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手鏡日録:2024年7月7日

7月はまだ三分の一ほど残っているが、ここまででもずいぶんいろいろなことがあって、それらを書き残す暇がなかった。なので、少しずつ思い出しながら。

祖母の誕生日を祝うために、グループホームに迎えに行った。
誕生日当日からは一週間ほど過ぎてしまったのだが、弟の仕事の都合でこの日に集まることになった。集まるといっても、母と弟、それに私の三人だけ。
グループホーム二階の居室からエレベータで祖母が下りてくるのを待つ間、階段の壁に飾られた写真を眺めていた。その中の三年近く前の写真の祖母は、ふっくらしていて記憶の中の祖母に近かった。実際にエレベータからシルバーカーを押して出てきた祖母は、老人らしい瘦せ方をしていたが、それなのに前回会った時よりも足取りが少しばかり軽そうなのは何とも不思議だった。弟の、次いで私の名を呼んで、うれしそうに進み出てきてくれる。「久しぶりだね」とこちらの声にも、いくぶんの安堵が入り混じる。
九十六歳。その年齢を告げると、そのたびに祖母は「まぁ、本当?」と新鮮に驚く。「それじゃ仕方ないわね」。
何が仕方ないのか、分かるような分からないような気分のまま、車で近くのコメダ珈琲に向かう。コメダは数か月前に母が祖母を連れて行った際にお気に召したようで、広い席でゆったり腰掛けられるのも良さそうに思えた。休日のコメダはなかなかの混みようだった。席に通されるまでの十五分ほどの間に、五回ほど「ここ来たことあったわねぇ」と繰り返す祖母。最近の記憶ほど喪われやすいはずなのだが、おかしいな。コメダのどこかレトロな店内を、子どもの頃の記憶と混同している可能性もある。しかし「こないだもお母さんと一緒に来たんでしょ。よく覚えてるね」と言うと、少しうれしそうに「そうね、連れてきてもらったのね」と返すので、きっと記憶の悪戯なのだと思うことにしたい。
案内された席は幸いなことに店の隅で、震顫のある祖母がコーヒーをひっくり返しても比較的迷惑にはならなさそうだった(ただ今回はそんな粗相は杞憂に終わった)。
祖母はホットのコーヒーを希望し、誕生日ケーキ代わりにと抹茶のシロノワールを母が注文した。「二人じゃ食べきれないと思ってこないだは頼めなかった」と母は言うが、私がクリームソーダを、母がコーヒーフロートを頼んだせいで卓上にはソフトクリームが三つ並ぶことになった。
「熱いから飲めない」とホットコーヒーを水で薄め、カップに口が触れるか触れないかの刹那に、舐めるように啜る祖母。それを眺めるわずかな時間に、涙のようにつぎつぎ溶け出していく私のソフトクリーム。ブーツ型のグラスのふちをスプーンでなぞってソフトクリームの流出を防がねばならない。シロノワール上に鎮座したソフトクリームも同様の有り様だったので、そちらは弟に任せることにした。黙々と飲み食いしたのち、しばし祖母を中心に緩慢で間歇的なおしゃべりが続いた。
結局、祖母はぬるいアメリカンと化したコーヒーを半分ほど残し、シロノワールは勧められても口にしなかった。弟が救いきれなかったソフトクリームは、皿の上でうすく白濁した水たまりになった。
溶けて、何も残らない。そこに潔さを感じるよりも、まだ整理できない感情が澱のように漂っている。
ここ数年ですっかり恰幅のよくなった弟について愉快そうに笑い、曾孫の人数を何度も訊ね、「(曾孫たちに)外で会っても分からないわねぇ」と繰り返す祖母のことを、私のほうは忘れないでおこう。
帰りの電車から見える丹沢に沈む夕陽は、やけに懐かしく思えた。

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