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手鏡日録

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日記です。気まぐれに書いています。
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#日記

手鏡日録:2024年7月7日

手鏡日録:2024年7月7日

7月はまだ三分の一ほど残っているが、ここまででもずいぶんいろいろなことがあって、それらを書き残す暇がなかった。なので、少しずつ思い出しながら。

祖母の誕生日を祝うために、グループホームに迎えに行った。
誕生日当日からは一週間ほど過ぎてしまったのだが、弟の仕事の都合でこの日に集まることになった。集まるといっても、母と弟、それに私の三人だけ。
グループホーム二階の居室からエレベータで祖母が下りてくる

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手鏡日録:2024年6月19日

手鏡日録:2024年6月19日

もう仲夏なのだけれど、初夏らしいからっとした朝。今日は遠くに行かねばならない。
在来線を乗り継ぐ。かつての職場の最寄り駅に近づくと、丘陵の滴る緑が窓に溢れた。大荷物を抱え、通勤時間帯を少し外れてこの青葉の輝きを眺めているのは不思議な気分だった。懐かしさも高揚もなく平板なままであったが、それでも人が乗り込んできて窓の景色を当たり前のように塗り潰したときは少し残念な気がした。
途中、つまらない場所で電

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手鏡日録:2024年5月31日

手鏡日録:2024年5月31日

帰り道、車の後部座席でからからと音がする。プラスチックの仕切りケースに入ったビーズだろう。ブレスレット作りのためにかつて少しずつ買い揃えたパーツを、訳あって自宅に引き上げるところだった。
ターコイズ、ラピスラズリ、瑪瑙、アメジスト、タイガーアイなどの半貴石。樹脂のものや、チーク風のウッドビーズ、チェコ風のガラスビーズもある。アクセルやブレーキを踏み、ハンドルを左右に切るたびに、それらが乾いた音を立

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手鏡日録:2024年5月28日

手鏡日録:2024年5月28日

ひどい風雨だった。
今も轟々と風が暴れている。身の危険を感じる帰路だったが、なんとか帰り着いた。
激しくフロントガラスにぶつかる雨粒は、ひっきりなしに働かせたワイパーが何とかしてくれた。ただアスファルトに叩きつける雨は地面を波のように這ってこちらに迫り、あるかなしかの感覚で繰り返しタイヤを呑み込んでいく。ライトに照らされる雨は不器用なタップダンスのようで、雨脚、ということばが浮かぶ。
車道上には街

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手鏡日録:2024年5月22日

手鏡日録:2024年5月22日

いつぶりか分からないくらい久しぶりに、とある牛丼屋に入った。少し前におエラい役員が自社の商品と女性と地方をワンフレーズで貶めるミラクルコンボをキメた、あの牛丼屋チェーンである。かの舌禍よりずっと以前から足は遠のいていて、でも時々食べたくなるのは、自宅ではなかなかあの牛丼の味が出せないせいもあると思う。あるいは思い出補正というやつか。
入った店はずいぶん綺麗で明るい内装で、お馴染みのカウンターのほか

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手鏡日録:2024年5月20日

手鏡日録:2024年5月20日

副都心線の雑司が谷駅から階段を上がり、地上の光が見えたとたん、ひんやりとした空気に包まれた。リュックの中の上着を取り出そうかと逡巡するうちに、路上の気温はあたたかさを取り戻した。今の冷気はなんだったのだろうか。ともあれ、まずは鬼子母神から雑司が谷散歩を始めることにする。
都電の踏切を渡り、欅の聳え立つ参道に足を踏み入れると、ひゅっと涼しい空気がぶつかる。さっきの冷気とは違う。周りの市街化に抗うよう

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手鏡日録:2024年5月12日

手鏡日録:2024年5月12日

家族写真を撮った。
かつて一家だった人たちは三つの家族になり、その最大公約数みたいな場所、横浜に集合した。写真室はデパートの片隅で、フロアの喧騒を離れたそこは月日で隔てられた元家族が集まるのにふさわしい静けさだったが、被写体である子どもたちがそのうらぶれた静謐を濁らせてしまったのは少し申し訳なかった。もっとも今日の撮影の主役は、子どもたちのおじいちゃんである、我が父なのだけれど。
カメラマンが哀れ

