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中学教師とわたしと父

わたしのいた中学校は、全在校生徒約1200人、ついでにトイレの数も県内一と言う、"ちょー"がつくマンモス校だった。

教師達と言えば、男も女もみなスパルタ揃いで毎日気合い入っていたし、殺気はあったし、竹刀を持ち歩く教師も数人(男も女も)いたし、色が入ったメガネかけたほぼヤクザみたいな体育教師もいれば、怒りに身を任せて椅子や机は投げるやつもいるし、女生徒などお構いなしに叩くし、殴って、登校拒否児にしてしまうやつもいた。剣道部の女子は吐くかぶっ倒れるまで素振りの練習。飴の包み紙が校庭に落ちていただけで即全校集会開催。

不良は絶対許さねー。反抗する生徒はみな性根叩き直してやる。男子は坊主、校則にないけれど、女子は成績よくても髪の毛伸ばすの色気出して生意気だから許さねー。

定期的に朝に制服、髪の毛検査。
女生徒は制服の下にペチコートって言う下着絶対着用。

と、全然盛らずに言ってもこんな感じで、

ここは刑務所なのでは?

って毎日思いながら通っていた。

行くのすごくしんどかったよ。

一年の時の担任と言えば、ハイパースパルタ教師で、さっき言った女生徒一人登校拒否児にするぐらい手をあげるし、あの剣道部の顧問だと言う、わたしは「やったね!大当たり!」ってやつを引いてしまったひとりだった。

しかし、やつは、げすぃやつでもあって、「お気に入りの子」には"激甘"で、あからさまな"えこ贔屓"する教師でもあったんだよ。

わたしは、3つ離れている姉がいるのだが、秀才でバリキャリ女なもんで、3年生の時は、これまた秀才のヴァイオリンも弾けると言ったスペックちょー高い東大行くんだよね?みたいな神童男子と、成績の1位2位を争っていたとかいないとかで、2人は生徒会長、副生徒会長の仲だった。姉は、部活ではテニス部の部長をやっていた。ついでに英語の全国弁論大会、高円宮杯全日本中学校英語弁論大会に出場、入賞を果たしている。

ので、なので、だから、そんな教師たちからは、姉の評価は非常ーーーに高く、みなの記憶に深ーく刻まれており、

わたしは、入学と同時に姉は卒業していなかったにも関わらず、教師間で、入学して瞬殺で「あの姉の妹」として位置付け、認識、覚えられてしまった。

姉とは正反対のぼへえっとしているわたしを、まあ、七光りという恩恵に預かることができたわたしは、その鬼担任には、お気に入りの1人に入ったのだった。

がっ、お気に入りという事は、常に「見られている」訳で、成績はもちろん、わたしの行動は逐一やつの監視下に置かれていた。

可愛いがってもらってはいたが、初めての校内テストで、姉との成績の番数の落差にがっかりさせてしまっていたのをわたしは知っている。

1年生の時、わたしはそんなに勉強しなかった。が、そこそこの位置にはいた。

しかし、小テストで落ちようものなら、わたしのところにさりげなくやってきて、「お前落ちただろ笑」って耳元で言われた時なんか、「ひっっ!きょわいよおおーー」って身が竦む思いだった。

そんで、いつも約460人中40番代くらいにいたんだけれど、なんか、ある時、間違えて20番代になってしまったことがあって、うちの父親が、まあ、秀才の高学歴やろう殿なんだけれど、そのわたしの成績の変異を察して、

「ん?」

ってなったらしくて、

ある日わたしはおとっつあんに

「お前いままで、手抜いていただろう?なんで、この番数取れんのに勉強しねえんだ?え?あ?」

って恐喝されて、

またわたしはそこで

「ひやあっ、きょわいいいいーーー!」

って、学校でも、家でも監視、指導されていて、どっちに居ても怖いし、居づらいし、初めは「恐怖」から勉強し始めたんだよね…

強迫観念半端ない阿鼻叫喚のような地獄の日々

わたしは当時サザエさんのワカメちゃんみたく髪が前に跳ねるおかっぱ頭な訳だったんだけれど、

ある朝、両親の部屋にある鏡台の前で、そのコンプレックスを直視し、鎮痛な面持ちで櫛でなんとかしてこの跳ねが直らないものかと、髪をとかしていたら、おとっつあんが部屋へやってきて、

