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#江藤淳
江藤淳の漱石論⑭ なんとなくではない
この「なんとなく」の解釈はそのまま柄谷行人に引き継がれ『夏目漱石論集成』に収められている。さらに「何となく」は一般の読者にも広く伝搬してしまっているようで、むしろそれ以外の解釈が見つからない。私が繰り返し批判している近代文学1.0の誤読のパターン、「書いてあることを読まない」ことの典型的な事例である。
ツイッターに夏目漱石botというのがあってこの後の一行「人間を愛し得うる人、愛せずにはいら
江藤淳の漱石論について⑬ 気が付かないこと
今更ながら江藤淳の『漱石論集』(新潮社、平成四年)を読み返してみると、江藤が慎重に、一つの見逃しも許すまじと、少々長文になっても漱石作品を直接引用しながら『それから』や『心』を読んでいったことが解る。書いているというより、読んでいるのだ。そのスタイルは偶然にも、現在の私のものと似ていなくない。これまで私は村上春樹作品に関して「~を読む」というタイトルで数冊の本を書かせてもらっている。これは全て立
もっとみる江藤淳の漱石論について⑪ 漱石の天皇観再び
なにやら夏目漱石を明治天皇に背く謀反者に仕立て上げて悦に入っている馬鹿がいるようだが、とどこかの誰かはいい加減な反論を試みるかもしれないが、どうも夏目漱石が天皇に対して一言言いたげなことは確かで、謀反者とは言わぬものの、批判者であることは間違いないようだ。
断片三〇において「民ノ声が天ノ声ナラバ天ノ声ハ愚ノ声ナリ」と書き、断片三一Bにおいて「ワガ君ヲ完キ人ト思ハズ」と書き、「世界ニ自己ヲ神ト
江藤淳の漱石論について⑩ 人格者漱石
夏目漱石が人格者であったかどうかという議論は、今の私にはどうでもいいものだ。しかし谷崎潤一郎ほどの変態が『文章読本』において「文は人なり」と書き、漱石もまた自らが人格者ゆえに文学者足り得たように書いていてるからにはいつまでもいつまでも避けるわけにはいかない。
漱石は、作家たちや自らを慕う後輩に対しては温情深い丁寧な付き合いをした。付き合いの浅い文人とも丁寧に接した。時には仕事の世話もした。家
江藤淳の漱石論について⑨ 小宇宙と宇宙の大真理
江藤淳は夏目漱石の聖化に我慢がならなかったとして「夏目漱石論」を書いた。それは夏目漱石を明治の一知識人という符号に置換し、なおナショナリストとして読み誤ることに徹したものだった。江藤淳は生涯その過ちに気が付くことなく、小刀細工でこの世を去った。極めてシンプルな話にすれば、夏目漱石の聖化には我慢がならないのに、何故西軍に担がれた幼帝の聖化は見赦したのかという程度の話になりかねない。
しかし問題
漱石の講演を読む① 中味と形式 或いは漱石作品に於ける個人と社会
明治四十四年八月といえば、『門』の掲載が終了して一月と少し、『彼岸過迄』にはまだ少し間がある。それにしてもこの講演を聞き、漱石が何を言っているのか理解できた人がいるものだろうか。何度となく読み返しているが、私には漱石が何を言っているのかさっぱりわからない。しかしはっきりとわかるのは、漱石が個人と社会の関係を不可分の問題として捉えているということと、刻々と変化しつつある時代によってあらゆる分野で新
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