江藤淳の漱石論について ⑮ 文豪飯と批評のナラティブ
江藤淳は『それから』の代助の朝飯がパンとバターであることから、英国のバチュラーの習慣を反映していると言えなくもないと述べている。(「『それから』と『心』」『漱石論集』所収) パンと言えば、戦後の昭和を生きた者にとっては、例えば給食のコッペパンのような如何にも貧相な食べ物ともなりうるが、明治の麺麭は外国人が売り歩くような、少しはハイソな食べ物であった。今でいえば「乃が美」の高級食パンのようなものであろうか。そしてバチュラーと言えば金持ちの独身男であり、無敵だ。つまり江藤淳は代助をかなりハイクラスな、もてそうな男として規定しようとした。
しかし江藤淳は代助が兄と鰻を食べに行く点にはあえて触れない。触れてしまうとバチュラーとしての代助を描くことができなくなるからだ。鰻を食べても代助の品位が下がるわけではない。しかし英国のバチュラーは鰻屋には行かないだろう。だからそこには触れないのだ。
考えてみれば『吾輩は猫である』の苦沙弥先生の朝飯もパンである。パンに砂糖やジャムを塗って食べる。『明暗』の津田も麺麭と牛酪を食べる。『野分』の高柳君も焼麺麭を食べる。
この健三の過去が漱石の過去そのものであるわけはないが、研究のために時間も金も節約した事実はあったかもしれない。してみれば漱石にとっての麺麭とは英国のバチュラーの習慣といった優雅なものを必ずしも意味しないのではないかと私には思える。では何故麵麭を食べるかと言えば、それが近代的生活であり、臥薪嘗胆の戒めであったからではなかろうか。
三四郎も西洋料理を食べる。田川敬太郎も探偵で西洋料理屋に入る。それは時代の反映だろう。国木田独歩の明治三十四年作『牛肉と馬鈴薯』にはビフテキとスチューとオムレツが出て来る。ならば洋行した学者は麺麭を食べないと格好がつかないのである。天婦羅そばを何杯もお代わりしていると笑われるのである。
『坊ちゃん』の「おれ」が天婦羅そばを食べて揶揄われるのは、ある意味でそれしか情報がないからである。考えていることは解らない。やっていることは解る。それが近代文学1.0の正体であると気が付いたのは、将棋の渡辺王将のおやつがいちごジュースとホットコーヒー、藤井竜王が「掛川紅ほっぺのショートケーキ」とパイナップルジュースだったというニュースを見た時だ。昼食は、渡辺が「しあわせのたまごオムライス」藤井は「天ぷらうどん」を注文したが、天婦羅はかき揚げではなく浜名湖産の車エビの天婦羅である。
何故天婦羅そばがニュースになるのかと言えば、王将戦のハイレベルな勝負そのものを伝えるすべがないからである。今藤井竜王が桂馬と銀で迷って歩を突きましたね、と解説することができない、またそんなことを解説しても誰にも響かないからである。オオタニサンのホームランは映像を流せば解る。しかし将棋の棋譜を見せても素人には何も解らないのである。
これが近代文学1.0が文豪飯になってしまった根本的な原因ではなかろうか。
例えば『坊っちゃん』の「おれ」が物理学校を三年のストレートで卒業するのに、松山中学には二十三歳で赴任するロジックは解らない。解らないけれど、ほら天婦羅そばを食ったと大笑いする。それが近代文学1.0だった。漱石の方もそこは承知していて「おれ」に天婦羅そばと団子を食わせる。
もしかすると『それから』の代助にあえて麺麭を食わせるのも、漱石のたくらみかも知れない。石原千秋が指摘するように『それから』はキリスト教的な暗示に溢れている。キリスト教において麺麭はキリストの体である。作中においては麺麭は単なる糧、労働の対償としての意味しか持たないが、麺麭、麺麭と連呼することで、喜ぶ人がいることを知っていたのだ。
あるいは『明暗』が七つの大罪を仄めかすのも漱石の悪戯かもしれない。
しかし近代文学1.0の人達にはそんなことは関係ない。ブログやツイッターやインスタは食い物の写真だらけ。「孤独のグルメ」が指摘する様に食い物は現代人に平等に与えられた唯一の幸福なのかもしれない。
いや問題そんなことではない。もう一度考えてみよう。何故江藤淳は代助が鰻を食べたことを無視したのであろうか。
鰻を食べれば性欲が増す。鰻を食べて性欲が増さないとすれば、斎藤茂吉の立場がない。村上春樹が鰻は特別な食べ物だと考える。
