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手鏡日録:2024年3月17日

祖母に会いに行った。
かつては丘陵であったろう住宅街の、その尾根にあたる道を縫っていくと、周囲の家屋に溶け込んだグループホームがある。
道を挟んで学校と、こぢんまりした団地とがあって、ちょうど団地の前の白木蓮が盛りだった。
グループホームの二階で、祖母は過ごしている。ずっと一緒にいるわけではないのでその暮らしぶりは想像するほかないのだが、きっと桶の水に沈んだビー玉のようなものなのかと思う。
祖母の部屋は至ってシンプルだ。調度はベッドとソファ、箪笥にクローゼットだけで、身も蓋もなく動線があらわになっている。ソファはかつて祖母の自宅のリビングにL字に鎮座していたものの一部である。秘密基地に見立てていた子どもの時分はずいぶん巨大に感じていたソファも、中綿がへたってずいぶん低く縮んでいる。そこに並んで腰掛ける。
ハチ公のこと、私の職場や近況、子ども(祖母にとっては曽孫)のこと……。同じ質問を五、六度繰り返すのは慣れっこになった。二十年前に祖父が亡くなった記憶は曖昧だが、十年前の私の転職のことは覚えているなど、相変わらず脳機能の神秘を教えてくれる。そう、昔から祖母は神秘の源泉なのだ。
「そういえば、こないだそこの窓から人が入ってきてね」
グループホームに、しかも取っ掛かりのない二階の窓から侵入する泥棒もないだろうと思いつつ、相槌を打つ。
入ってきてもこんな年寄りばっかりだから向こうのほうがびっくりしただろうけど、と笑いを含みながら、
「私もこんなだからね、そこ(部屋の扉)開けて大声出したらね、たくさん人が来てくれたと思うよ」
と続けた。
思うよ、という語尾は自信なさげで、そのためにこちらもへぇーと強めに相槌を打ってしまう。そうして代替の記憶が強化されていくのだろう。
それって夜のこと?と訊くと、うん寝てたからね、と祖母。夜勤でたくさん人がいるわけもない場所なのはよく分かっているので、答え合わせをした気分になってしまう。
ここにいると、おかげさまで何にも気持ちが波立つってことがないからね、と祖母。穏やかな水底のビー玉も、ときどきさざ波を欲してしまうのだろうか。
ふと、祖母の庭に超然と屹立していた、見事な白木蓮のことを思い出した。
「ほら、おばあちゃんちの庭にも木蓮があったでしょ。ちょうど今、木蓮の季節で、そこの窓からもきれいに咲いてるのがよく見えるよ」
ふーん、木蓮ね……。
祖母は、窓には見向きもしなかった。
そうだった。草花が好きで、人と話すことはもっと大好きなのだった。そんな祖母の神秘の源泉が奈辺にあったのかを、図らずも覗いてしまった気がした。

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