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江藤淳の漱石論について⑩ 人格者漱石

 夏目漱石が人格者であったかどうかという議論は、今の私にはどうでもいいものだ。しかし谷崎潤一郎ほどの変態が『文章読本』において「文は人なり」と書き、漱石もまた自らが人格者ゆえに文学者足り得たように書いていてるからにはいつまでもいつまでも避けるわけにはいかない。

 漱石は、作家たちや自らを慕う後輩に対しては温情深い丁寧な付き合いをした。付き合いの浅い文人とも丁寧に接した。時には仕事の世話もした。家族や下女にはつらく当たった。例えば『こころ』において、「先生」は「人間を愛し得うる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入いろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。」として最大限に持ち上げられる。この「先生」が漱石自身の投影であることは否定しがたいところであろう。

 和辻哲郎から見れば『こころ』の「先生」は夏目漱石そのもの、ぜひとも「私」になり、血潮を浴びせかけられたいというところだろう。

 人間が「節操」を守るために生きているという観念がどれほど傲慢なものであるか。自分もよく救えぬものが、どうして他人に「善」を説けるか。人生がそれほど単純なものであり、人間が自己の行為に完全な責任をとり得るほど道徳的に無謬だという神話を、私は少しも信じていない。(『批評家とは何か』江藤淳)

 江藤淳は他人に「善」を説くことの難しさを指摘する。だからお手伝いさんにおちんちんを見せようとしたのかと私は問わない。ジャン=ジャック・ルソーも露出狂だった。露出狂なのに「思想の巨人」と呼ばれている。それも解らないではない。ルソーの書いたものを読んでいると露出狂であることなどどうでもよいと思えてくるのだ。江藤淳にもそういうところがある。

 江藤淳が小宮豊隆の徹底擁護や和辻哲郎の和辻倫理学で敷衍した漱石神話を突き崩し、「明治の一知識人」としての漱石像を定着させてきたことに対して、私はこれまでいささか批判的に論じてきた。それはまず「お手伝いさん」と「犬」を巡る江藤淳の自死への懐疑として、さらには末期がんでモルヒネを投与され、意識ももうろうとしている筈の妻との最後のテレパーシー批判として始まり、漱石の作家人生の区分の問題、文明批評の表現方法、幸徳秋水事件前後の時代の空気の問題、明治の資本主義社会の陥穽、『門』の参禅の意味、『明暗』の評価、漱石の真面ではないところ、現実逃避、天皇観、漱石の発想の突拍子もなさなどについて述べてきた。

 そしていよいよこの問題、「夏目漱石が人格者であったかどうか」というどうでもいい問題について語る時が来た。

 私はこれまで『こころ』を読んで、「最後が暗かった」という素朴な感想を述べる者に対して、「それは間違いだ」と繰り返し指摘してきた。感想に間違いもへったくれもないと言われるかと思うが、やはり間違いは間違いである。作品としての『こころ』の最後、つまり現時点は先生が全肯定される箇所である。ここは実にすがすがしく書かれている。

 私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感が後になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿げていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉しく思っている。人間を愛し得うる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入いろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。(夏目漱石『こころ』)

 この「人間を愛し得うる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入いろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人」というロジックが理解できていない人があまりにも多い。多すぎる。というより、納得できるロジックを私はこれまで一度も見聞きしてこなかった。仕方なく自分で解いた。ただ、ここには大きな問題があって、私が説いたのは飽くまでナレーターの「私」にとってのロジックなのだ。もしこの「人間を愛し得うる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入いろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人」が万人に普遍的に受け入れられるべきものであったとしたら、先生は聖人になってしまう。実は聖人がいてはおかしいのだ。それでは「金さ、君」という台詞が嘘になる。それに江藤淳の言うところの「聖化」を最も嫌ったのが漱石であり、神話を信じないのが漱石だからである。

 江藤淳は「明治天皇奉悼之辞」をそのまま受け取り、夏目漱石の明治天皇に対する敬意を全く疑っていなかったようだが、そんな馬鹿な話はない。漱石は作中で繰り返し、明治政府と天皇を批判している。漱石は明治の四十年に尊敬すべき人物は一人としていないと書いている。乃木大将夫妻の殉死に疑問を呈し、英雄・広瀬中尉の下手糞な詩にいちいち噛みついている。