「なんだ、お前、髪とかしてる暇あるなら勉強しろっ!」

って言うもんだから、ヤングで繊細なてぃーんえーじゃー真っ只中のわたしは、

「ほっといてよ!」

って言ったら、

「なんだあ?お前。親にむかってその口の利き方はあっっ!」

って言われて、

平手で力強く往復ビンタ数回された。

それから、わたしは果てしない憤りを携え、くやしくて泣きたいのを必死に堪えながら、ほっぺた赤く腫らしながら、

幼なじみが

「ユニちゃん、どうしたの?」

「うん、なんでもないよ」

と言いながらブルーのどん底に這いつくばりながらも、重い足どりで、またいつもと同じように監獄までの道のりを歩いて行った。

それから、おとっつあんとは、1週間ぐらいぐらい口を利かなかった。

仲のよい姉とおとっつあんが台所で

「まだユニちゃんと口利いてないのお?」

って言う会話してて、両親の部屋にいたわたしは、じとってしながら、黙って聞いていたよ。

おとっつあんとは、中2ぐらいから、なぜかわからないけれど、夜、台所のテーブルに向かいあって座り、2人で討論していた。

わたしは、学校の不満とか、なにかに対する憤りをおとっつあんに話して、「わたしはこう思う。」「わたしはこれが正しいと思う」って言うんだけれども、それに対していつもおとっつあんは、正論を言ってきて、「いや、それは違う」「お前は間違っている」って否定されて討論は終了していたんだよ。

毎回自己否定されて、辛いんだけれど、「今日こそは!」って不屈の精神で挑んでいたけど、いつも論破、否定で終わってた。完全試合で毎回負ける弱小チーム"ユニコ"だった。

それに伴うフラストレーションは膨張し続ける宇宙のように計り知れないものだった。

本と音楽と映画がこの世に存在していなかったら、わたしは海の藻屑になっていたよ。

中2は、なんだかんだで勉強を真面目にやるようになって、最初は強迫観念からだったけど、勉強ってやつがわかるようになって、だんだんと、勉強するのが好きになって行ってた。

受験シーズン直前、

わたしは志望校にどうしても入りたくて、合格したくって、だけど、いくら頑張っても成績があまり伸びなくて、成績をもっともっと上げたくて、勉強がしたいのに、勝手に選ばれた役員的な仕事に時間を割かれていて、とても苛々していた。

担任は、クラス替えがあって、あの鬼畜教師ではなく、頭髪がユニークな、そして、中身も癖のあるハルヒコっていう、担当教科理科のやつになっていた。

中2と中3のときの、わたしとハルヒコの関係は微妙だった。

中3のとき、"やらされて"いた委員の仕事で受験勉強の時間が削られていて、ある日、テンパってハルヒコに悪態ついたときがあった。

そんなわたしの態度を見て、ハルヒコは、

お前だけが辛いんじゃねえんだよ!
みんな辛いんだよ!
わかってんのか?ええ?

と、クラスメート全員の前で罵倒され、

怒りと悲しみでわたしは嗚咽をもらした。

人って、同じひどい事言われても、
人によって傷つく度合いが違う。

「辛い」にも、人によって重軽度が違うとわたしは思うんだよね。

ハルヒコはそれを知らない。

「みんな」って言うやつ大嫌い。

まさに、"厨二病"発症真っ最中のわたし。

「お前だけじゃねえ」


って言われたけれど、全然納得できなくって

物凄いフラストレーション抱えて憤然としていた。

順序おかしいかもしれないけれど、思い出した順に書く。

理科の授業でハルヒコに教科書読むように言われて、わたしは、文章にあった

酢酸

すさん

って読んでハルヒコに怒られて、みんなに爆笑されたけど、本当にあの時ちゃんと「さくさん」って読めて笑ってた人何人いるのかなあ。

また、

「先生って結婚してるの?」

って聞いても

「あなたには関係ありませーん。教えませーん」

って一切個人情報教えないやつで、

わたしの残存記憶に左手の薬指に指輪していたから既婚だったと、今思う。

だけれど、

「俺の母親は、いくら俺がテストで100点とっても、学年で1番とっても、絶対に褒めてくれなかった。でも、ある日、俺の100点とったテストを仏壇の抽斗にしまっているのを見つけた時、嬉しかった」

なんてこと言ってたっけ。

やつが担当外の何かの教科のテスト配りしていて、わたしがそのテスト100点だったのを配る時にみて、顔をクシャクシャにして笑いながら渡して、わたしの頭撫でたんだよね。

