マガジンのカバー画像

夏目漱石論2.0

782
運営しているクリエイター

#江藤淳

野暮なこと

野暮なこと

 みなまで書くことを野暮とした夏目漱石からしてみれば、随分と野暮なことをしているという自覚はある。これでも四五年前なら、『こころ』の先生の奥さん「静」の由来は乃木静子であろう、とだけ書いて解って貰えるつもりでいた。
 しかし実際は、

つまり「静」の由来は乃木静子であろうってことは、わざわざ乃木将軍の遺書にフォーカスしておいて、軍旗の方に意識を振り向けてミスディレクションしているけど、本当は

もっとみる
江藤淳の漱石論について ⑮ 文豪飯と批評のナラティブ

江藤淳の漱石論について ⑮ 文豪飯と批評のナラティブ

 江藤淳は『それから』の代助の朝飯がパンとバターであることから、英国のバチュラーの習慣を反映していると言えなくもないと述べている。(「『それから』と『心』」『漱石論集』所収) パンと言えば、戦後の昭和を生きた者にとっては、例えば給食のコッペパンのような如何にも貧相な食べ物ともなりうるが、明治の麺麭は外国人が売り歩くような、少しはハイソな食べ物であった。今でいえば「乃が美」の高級食パンのようなもので

もっとみる
江藤淳の漱石論⑭ なんとなくではない

江藤淳の漱石論⑭ なんとなくではない

 この「なんとなく」の解釈はそのまま柄谷行人に引き継がれ『夏目漱石論集成』に収められている。さらに「何となく」は一般の読者にも広く伝搬してしまっているようで、むしろそれ以外の解釈が見つからない。私が繰り返し批判している近代文学1.0の誤読のパターン、「書いてあることを読まない」ことの典型的な事例である。

 ツイッターに夏目漱石botというのがあってこの後の一行「人間を愛し得うる人、愛せずにはいら

もっとみる
江藤淳の漱石論について⑬ 気が付かないこと

江藤淳の漱石論について⑬ 気が付かないこと

 今更ながら江藤淳の『漱石論集』(新潮社、平成四年)を読み返してみると、江藤が慎重に、一つの見逃しも許すまじと、少々長文になっても漱石作品を直接引用しながら『それから』や『心』を読んでいったことが解る。書いているというより、読んでいるのだ。そのスタイルは偶然にも、現在の私のものと似ていなくない。これまで私は村上春樹作品に関して「~を読む」というタイトルで数冊の本を書かせてもらっている。これは全て立

もっとみる
江藤淳の漱石論について⑫ 読み誤る人たち、永遠に気が付かない人たち

江藤淳の漱石論について⑫ 読み誤る人たち、永遠に気が付かない人たち

 あらゆる人の読み誤りの責任を江藤淳一人に押し付けるわけにはいかない。しかしこのことは江藤淳について考えるとき、同質の問題として、相似形をなして現れるものだ。

 例えば、夏目漱石の『こころ』のK、これが姓ではないことを島田雅彦、高橋源一郎、佐藤優はまだ気が付いていない。そしてそのことを誰も批判しない。つまりこれは氷山の一角で、Kが姓ではないことを知らない人たちが理論上何万人、あるいはその何倍かは

もっとみる
江藤淳の漱石論について⑪ 漱石の天皇観再び

江藤淳の漱石論について⑪ 漱石の天皇観再び

 なにやら夏目漱石を明治天皇に背く謀反者に仕立て上げて悦に入っている馬鹿がいるようだが、とどこかの誰かはいい加減な反論を試みるかもしれないが、どうも夏目漱石が天皇に対して一言言いたげなことは確かで、謀反者とは言わぬものの、批判者であることは間違いないようだ。

 断片三〇において「民ノ声が天ノ声ナラバ天ノ声ハ愚ノ声ナリ」と書き、断片三一Bにおいて「ワガ君ヲ完キ人ト思ハズ」と書き、「世界ニ自己ヲ神ト

もっとみる
江藤淳の漱石論について⑩ 人格者漱石

江藤淳の漱石論について⑩ 人格者漱石

 夏目漱石が人格者であったかどうかという議論は、今の私にはどうでもいいものだ。しかし谷崎潤一郎ほどの変態が『文章読本』において「文は人なり」と書き、漱石もまた自らが人格者ゆえに文学者足り得たように書いていてるからにはいつまでもいつまでも避けるわけにはいかない。