 では漱石は何故『こころ』の先生をあたかも聖人のように仕立てたのか。それはかなり無理なことではなかっただろうか。

 書かれている範囲で、先生は過ちに比べて大きな罪の意識を背負ってきた。もし「私」がKの生まれ変わりであるなら、「私」の許しにより、先生の罪は消える。その上でのすがすがしさがあるのだとして、マイナスが消えただけで先生自身は他人から褒められるようなことは何もしていない。先生の家と静を手に入れた「私」にしてみれば、いくら感謝してもし足りない存在なのかもしれないが、義母や静にしてみれば訳の分からない勝手な人である。

 ここには先生を聖化し、自分をまた聖化しようという漱石の欺瞞があるのではなく、乃木大将夫妻の殉死がそうであるように、立ち位置による物事の見え方の違いがあるだけなのではなかろうか。

 また現実逃避としての「則天去私」について考えれば、もっと話はシンプルで、自分の子供がめっかちになって「ああ、そうか」と動じないのは腑抜けであって、人格者ではない。

 むしろ人格者としての漱石は、『文芸の哲学的基礎』『文学論』そして漢詩や弟子たちへの手紙の中に唐突に、過剰な自意識として現れる。漱石は百年後に評価されることを期待していた。その通りになった。だからそうした自意識を真面ではないとは言い切れないし、断片から組み立てた『文芸の哲学的基礎』、認識論としての『文学論』を凄いと思わざるを得ないのだが、やはり漱石にはどこか真面ではないところがあるのだ。

 野だは大嫌いだ。こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまう方が日本のためだ。(夏目漱石『坊ちゃん』)

 どうも「おれ」には金玉蹴りを練習する『1Q84』の青豆雅美のように不適切なところがある。ポリティカル・コレクトネスに欠けている。その場面では原爆を想起させるような描写がある。作中野だにはさしたる罪はない。殺される理由はない。何故、沢庵石をつけて海の底へ沈められなくてはならないのかさっぱり解らない。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。これも可笑しい。真面ではない。代助は眼球から色を出し、尤も美くしい色彩に包囲されて、恍惚となる。これもまた真面ではない。そもそも『明暗』の津田は吉川夫人に操られるまま、昔分かれた女を温泉宿に追いかける。しかもどういう理屈か清子は「反逆者」呼ばわりだ。津田を振ったくらいで「反逆者」とはいかにも大袈裟だ。

 こうしたあれやこれやのことから私は夏目漱石という作家を人格者ではなく、真面ではない作家の一人だと見ている。森鴎外も芥川龍之介も太宰治も織田作之助も坂口安吾も三島由紀夫も真面ではない。深沢七郎、沼昭三、稲垣足穂も真面ではない。その人格ではなく真面ではないところが作品にこぼれて来るから面白いのだ。その程度の意味で夏目漱石の聖化に反対する江藤淳の見立てに私は大きく反対しない。その一方で漱石を「明治の一知識人」に変換することで見えなくなる真面ではないところをきちんと見ていくべきだと考えている。

 私は漱石の書いていることは何が何でも正しいというような漱石信奉者ではない。その一方で漱石作品にはまだ理解できていない多くの謎があるとも考えている。その謎は作品の外部から余計なものを持ち出さず、深読みもせず、ひたすら正しく読んでいかねばならないと考えている。結果として漱石観というものが出来上がるとして、謎が残る以上私の漱石観はまだ「真面ではない」というところに留まる。

 漱石が何故「真善美」を語り得るかという問題に関しては、漱石自身が人格の還元的感化と言っている以上「人格者でなくとも真善美は語りうるのだ」と逃げてはいけないのだろう。漱石自身が自負するような人格者でないとしたら、「真善美」を語る資格はない。柄には合わないという理屈になる。実際に精神を病み、パワハラ親爺であったわけだから、漱石を人格者に仕立てることには基本的に無理がある。

 しかしここには顔出しパネルと文豪飯の近代文学1.0、あるいは偶像としての近代文学とは無関係の、あるいは本当の読者にとっての文学作品の価値とは何かという問題も含まれている。繰り返すが結果として私は正統的近代文学作品のうち真面ではないものにより惹かれてきた。少なくとも私は人格者から「真善美」を享受しようなどと考えて文学作品を読んできたわけではない。

 きわめて矮小化してしまえば夏目漱石の人格論はトルストイの建前には当てはまるかもしれないがトルストイの実際と並べてみるとちぐはぐになってしまうし(トルストイは性欲の塊りのような人だった)、シェイクスピア、ローレンス・スターン、ジョナサン・スウィフトには当てはまらないように思える。ドストエフスキーは人格者ではなかろう。カフカを悪く言う人の話は聞いたことはないが、やはりどこか真面ではないと思う。人格者としての漱石が「真善美」を語ること、私にとってそれは講演で笑いを取る漱石の「私が夏目先生です」というジョークのようなものに思える。

