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江藤淳の漱石論について⑫ 読み誤る人たち、永遠に気が付かない人たち

 あらゆる人の読み誤りの責任を江藤淳一人に押し付けるわけにはいかない。しかしこのことは江藤淳について考えるとき、同質の問題として、相似形をなして現れるものだ。

 例えば、夏目漱石の『こころ』のK、これが姓ではないことを島田雅彦、高橋源一郎、佐藤優はまだ気が付いていない。そしてそのことを誰も批判しない。つまりこれは氷山の一角で、Kが姓ではないことを知らない人たちが理論上何万人、あるいはその何倍かは存在することになるのではなかろうか。島田雅彦、高橋源一郎がKを苗字として取り扱っていることに異を唱えず、そのまま死んでしまった人も少なくなかろう。何なら国語教師で生徒にKの遺書を書かせながら、Kが姓ではないことに気が付いていない者も相当数いたのではなかろうか。そして現に今でも平然と給与を貰い続けているのではなかろうか。批判がないということはそういうことだ。しかしこれはいかにも無様な事態ではなかろうか。

 しかし漱石の聖化には我慢がならないとして颯爽とデビューした江藤淳が夏目漱石を「明治の一知識人」に押し込め、世間大評判になり、多くの論敵と堂々と渡り合い、その評論家としての堂々とした人生を全うしたことと、夏目漱石が没後百年の後もまだ世間大評判であり、島田雅彦、高橋源一郎、佐藤優ほか多くの「誤読者」に支持されていることは奇妙な相似形をなしてはいないだろうか。

 江藤淳が夏目漱石を素朴なナショナリストとして読み間違えた事、『こころ』の先生の死の意味を勘違いし、静を残す意味も理解できなかったこと、乃木大将夫妻の殉死の意味にさえ気が付かず、その他多くの作品のあらすじさえつかめないまま夏目漱石を論じて、そのままこの世を去ったこと、このことは単に個人の杜撰さやしくじった評論家のみじめさといった問題には還元できないのではないかと私は考えている。

 例えば吉本隆明は『こころ』の主人公は先生だと信じたままこの世を去った。また『明暗』において主格は五六回変化すると勘定していた。その間違いに気が付かないまま死んだ。

 私が今恐れているのは柄谷行人の死だ。江藤淳に読んで貰いたかったからと漱石論を書いた柄谷行人の、その夏目漱石作品に対する解釈には誤りや見落としが実に多い。柄谷行人は江藤淳の漱石論からはみ出す漱石論はいまだ書かれていないと頑なに信じている。柄谷行人は馬鹿ではない。むしろ夏目漱石と村上春樹以外に関しては、なかなか面白い論評が見られるのに、夏目漱石と村上春樹に関しては基本的に正しいことは殆ど書いていないと言ってよいだろう。例えば先生の静への愛は、Kとの三角関係の後に生じたと見做している。実際には先生はKを下宿に招く前から静に信仰ともいうべきプラトニックな愛を抱いており、奥さんに財産を奪われる恐れから先に進めないでいただけだ。柄谷行人が吉本隆明のように、あるいは江藤淳のように、夏目漱石作品を曲解したまま死んでしまうのはいかにも惜しい。まだギリギリ間に合うかもしれないと思いながら、一方でももう間に合わないかもしれないと思うので怖い。

 高橋源一郎、島田雅彦、奥泉光には間に合うだろうと考えている。その一方で、夏目漱石が誤読者により世間大評判となった百余年の歴史を思い、夏目漱石作品を誤読した江藤淳が世間大評判となった六十余年の歴史を思えば、彼らにも、彼ら以外の誰にも永遠に届かないかもしれないとも疑っている。それでも可能な限りのさまざまなストレージに私の漱石論を保存し、百年後の評価を待つ覚悟はある。

 話を戻そう。そもそも江藤淳の夏目漱石論の熱狂は何故生じたのだろうか。あるいは夏目漱石の熱狂は何故生じたのだろうか。例えば『ホトトギス』を読むような知的エリートにとってみれば『吾輩は猫である』は筋や仕掛けを無視しても面白いものであっただろう。機智とユーモアは受け入れやすいものだ。しかしそれ以降の漱石作品を評価するためには、ある程度の読解力が必要となる。

 例えば『坊っちゃん』、これをストレートな青春小説と見做すことにはかなり無理がある。翻訳者のテイストというものもあろうが、外国語に訳された『坊っちゃん』の読者の多くが、「おれ」をいらだった若者と見做し、ジェローム・ディヴッド・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』のホールデン・コールフィールドのようなキャラクターだと見做す。江戸っ子のべらんめえの軽妙さに気が付く様子はなく、そのふるまいの根源にある鬱積したものを言い当てる。ところが、このことこそが最も重要にしてなお謎なことなのだが、漱石自身は「おれ」のような直截な人間にも善を見つけてほしいと願っており、その願いは日本人にはどういう訳か届いていたようなのだ。願望があり、手段は滅茶苦茶、結果オーライ。これが『坊っちゃん』だ。

 どういう訳か「おれ」の父親はさして無鉄砲ではなく損ばかりもしていない。しかしそのことに日本人は誰も文句は言わない。延岡が山の奥と言われても文句は言わない。延岡は浜辺の町である。