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手鏡日録:2024年5月11日

手鏡日録:2024年5月11日

土曜日は子どものスイミングスクールがあるので、気温が上がった昼前に出かける。
晴れて暑く、風が強い。太陽フレアに起因する磁気嵐が発生しているらしいが、それとこの強風とは関係ないだろう。風にはまだ湿気がうっすらとしか含まれていないので、なんとか呼吸ができている。
コロナ禍での中断期間はあったものの、再開したスイミングスクールで子どもたちはバタフライにまでたどり着くことができた。クロールも平泳ぎもはじ

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手鏡日録:2024年4月26日

手鏡日録:2024年4月26日

この四月、慣れない仕事であまりに楽しく、しかしやはり疲れてしまっていて、文章を書くどころではなかった。文章ばかりか俳句もずいぶん苦労したので、相当余裕がなかったのだと思う。

疲れた頭で風呂に入っていたら、『山賊の歌』が浮かんできた。
昔、小学校の音楽で配られた小さな歌集に載っていたのだが、授業で歌った記憶はない。いや歌集で知るより先に、父親が風呂場で歌っていたので知ったのだった。
父親は、およそ

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手鏡日録:2024年3月22日

手鏡日録:2024年3月22日

夏雲システムでの豆の木木曜句会の選句をしている。
いつも100句をやや超えるくらいの句数で、だいたい出句数(10句)と同じくらいを目安にいただく。
今回はそれをややオーバーしてしまいそう。
選の傾向はあまり意識していないのだが、好きだと思う句には「自分がこういうの作りたかったな」と思う句が含まれている気がする。
そういえば、豆の木に参加したばかりの頃だと思うが「楠本さんて選はわりあいにおとなしいの

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手鏡日録:2024年3月19日

手鏡日録:2024年3月19日

ときどき行くチェーンの喫茶店がある。
バイトも社員も、店員の顔を何となく覚えるくらいには通っている。そうは言っても、無駄話をするほどの距離感ではなく、あちらが当方をリピーターとして認識しているのかもよくわからない。
席に着くと、オーダーを取りに来た店員さんに見覚えがあった。以前はよく見かけたが、このところシフトに入っていなかったのか、久々に見る顔だ。
気付くのに間があったのは、その店員の髪色のせい

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手鏡日録:2024年3月17日

手鏡日録:2024年3月17日

祖母に会いに行った。
かつては丘陵であったろう住宅街の、その尾根にあたる道を縫っていくと、周囲の家屋に溶け込んだグループホームがある。
道を挟んで学校と、こぢんまりした団地とがあって、ちょうど団地の前の白木蓮が盛りだった。
グループホームの二階で、祖母は過ごしている。ずっと一緒にいるわけではないのでその暮らしぶりは想像するほかないのだが、きっと桶の水に沈んだビー玉のようなものなのかと思う。
祖母の

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手鏡日録:2024年3月15日

手鏡日録:2024年3月15日

これまでの人生でいちばん気の進まない確定申告を終えた。
いろいろ物申したいことはあるが、税務署への文句など世の中に溢れすぎているだろうから、取り立てて言うまい。
いやひとつだけ。税務署の狭苦しいブースに養鶏場の鶏みたいに並べられ、スマホにかかった医療費をぽちぽち入力させられたのはまあ構わない。僅かばかりの還付金を受け取ることに、そこはかとない浅ましさを認めてしまっているから。入力した数字が通信エラ

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手鏡日録:2024年3月8日

手鏡日録:2024年3月8日

四歳児には、家の中におともだちがいる。名を、チャポーくんと言う。
四歳児と長女が二人で行っているごっこ遊びには、たいがいチャポーくんが登場する。
その正体は、某ブロック玩具に付属していた小さな人形。その名前の由来は定かでなく、二人に訊いても「チャポーくんはチャポーくん」と要領を得ない。
四歳児と年の離れた長女は、よく面倒を見てくれていると思う。四歳児もそんな長女によく懐いているが、やはり遊びの取っ

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