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漱石の講演を読む① 中味と形式 或いは漱石作品に於ける個人と社会



 一言にして云えば、明治に適切な型というものは、明治の社会的状況、もう少し進んで言うならば、明治の社会的状況を形造るあなた方の心理状態、それにピタリと合うような、無理の最も少ない型でなければならないのです。この頃は個人主義がどうであるとか、自然派の小説がどうであるとか云って、はなはだやかましいけれども、こういう現象が出て来るのは、皆我々の生活の内容が昔と自然に違って来たと云う証拠であって、在来の型と或る意味でどこかしらで衝突するために、昔の型を守ろうと云う人は、それを押潰そうとするし、生活の内容に依って自分自身の型を造ろうと云う人は、それに反抗すると云うような場合が大変ありはしないかと思うのです。ちょうど音楽の譜で、声を譜の中に押込めて、声自身がいかに自由に発現しても、その型に背かないで行雲流水と同じく極めて自然に流れると一般に、我々も一種の型を社会に与えて、その型を社会の人に則らしめて、無理がなく行くものか、あるいはここで大いに考えなければならぬものかと云うことは、あなた方の問題でもあり、また一般の人の問題でもあるし、最も多く人を教育する人、最も多く人を支配する人の問題でもある。我々は現に社会の一人である以上、親ともなり子ともなり、朋友ともなり、同時に市民であって、政府からも支配され、教育も受けまた或る意味では教育もしなければならない身体である。その辺の事をよく考えて、そうして相手の心理状態と自分とピッタリと合せるようにして、傍観者でなく、若い人などの心持にも立入って、その人に適当であり、また自分にももっともだと云うような形式を与えて教育をし、また支配して行かなければならぬ時節ではないかと思われるし、また受身の方から云えばかくのごとき新らしい形式で取扱われなければ一種云うべからざる苦痛を感ずるだろうと考えるのです。(夏目漱石「中味と形式――明治四十四年八月堺において述――」)

 明治四十四年八月といえば、『門』の掲載が終了して一月と少し、『彼岸過迄』にはまだ少し間がある。それにしてもこの講演を聞き、漱石が何を言っているのか理解できた人がいるものだろうか。何度となく読み返しているが、私には漱石が何を言っているのかさっぱりわからない。しかしはっきりとわかるのは、漱石が個人と社会の関係を不可分の問題として捉えているということと、刻々と変化しつつある時代によってあらゆる分野で新しい形式が求められていると指摘しているということだ。

 この二点に於いて、『それから』以降、漱石の関心事が文明批判から自己の救済に焦燥する人間に移ったと捉えることには殆ど意味がないと言える。

 ここで漱石は「我々も一種の型を社会に与えて」と『門』という社会から切り離された夫婦を描いたような小説にも社会変革の意義を自負しているかと思わせるようなことを言っている。この漱石の自負と私自身の『門』の読後感の間にはいささか乖離がある。しかし一般の人の問題として捉えなおせば、どんな形であれ、時代に参加している以上は、一種の型を社会に与えていると主張していると考えれば良いのであろうか。通常、政治家でも高級官僚でもない人間の殆どは、社会を変えるまでの力はないものと思われる。だから代助が三千代に告白したことも、宗助が御米と雨漏りがする家でひっそりと暮らすことは個人的なことで、社会的なことではないと捉えられがちだったのだが、ここで漱石はそんな個人が「一種の型を社会に与えて」いるのだと言いたげだ。

 無論どんな個人も無人島にでも行かない限り少しは社会性がある。例えば経済活動でいえば、どんな店で何を買うかというのも社会との交わりであろうか。しかしそれくらいの行為は粗大さに飲み込まれてしまい「一種の型を社会に与えて」いるというところまではいかないのではないかと私は考える。例えば株式投資にしてもたいていの個人投資家の売買はノイズのようなものである。私が今日バナナを買おうがみかんを買おうが、それで社会が変わるものではなかろう。

 ところがどうも漱石には個人と社会に関する独特の理屈があるようだ。

 日本の開化は自然の波動を描いて甲の波が乙の波を生み乙の波が丙の波を押し出すように内発的に進んでいるかと云うのが当面の問題なのですが残念ながらそう行っていないので困るのです。行っていないと云うのは、先程も申した通り活力節約活力消耗の二大方面においてちょうど複雑の程度二十を有しておったところへ、俄然外部の圧迫で三十代まで飛びつかなければならなくなったのですから、あたかも天狗にさらわれた男のように無我夢中で飛びついて行くのです。その経路はほとんど自覚していないくらいのものです。元々開化が甲の波から乙の波へ移るのはすでに甲は飽いていたたまれないから内部欲求の必要上ずるりと新らしい一波を開展するので甲の波の好所も悪所も酸いも甘いも甞め尽した上にようやく一生面を開いたと云って宜よろしい。(夏目漱石「現代日本の開化――明治四十四年八月和歌山において述――」)

 漱石はこの内部欲求を形成するものとして「日本人総体の集合意識」なるものを考えているようだ。そして内部欲求による自然な開化ではないから「現代日本の開化は皮相上滑りの開化である」と断じている。どこか社会進化論的ではあるものの、やはり人間の主体性を信じているようなところがある。この講演の結論は「ただできるだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行くが好かろう」とある。「内発的に変化して行く」とは現象のようだが「ただできるだけ神経衰弱に罹らない程度に」「好かろう」とは個人に選択肢や加減の余地がありそうに響く。ここの塩梅とその根拠が私にはどうも捉えきれない。

 馬琴の小説には耳の垢取り長官とか云う人がいますが、他の耳垢を取る事を職業にでもしていたのでしょうか。西洋には爪を綺麗に掃除したり恰好をよくするという商売があります。近頃日本でも美顔術といって顔の垢を吸出して見たり、クリームを塗抹して見たりいろいろの化粧をしてくれる専門家が出て来ましたが、ああいう商売はおそらく昔はないのでしょう。今日のように職業が芋の蔓みたようにそれからそれへと延びて行っていろいろ種類が殖えなければ、美顔術などという細かな商売は存在ができなかろうと思う。(夏目漱石『道楽と職業』――明治四十四年八月明石において述――)

 この程度に起業家、商売人は「社会の変化」に一定程度「主体的」に参与しているとはいえる。しかし圧倒的に多くの人々はもっと消極的な参与に留まるのではなかろうか。それは代助や宗助も同じではないか。私には「日本人総体の集合意識」が日露戦争を起こしたとも思えず、宗助が御米と雨漏りがする家でひっそりと暮らすことが社会に与える影響は限りなく小さいし、まさに隠遁生活者、ご隠居なみのものだろうと考えている。しかしそれでも漱石は代助のようなものがいなくてはハローワークは出来ないし、宗助と御米のようなものがいなくては不妊治療は発達しないと強弁するだろうか。

 漱石は『明暗』以外でも飛行機が民間利用されることを予測していた。また五色の金というまだない未来も考えている。漱石を持ち上げすぎると江藤淳のイタコに叱られるかもしれないが、私に漱石の言っていることが理解できないのは、漱石が私の見えない未来を見ているからかもしれない。

 






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