の時代なら炎上、出版社謝罪もありそうと思った。昔のエッセイなのだから仕方ないのだけど、「こういうのがウケたのか」と思うとげんなりした。
皮肉が効いた冗談や風刺は、その場その時だから面白いのであって、元ネタになる流行がすぎたら速やかに引っ込めるべきなんだろう。
「俺だったらこうする(ただし現実性は0)」は意味深な顔の沈黙に変えたほうが格があがるのかもしれない
フリーアナウンサーの久米宏さんをご存じだろうか。
最近はテレビと縁がなくなってしまったので、最後にお見掛けしたのは20年ほど前になる。
アナウンサーとしても一流の方なのだけど、私は彼の「あえて口にはださない。しかし、表情でものを言う」姿が好きだった。
音声だけ聞いていると無音。沈黙が支配しているスタジオ。
でも、画面をみると久米さんの眉間にしわが寄り、口がへの字に曲がっている。
言葉にしなくて
口先だけのコンサル風情。と言われないための心がけとは。
「自由を守り、平和に徹する」とは佐藤前総理の言葉だそうだ。この言葉、詩的な表現で美しいが、具体的な内容については言及していない。佐藤前首相の言葉はこの手のものがよくあり、新聞記者泣かせだったとか…。
私がここ数年仕事にしているウェブマーケティングコンサル業も、うっかりすると「口先だけのコンサル風情が。中身のないことばかりいいやがって」と言われかねない商売だ。(たまに同業者がやり玉に挙がっているこ
期日もなければ方法もない。それは仕事の約束として機能しない。
(ここからしばらくは田中角栄氏の話が続きそうだなと思いながらの本日のコラム。金銭問題にまつわるあれこれでありました。)
「調査したうえで近いうちに発表する」
という発言があったということだった。
「期日もなければ、情報共有の方法もなかった」と責める論調だったけれど、それはそうだろうと思う。
仕事の約束であるなら、「期日はいつか」「調査経過は報告してもらえるのか」「どういう方法で共有されるのか」
田中角栄のことくらい、まともに話せないとまずいなぁ…
今日の深代さんの天声人語は田中角栄さんのことだったのです。
深代さんのコラムを読むと「あ、日本人なのに知らない。恥ずかしい」という事態がほどほどの頻度で発生するのですが…。
今回も例にもれず。
歴史の教科書に出てきた人。田中真紀子産のお父様。石破茂さんを政治家にしちゃった人。日本列島改造論の人。ロッキード事件の人。
というイメージが強くて、まともに知らないなと…。
さすがにこれは常識がなさす
アラフォーはもう、「私は私」では済まない年齢ですから。
「上はそういっているけれど、私はそうは思ってなくってぇ」
とは、当時所属していた組織の主席の発言だったと思う。
「あなたがどう思おうと、組織があなたに求めている立ち位置・言動がそれならそうすべきなのでは…」
と思ったものだが、当時の私は声に出すことはできなかった。
怖かったのだ、彼女のことが。アラフォーと言われる年齢で部下と呼べる人間が複数人。主席○○という肩書があるにもかかわらず「自分の立場
周囲と良好な関係を築きたいなら、声帯を振るわせる前に一次情報にあたるべき。
真実と信じていたのに、一次情報をあたってみたらどうやら違った。
何度も確認したけれど、誤っているのは自分の認識であった。もし、これをそのまま信じ続けていたと思うと…。
そんな経験はないだろうか。
一次情報というのは手に入れるのが面倒なものだ。
まとまっていないことがほとんどだし、人に関するものならその人本人や関係者にまで話を聞きにいかなければならない。
時間も手数もかかる。
でも、「そうらしい
立場が変われば言動も変わる。そんなことはわかっているから言い訳はどうでもいい。
立場が変わればいうこともやることも変わる。
「平だったときは、あんなだったくせに。役職付いたとたんにこれかよ」
などという光景は、組織に属していると、よく見かける。
「いいたいこと」も「やりたいこと」も「立場」が作るものだ。
立場が変わってそれらが変わるのは、自然なことだと思う。
ただ、前の立場のときに行っていた内容とほぼ180度変わる内容になるのは、「理念がない」と言われても仕方ないだろう。