 清から貰った一円札三枚を「おれ」は財布ごと厠へ落とす。まさにぼっちゃんである。その一円札には日本が帝国主義を進めるための景気づけとして三韓征伐の象徴たる神功皇后が描かれていた。これは『僕の昔』にもある実話の改変だ。しかし清が代わりにくれた一円銀貨は主に台湾や朝鮮では盛んに流通していたものだが、明治十八年には国内での流通が停止されていたものである。「おれ」は「どこでどう胡魔化したか」といぶかるが確かに何となく臭うエピソードである。

 こうした些細なとげに気が付かないまま江藤淳は夏目漱石を素朴なナショナリストに仕立て上げようとした。相当なトンマでもない限り、そんなことはあるまいとは誰も言わなかった。二十三歳の、華麗な言葉遊びに酔った。江藤淳は熱烈に歓迎された。そしてある意味では江藤淳こそが聖化されてしまった。江藤淳は漱石論において何事か成し遂げたことになっており、それを批判することとは固く禁じられている。

 これは夏目漱石の人気ぶりに似ている。繰り返し述べている通り『虞美人草』は当時の読者にとってもかなり難しい文体の小説である。現代の評論家においても「虚栄の毒」を抽象的表現であることが理解できない者がいるが、誰にも批判されない。そんなことを主張しているのは私だけだ。それでも夏目漱石作品は世間大評判である。『こころ』では先生が義母の下の世話をするとは誰も認めない。そこにユーモアがあるのに、そのユーモアを見ようとしない。ユーモアを見出すことが禁止されている。


 ところで江藤淳が夏目漱石の聖化に我慢がならなかったのは何故なのだろうか。それは江藤淳自身が人間であり、人間というものをよく知っていたからではなかったか。例えば江藤淳は奥さんのパンツを洗う。そうせざるを得ないからだ。まさかあの江藤淳が奥さんのパンツを洗う訳がないだろうという見立てが聖化である。寝たきりの病人がいれば、力の及ぶ限り懇切に看護してやるべきだろう。しかし江藤淳は自分が奥さんのパンツを洗いながら、『こころ』の先生が義母の下の世話をしていることには気が付かなかった。その気が付かなさで美化することも聖化ではなかろうか。

 つまり乃木大将夫妻の殉死に関して「静子は何故殺されたのか」と考えないことが聖化ではないのか。『坊っちゃん』の「おれ」の兄は鉛筆や帳面をどうしていたのかと考えないことが聖化ではなかろうか。あるいは『趣味の遺伝』において、「余」が戦場に臨場することを考えないことは聖化ではなかろうか。いや違うな。少なくとも漱石論を書く者が「静子は何故殺されたのか」と考えないとしたら、それは聖化ではなく馬鹿である。読み落としを軽く論じてはいけない。江藤淳は根本の部分で夏目漱石の天皇観を捉えることに失敗している。資料の読み込みが浅い。無論これは江藤淳も、という意味である。江藤淳も、そしてその他大勢の漱石論者達がことごとく読み誤っていたのだ。そしてその事実の入り口で足がすくんで踏み込むことができない。永遠に気が付かないままでいたいと願っている。

 例えば島田雅彦は「誤読の自由」とまで言い出す。「誤読の自由」などない。杜撰な読み誤りがあるだけだ。一読者の誤読を責めるつもりはないが、訳知り顔で他人に解釈したり解説をしてしまえば、そこにはある程度正しく読む責任が生じる。教師であれば当然そういうことになる。

 しかしこれも島田雅彦一人の罪ではない。実は私の電子書籍を購読し、自分の読みの間違いに気が付いた人が数人いる。ゼロではない。しかしまだたった数人である。読者の数からするとかなり少ないと感じる。これは飽くまで推測だが、そこには理解することを拒む非論理的な感情のようなものがあるのではなかろうか。実際に『坊っちゃん』論でこれまでの自分のイメージを崩されかかりながら、あくまでも昔の儘の『坊っちゃん』のイメージに縋りたいという読者がいた。これは責められない。「おれ」に二宮君のイメージを重ねた人は、「おれ」を五分刈りにしたくないのだ。一読者であればそれは罪ではない。好き好きだ。だが繰り返すが少なくとも漱石論を書く者が誤読に留まれば単なる馬鹿である。恥である。間違った解釈を生徒に押し付ける教師がいたら罪である。しかし私の電子書籍、あるいはこのnoteをちらりと覗きながら、恐ろしくて逃げ帰ったセミプロはいなかっただろうか。本当の漱石論に触れることをあえて避けた教師は一人もいなかっただろうか。仮に一人でもそんな人がいたとしたら、それが江藤淳の聖化、夏目漱石の聖化の本質ではなかろうか。島田雅彦がKを幸徳秋水、あるいは天皇だと書いているのを読んで「深いね~」と感心するのが近代文学1.0だとしたら、私の漱石論は確かに剣呑である。剣呑ではあるがトンデモ説ではけしてない。

 高校生にKの代わりに遺書を書かせる授業があると知って、私は呆れてこんな本を書いた。そこにフォーカスすることでかえって筋が見えなくなるからだ。

https://note.com/kobachou/n/n2b396a1d054b

 江藤淳の聖化によって見えなくなっているものを必ず蘇らせなくてはならないと私は考えている。それは屍に鞭打つ行為ではけしてないとも信じている。私は今でも江藤淳に「君、面白いものが書けたじゃないか」と言ってもらいたいと思って書いている。また曲解なく面白いものが書けているとも信じている。







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