その時、声に出さなかったけれど、

「きもっ!わたしの髪の毛触んなよ!」

ってすごく嫌悪した。


ある夜、カーラーで前髪を巻いて寝てみて、

朝、ちょっとカールがかった前髪で登校した。

朝礼の時、わたしはそのとき評議委員かなんかやらされていて、ハルヒコの隣の教壇にいたら、その前髪を見たハルヒコが

「東雲ー!なんだよその頭はあああ!?」

って言われて、

ちっ、めんどくせえなあ。って思って

「寝癖ですけど?(それがなにか?調で)」

って言ったら、

ハルヒコは…爆笑していた。

なんか許された。

本当に変な関係だった。

なんだかんだ可愛がられていたようだ。

それから、

魔女リータって体育教師がいた。

プールの授業の時、

わたしは「生理で入れません」って言って
見学していた。

他の見学組の女の子達と多分おしゃべりしてて、

それに気がついた魔女リータがやってきて怒られたんだけれど、

わたしは、ある言葉に強く反応したんだよね。

「お前ら本当に生理なんだろうなあ?え?」

って言われた時、生徒を信用しない魔女リータにすっごく頭にきて、

魔女リータをこれでもかってぐらい、ただ静かに怒りながら最大限にわたしの目で睨続けんだんだよ。

そしたら魔女リータは、そんなわたしの目つきに気がついて、

「東雲、なんだその目はあ!なんか文句あんのか?ええ?」

って言われて、

マジでその時パンツ脱いで魔女リータにわたしの経血みせてやろうかと思ったけど、

内申書の事があったから、

わたしはぐっと堪えて、

低い声でだけれど強くゆっくり

「ありません」

って言ったの覚えている。

社会の先生は、まあ、ちょっと怖いかなぐらいの男性教師だったんだけど、名前はわすれてしまった。

わたしは、ある日のその社会の授業中、非常に強烈な眠気を催していた。

その眠気と闘っていたら、教科書を読むように言われた。

わたしは、頭がぼうっとしながら、

「その時ひできちは…であったけれど、…で、そしてひできちは…」

ってしばらく読んでいたら、

先生が途中で、

「東雲、ひでよし(秀吉)だ」

と冷静に注意と言うか、訂正してきて、

そこにいたクラス全員がどっと腹を抱えての笑いの渦が起こり、

わたしはようやくそこで目が覚めた。


またハルヒコに戻るけれど、

中3になったら、最終的にわたしの成績は、約460人中20番以内には確実にいた。

一桁のときもあった。

ただ、どんなに頑張っても、1番にはなれなかった。

こいつ、東大行けそうだなってやつはいたし、同じ高校行った子は、素行が悪い女の子で、職員室に呼び出される常連で、1番とったことあっても、内申が悪くてワンランク落とさざるを得なかっただけなんて子達がわんさかいたから、そして、わたしは、興味のないことが頭にどうしても入らなくて、記憶できなかったもんだから、「社会」が足引っ張ってしょうがなかった。

20番以内にいたけど、その中でムラがあって、

三者面談のときにハルヒコは、わたしのおっかさんに、「受けてみないとわからない」と宣っていた。

まあ、結局、運良く''賭け"で受験した高校には無事に行けたのだが、おとっつあんたちは、わたしが「メンタル激弱」だと思ってて、落ちたらわたしがおかしくなっちゃうんじゃないかとひやひやしてたの知っていたけれど、わたし的には全力で勉強したつもりだったので、落ちても腐らない自信はあったよ。

余談たけれど、中3の時に小規模の塾に通っていた。

数学の講師になんかわからないけれど気に入られてて、いつもわたしにだけ優しく丁寧に教えてくれて、受講生の男子たちが「先生それえこ贔屓じゃね?」って言ってきたら、先生が「可愛いからいいんだ」って言い返していて、「ちきしょー、きたねえぞ」とかやりとりしていた。

やはり、目の上のたんこぶの社会のテストで、地理にも俄然疎いわたしは、本当は神奈川県って書きたかったっころに、どうしても神奈川県が出てこなくって、でもなにか書いてとりあえず解答欄埋めなくっちゃいけないと思い、横浜県って書いて提出した。

そしたら、後日英語の講師にわたしひとり指導室に呼ばれて

「東雲ー、これは無いだろう?これは。横浜県って…。大丈夫かあ?そろそろ受験はじまるんだぞ?」

って先生の頭痛の種になっていた。

結局その塾で、志望校合格したの、わたしともうひとりしか知らない。

その入学先の高校で、ハルヒコがわたしの中学に来る前にいた学校の生徒がいて、

「あいつは、女生徒に淫行して、他校に飛ばされたんだよ。」

って話聞いたけれど、まあ、本当かどうかわからないけれど、なくもないかなぐらいに思った。

そうして月日は流れに流れて一昨年、あの中学のわたしの学年の同級会があったのだけれど、仲のよかった友達は行方知れずだったり、欠席するっていうし、あんまりいい思い出のある学校じゃなかったから、ハルヒコのことは少し気になったけれど、行かなかった。

後で知ったらハルヒコも来なかったらしい。

1年の時の担任は、結局「行き過ぎた体罰」がやはり問題となり、転任したが、魔女リータではない、他のドS鬼体育教師のキヨミちゃんと結婚したと聞いている。しかしほんとにもう彼についてはどうでもいい。

おとっつあんとわたしは、姉同様、おっかさんに「ユニちゃんはファザコン。いい意味で」と言われるくらいに"良好"な関係を築いて、今に至っている。

*すごくわたしにとって長文となったので、途中に誤字脱字や変な文があるかもしれませんが、ちょこちょこ読み返して、訂正、修正、加筆などしていきたいと思います。よろしくお願いします。


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