鰻は代助に不気味な変化を与えている。それは寓意ではなく筋である。江藤淳は鈴蘭に谷間の百合の寓意を与えたが、その成分による筋の運びを観なかった。では麺麭にバチュラーを見出し、鰻の効果を観ないことは果たして正しいことだったのだろうか。
例えば『坊っちゃん』を研究した外国人がこんなことを書いていたらどうだろう。
日本人なら冗談か深読みが過ぎると即座に判断できるかもしれないが、仮に日本人の研究家がこんなことを書いて外国人に読ませたら、案外信じる人が現れるのではないか。確かに蕎麦にも天麩羅にも「縁起」はあるが、そうしたものをどれだけ意識に上らせて書いたのか、テクスト論ではないところで作者の塩梅を見極めなければ、寓意を拾うのはかなり剣呑なことでもある。
無論当時の素朴な読者の中にも麺麭を食べる代助にハイカラを感じた人はあろう。「誠太郎、チョコレートを飲むかい」もそういう要素だ。ベースボール、ニコライの復活祭、アイスクリーム、ヴァイオリン、アマランス、タナグラ、ピヤノ、ウエーファー、グラッドストーン、ウィスキー…。まさに『それから』は『なんとなく、クリスタル』的な尖った小説として読まれたのではなかろうか。
また『それから』には「ヘクトー」が出て来ることから、夏目漱石の意識の中に、少しは名の知れた作家である自分の来歴や生活が読者にも既に漏れ聞こえていようという意識があったことが伺われる。従って恐らく英国留学の経験のない代助のハイカラ趣味に夏目漱石自身の英国留学の匂いを嗅ぎ取り、「英国のバチュラーの習慣を反映している」と見ることはさして頓珍漢なことではない。
問題は鰻を観ないことである。
三島由紀夫は『奔馬』において「神風連小史」のようなものは小さな矛盾を排除して出来上がるものだと書いている。実はこのことは批評のナラティブにおいても言えることではなかろうか。小林秀雄的なファンタジーでないとしても、批評はある角度をつけて語られるものである。しかし三島由紀夫は「神風連小史」といったいかにも純真そうな若者たちの記録に何故敢えて「小さな矛盾」を指摘したのだろうか。『奔馬』の取材のため熊本入りする前に、三島は徹底的に資料を読み、身を清めて臨んだ。三島由紀夫が見つけたかもしれない「小さな矛盾」はそもそも排除されているので定かではないが、『奔馬』そのものの中に繰り返し問われている事から明らかだとも言えるだろう。自分の思想信条がどこまで本物であるのか、自分でも解らない。ただある形式をとることで、自分の思想信条が決まるのだ。
江藤淳は代助を「世紀末の趣味人」とも規定する。無職ながらピヤノも弾き、タナグラを求めるなど、確かに「世紀末の趣味人」である。しかしシルクハットをかぶり、鰻を食うのだ。外国人読者ならこんなところにも日本の近代化と伝統的な江戸趣味の葛藤を見てしまうかもしれない。いやむしろ見るべき点はそこなのではなかろうか。「神風連小史」で神風連を聖化しないためにはむしろ「小さな矛盾」を排除しないで、解りやすいお話を作らないことこそ肝要なのではなかろうか。
繰り返すが批評はある角度をつけて語られるものである。しかしその語り口、ナラティブは誠実であるべきであり、謙虚であるべきだ。
代助のこの思いは漱石自身と重ねられるところが多かろう。この文明批判者をナショナリストに括ることは難しい。
【付記】
朝食に麺麭を食べるのは必ずしも英国のバチュラーの習慣を反映しているわけではないかという話を一つ。『漱石の思ひ出』によれば、或る日鏡子夫人が買い物に出た留守中、漱石は女中を二人追い出してしまい、鏡子夫人が戻ってくると家の中は真っ暗、その中で子供が泣いている始末。漱石が癇癪を爆発させたのだ。鏡子夫人は憎らしくて、朝御飯の代わりに麺麭を出す。子供たちが砂糖をつけて麺麭を食べ、漱石もぼそぼそと麺麭を食べて学校へ行く。その後でも麺麭を食べさせたり、弁当屋の仕出しの弁当飯を食わせていたらしい。このエピソードは『吾輩は猫である』ではとん子とすん子のユーモラスな朝食風景として脚色される他、長女・筆子の回想としても漱石全集に記録されている。
案外、朝食に麺麭を食べるのは女房や下女の手抜きであり、『明暗』にあるように「日本に生れて米の飯が食えないんだから可哀想だろう」ということなのかもしれない。
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