 大正四年断片六十八Cに「自分ノ作物ハbastardノ様ナ心持」とある。断片七十Cに「甲でもあり乙でもある。執着もあり執着なくもある。論理的でない。然し論理は果たして事実か。謡曲を習ふ例」とある。断片大正五年71Bには「肛門 プレートニツクラツブの条と連結す」とある。『明暗』では男と男が結ばれる成仏が仄めかされ、津田の痔瘻が結核性でないことから、外傷性であることが疑われる。しかしそれは不道徳でも罪でもなく、プレートニツクラツブなのだ。時には落ち込み、論理を超えてきて、えげつない漱石が面白い。

 大正五年断片71Bにはこうある。

 鑑賞は信仰である。己に足りて外に待つ事なきものである。始から落付いる。愛である。惚れるのである。
 鑑定は研究である。何処迄行つても不満足である。諸所をたずねるき、諸方へ持つて廻つて遂に落付かない。猜疑である。探偵であるから安心の際限がないのである。

 なるほど研究は探偵で際限がない。

【付記】「神経衰弱文学」

 医師・高橋正雄の『漱石文学が物語るもの 神経衰弱者への畏敬と癒し』(みすず書房、2009年)は漱石が「神経衰弱文学」を誕生させただけではなく、精神医学者、そして精神療法家であったと分析する。この見立ては医学博士・平井富雄は『神経症 夏目漱石』(福武書店、1990年)、一郎の内面の心的現象の推移を詳細に辿った創作者・夏目漱石を見つけ『行人』を漱石が自身の中に潜む病的なものに立ち向かってはじめてその解釈に取りかかろうとした作品として捉えたことと一部ではあるが重ねられる。その差は漱石の精神分析が漱石作品全体に及ぶか、『行人』を漱石が自身の中に潜む病的なものに立ち向かってはじめてその解釈に取りかかろうとした作品として捉えるかの差である。なお、他者に対しても精神療法家であったという指摘には一考の価値がある。

 漱石はいわば神経衰弱善人説を唱えて、現在の世の中の正常者は異常で神経衰弱者こそが正常であるとする一種の価値観の転倒を行っているわけではあるが、これは神経衰弱者たる三重吉並びに漱石自身を「正しき人」であると同時に「徳義心ある人間」であると評価していることにほかならない。(『漱石文学が物語るもの 神経衰弱者への畏敬と癒し』高橋正雄、みすず書房、2009年)

 この「炭坑のカナリア」的逆説は漱石を直接知る人物においては逆説ですらないのかもしれない。高橋正雄は寺田寅彦の『夏目漱石先生の追憶』からこんな記述を引用する。

 いろいろな不幸のために心が重くなったときに、先生に会って話をしていると心の重荷がいつのまにか軽くなっていた。不平や煩悶のために心の暗くなった時に先生と相対していると、そういう心の黒雲がきれいに吹き払われ、新しい気分で自分の仕事に全力を注ぐことができた。先生というものの存在そのものが心の糧となり医薬となるのであった。(寺田寅彦『夏目漱石先生の追憶』)

 ここがまさに漱石の謦咳に接した者とそうでない者との差であり、『坊っちゃん』に感情移入できるかどうかの差でもあるのではなかろうか。実はこの引用文の後に寺田寅彦はこう書いている。

こういう不思議な影響は先生の中のどういうところから流れ出すのであったか、それを分析しうるほどに先生を客観する事は問題であり、またしようとは思わない。(寺田寅彦『夏目漱石先生の追憶』)

 この「不思議な影響」を客観的に作品から分析したのが高橋正雄であり、平井富雄という専門家だった。一方で専門家ではない私にはやはり『こころ』の先生は大げさで異常であり、『坊っちゃん』の「おれ」が野だを海に沈めようと考えることは基本的に可笑しいと考えている。

 江藤は漱石の聖化には我慢がならないと漱石論を書いたが、漱石のプレゼンスに聖的なものがあったことは認めざるを得ないし、明らかに異常な作品なのに漱石サーガが長年大人気であることも否定しがたい事実である。ただし漱石自身を「正しき人」であると同時に「徳義心ある人間」であると言葉そのものの意味、リタラリィに認めることはできない。ただ明らかに異常な『こころ』も『坊っちゃん』も傑作であり、夏目漱石が偉大なる作家であることを確信しているに過ぎない。漱石を人格者と呼ぶか正しき人と呼ぶのか、その呼び名はやはりどうでもいい。

 





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