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手鏡日録:2024年6月19日

もう仲夏なのだけれど、初夏らしいからっとした朝。今日は遠くに行かねばならない。
在来線を乗り継ぐ。かつての職場の最寄り駅に近づくと、丘陵の滴る緑が窓に溢れた。大荷物を抱え、通勤時間帯を少し外れてこの青葉の輝きを眺めているのは不思議な気分だった。懐かしさも高揚もなく平板なままであったが、それでも人が乗り込んできて窓の景色を当たり前のように塗り潰したときは少し残念な気がした。
途中、つまらない場所で電車が緊急停車すると、乗っている車両の端のほうで雄叫びと壁に何かを打ちつけるドンドンという音が聞こえた。打ちつけられているのは拳だろうか、頭だろうか。どちらにしても、ずいぶんな音が響いてくるので、血が出ているかもしれない。流血を止めないと、と思ったが、満員電車で身動きがとれず何もできない。やがて電車はゆっくり動き出し、音は止んだ。こんなに人で満ちているのに、何もかもが外側にある。
新幹線の乗車駅に着き、予約していた切符を発券すると、すぐに昼食を買い求めた。シウマイ弁当。毎度の旅の供である。しかしちょっと離れた場所に勝烈庵の弁当を売っていたのを見て、やや心が揺れた。時間が空いたので珈琲店に入ったが、店員に勧められた水出し珈琲はやけに薄く、ゆったりしたソファでの透明な時間に耐えられなくて、早々と席を立つ。
新幹線のホームで、手土産を買い忘れていたのを思い出し、慌ててキヨスクで求める。そのせいで今度は、自分の飲み物を買うのを忘れてしまった。
新幹線は、酒匂川、しばらくして天竜川を渡る。昨夜までの雨のせいか、ずいぶん水が濁っている。昼時になり、シウマイ弁当をしたためていると、名古屋に停車した。胸が苦しくなって、しばし箸を止める。木曽川、長良川、揖斐川。濁りが少なくなってきた。大垣の市民プールは大きなスライダーがあって楽しそうだ。気の遠くなるような緑に包囲された谷間の集落を、いくつも通り過ぎる。どこの田圃も青々と呼吸している。
睡魔に組み伏せられているうちに、新大阪を通過していた。新神戸を過ぎると水と緑の眩しさにしばし目を瞑らされる。岡山の少し西の、水田に住宅地が迷い込んで、青田に家が浮いたようになった一帯が、なんとも言えず美しかった。
福山、広島は、佐々木紺句集に没頭するうちに過ぎ去った。
小倉で新幹線を降り、在来線へ。ここで特急に乗り込む。コンビニで買ったお茶をからからの喉に流し込みながら、子どもの頃は新幹線から特急に乗り換える特別感が密かにうれしかったのを思い出す。田圃と住宅が、ずるずると途切れずに続き、目的の駅に到着した。

宿に荷物を置いて着替えると、タクシーに乗り込んで斎場へ向かう。
斎場では、うっすらと見覚えのある顔が幾人か、目つきだけ忙しなく立っていた。たぶん思い出話も世間話も相応しくない気がして、双方とも何と声をかけるべきか戸惑いながら、その戸惑いを互いの赦しのように勝手に考え、短い挨拶と不明瞭な頷きとともに席に着く。
祭壇に相対して身じろぎもせずに座っていると、やがて毛髪豊かな僧侶がやってきて、読経が始まった。参列者から呻くような唱和が漏れ聞こえるところからすると、この土地ではある程度慣れ親しまれたものなのだろう。次第に読経の声はうねるような抑揚を増していく。ついには歌のような節回しで、会場をとろりとした波で何度も洗い続けた。はじめは生者へ信仰を伝えるための歌だろうと思った。しかし、だんだん死者への語りなのかもしれないと思えてきた。生者に差し出す平らなことばは、きっと彼岸にまでは届かない。節回しにのせて、注意深く切実に紡がねば、遺影で微笑む人にはきっと聞こえない。そんなふうに考えられてきたのかもしれない。
法要が果てると、あとは生者が喪服をやや崩して互いの存在を確かめあう時間になる。生きている間にしかできないその営みを、棺の人はどのように分かちあっているのだろう。
斎場から駅前の宿に戻ると、暗闇に用水らしき水音が矢鱈ごうごうと響いていた。

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