 漱石は、作家たちや自らを慕う後輩に対しては温情深い丁寧な付き合いをした。付き合いの浅い文人とも丁寧に接した。時には仕事の世話もした。家

もっとみる
江藤淳の漱石論について⑨ 小宇宙と宇宙の大真理

江藤淳の漱石論について⑨ 小宇宙と宇宙の大真理

 江藤淳は夏目漱石の聖化に我慢がならなかったとして「夏目漱石論」を書いた。それは夏目漱石を明治の一知識人という符号に置換し、なおナショナリストとして読み誤ることに徹したものだった。江藤淳は生涯その過ちに気が付くことなく、小刀細工でこの世を去った。極めてシンプルな話にすれば、夏目漱石の聖化には我慢がならないのに、何故西軍に担がれた幼帝の聖化は見赦したのかという程度の話になりかねない。

 しかし問題

もっとみる
江藤淳の漱石論について⑧ 「明治天皇奉悼之辞」

江藤淳の漱石論について⑧ 「明治天皇奉悼之辞」

 これは漱石の署名なく、「法学協会雑誌」に掲載された「明治天皇奉悼之辞」の孫引きである。この資料を確認するように江藤淳に指導したのは、三島由紀夫が死の一週間前の対談で「一番悪い奴」と指摘した小泉信三である。こうした資料をそのまま受け取ってしまったことも、江藤淳が夏目漱石をナショナリストと見做し、その考えを踏み固め続ける要素の一つであったと言えるかもしれない。

 江藤淳が「明治天皇奉悼之辞」のこと

もっとみる
江藤淳の漱石論について⑦ 現実逃避と隠れ家、『明暗』のその先

江藤淳の漱石論について⑦ 現実逃避と隠れ家、『明暗』のその先

 夏目漱石の『道草』が『吾輩は猫である』に比べて寂しげなのは、そこに描かれてもいいはずの木曜会が描かれず、一人の青年とのさして陽気ではない会話が現れるだけだからではなかろうか。

 吾輩は「笹原」に捨てられる。K.Shioharaと署名された夏目金之助の作文を読み、漱石の養家「塩原」の読みが濁らないことに気が付いてみれば、「笹原」は普通地名や人名であり、竹藪と呼ばれているものであることにも気が付く

もっとみる
江藤淳の漱石論について⑥ 「明治の一知識人」

江藤淳の漱石論について⑥ 「明治の一知識人」

 明治の知識人とは必ずしも夏目漱石一人を差すものではない。知識人は多い。例えば田中正造や内村鑑三なども明治の知識人として論われる。しかし江藤淳の漱石論において夏目漱石は「明治の一知識人」というキャッチフレーズにはめ込まれて論じられる。このカテゴリーには他に森鴎外が入れられるが、島崎藤村や幸田露伴は入れられない。しかし私はこの「明治の一知識人としての夏目漱石」という捉え方そのものに、微かな違和感があ

もっとみる
漱石の講演を読む① 中味と形式 或いは漱石作品に於ける個人と社会

漱石の講演を読む① 中味と形式 或いは漱石作品に於ける個人と社会

 明治四十四年八月といえば、『門』の掲載が終了して一月と少し、『彼岸過迄』にはまだ少し間がある。それにしてもこの講演を聞き、漱石が何を言っているのか理解できた人がいるものだろうか。何度となく読み返しているが、私には漱石が何を言っているのかさっぱりわからない。しかしはっきりとわかるのは、漱石が個人と社会の関係を不可分の問題として捉えているということと、刻々と変化しつつある時代によってあらゆる分野で新

もっとみる
江藤淳の漱石論について⑤ 『明暗』の評価をめぐって

江藤淳の漱石論について⑤ 『明暗』の評価をめぐって

 江藤淳は『夏目漱石』(それにしてもものすごい題名だな、論でさえなく一考察でもないんだ)で夏目漱石の『明暗』を「近代日本文学史上最も知的な長編小説」「真の近代小説といい得る作品」と激賞しながら、次第にその評価をしぼませていく。晩年には漱石が小さく見えていたそうであり、『江藤淳は甦える』によれば、昭和四十九年「失敗しているかどうかは議論がわかれるでしょうが、くたびれ果てて、もう倒れちゃった」といって

もっとみる
江藤淳の漱石論について④ 「他者」とは何か

江藤淳の漱石論について④ 「他者」とは何か

 そして、家内がどれほど昏睡状態をつづけていても、「慶子、おはよう、今日は十月二十九日の木曜だよ」というふうに、かならず声を掛けた。だが、幸い十月二十九日の朝には、家内の意識が戻り、しかも苦痛も収まっているようだった。それに力を得て、私は小さな事件の話をはじめた。ホテルでうっかり近眼鏡をベッドの上に置き、その上に坐り込んで、フレームを歪めてしまったこと、ホテルのフロントに預けて高島屋に修理を頼んだ

もっとみる