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ジャパンウォーズ(JW)第一部 神武東征〜欠史八代

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ジャパンのウォーズについて、改めて書いて参ります。いろいろ新しい情報が入ったので、書き直そうと思ったわけです。写真も載せて参ります。
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2022年3月の記事一覧

JW107 出雲ふたたび

JW107 出雲ふたたび

【懿徳天皇編】エピソード8 出雲ふたたび

出雲(いずも)に向かった、第四代天皇、懿徳天皇(いとくてんのう)こと、大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとも・のみこと)(以下、スッキー)。

皇太子の観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしね・のみこと)(以下、松彦)たちを連れての旅である。

そして、大臣(おおおみ)の磯城葉江(しき・の・はえ)と物部出雲色(もののべ・の・いずものしこ)(以下、イズモ)による

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JW108 大物は二度現れる

JW108 大物は二度現れる

【懿徳天皇編】エピソード9 大物は二度現れる

出雲(いずも)に向かった、第四代天皇、懿徳天皇(いとくてんのう)こと、大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとも・のみこと)(以下、スッキー)。

皇太子の観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしね・のみこと)(以下、松彦)たちを連れての旅である。

素戔嗚尊(すさのお・のみこと)(以下、スー)の登場に驚愕する一行。

そして、出雲の君主、櫛月(くしつき)(以下

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JW109 逝って参る

JW109 逝って参る

【懿徳天皇編】エピソード10 逝って参る

出雲(いずも)への行幸(ぎょうこう)は無事に終わった。

ちなみに、行幸とは、天皇が外出することである。

そして、ヤマトに戻った、第四代天皇、懿徳天皇(いとくてんのう)こと、大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとも・のみこと)(以下、スッキー)には、もはや記事が一つしか残されていないのであった。

紀元前477年、皇紀184年(懿徳天皇34)9月8日、ス

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JW110 空白の一年

JW110 空白の一年

【孝昭天皇編】エピソード1 空白の一年

紀元前477年、皇紀184年(懿徳天皇34)9月8日、第四代天皇、懿徳天皇(いとくてんのう)こと、大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとも・のみこと)(以下、スッキー)が崩御(ほうぎょ)した。

ちなみに、崩御とは天皇が亡くなることである。

そして、次の五代目天皇は、皇太子こと日嗣皇子(ひつぎのみこ)の観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしね・のみこと)(以下、

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JW111 五代目即位

JW111 五代目即位

【孝昭天皇編】エピソード2 五代目即位

紀元前475年、皇紀186年(孝昭天皇元)1月9日、皇太子こと日嗣皇子(ひつぎのみこ)の観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしね・のみこと)(以下、松彦)が、ようやく即位した。

第五代天皇、孝昭天皇(こうしょうてんのう)である。

4月5日には、先代の大后(おおきさき)を皇太后(おおき・おおきさき)と尊んでいる。

そして、7月には、遷宮(せんぐう)がおこなわ

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JW112 富士山と伊豆山

JW112 富士山と伊豆山

【孝昭天皇編】エピソード3 富士山と伊豆山

紀元前474年、皇紀187年(孝昭天皇2)6月となった。

そんなある日のこと。

第五代天皇、孝昭天皇(こうしょうてんのう)こと、観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしね・のみこと)(以下、松彦)のもとに、出雲(いずも)の君主がやって来た。

出雲櫛月(いずも・の・くしつき)(以下、月)である。

月「お久しぶりだね。エピソード108以来かな?」

松彦「

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JW113 塞がれた港

JW113 塞がれた港

【孝昭天皇編】エピソード4 塞がれた港

紀元前473年、皇紀188年(孝昭天皇3)4月、无謝志国(むさし・のくに:今の埼玉県・東京都周辺)に氷川神社(ひかわじんじゃ)が創建された。

その解説の中で、第五代天皇、孝昭天皇(こうしょうてんのう)こと、観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしね・のみこと)(以下、松彦)は驚愕する。

北陸地方に、先代の懿徳天皇(いとくてんのう)を祀った神社が有るというのであ

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JW114 えびす様の正体

JW114 えびす様の正体

【孝昭天皇編】エピソード5 えびす様の正体

紀元前469年、皇紀192年(孝昭天皇7)8月10日、石津太神社(いわつのおおじんじゃ)が創建された。

祭神は「えびす様」である。

祭神について、第五代天皇、孝昭天皇(こうしょうてんのう)こと、観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしね・のみこと)(以下、松彦)が熱く語る。

聞き手は中臣御食臣(なかとみ・の・みけつおみ)(以下、ミケツ)。

そして、息子

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JW115 遅すぎる立后

JW115 遅すぎる立后

【孝昭天皇編】エピソード6 遅すぎる立后

前回は、石津太神社(いわつのおおじんじゃ)について紹介させてもらった。

そして、あれから二十二年もの歳月が流れたのであった。

すなわち、紀元前447年、皇紀214年(孝昭天皇29)1月3日、立后(りっこう)がおこなわれたのである。

第五代天皇、孝昭天皇(こうしょうてんのう)こと、観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしね・のみこと)(以下、松彦)が上機嫌で

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JW116 御長寿たち

JW116 御長寿たち

【孝昭天皇編】エピソード7 御長寿たち

紀元前447年、皇紀214年(孝昭天皇29)1月3日、第五代天皇、孝昭天皇(こうしょうてんのう)こと、観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしね・のみこと)(以下、松彦)の立后(りっこう)がおこなわれた。

そして、大后(おおきさき)の一人、世襲足媛(よそたらしひめ)(以下、ヨッシー)が高らかに宣言するのであった。

ヨッシー「大王(おおきみ)が活躍してないおかげ

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JW117 三人目の大臣

JW117 三人目の大臣

【孝昭天皇編】エピソード8 三人目の大臣

紀元前445年、皇紀216年(孝昭天皇31)1月、新たな大臣(おおおみ)が誕生した。

大臣に就任したのは、津守瀛津世襲(つもり・の・おきつよそ)(以下、オキツ)である。

今回は趣向を変え、オキツの屋敷を舞台としたい。

まず最初に屋敷を訪れたのは、伯父の尾張天忍人(おわり・の・あまおしひと)(以下、オワリン)であった。

オワリン「オキツ、大臣就任、

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JW118 天降神社の伝説

JW118 天降神社の伝説

【孝昭天皇編】エピソード9 天降神社の伝説

紀元前445年、皇紀216年(孝昭天皇31)1月、新たな大臣(おおおみ)が誕生した。

大臣に就任したのは、津守瀛津世襲(つもり・の・おきつよそ)(以下、オキツ)である。

こうして、大臣は三人体制となったのであった。

ここで、第五代天皇、孝昭天皇(こうしょうてんのう)こと、観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしね・のみこと)(以下、松彦)が叫んだ。

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JW119 王子と名乗る理由

JW119 王子と名乗る理由

【孝昭天皇編】エピソード10 王子と名乗る理由

皇子誕生記事から四年の歳月が流れた。

紀元前423年、皇紀238年(孝昭天皇53)のある日のこと。

久米佐久刀禰(くめ・の・さくとね)(以下、サクト)が、磯城一族(しき・いちぞく)の屋敷を訪れていた。

サクト「ん? そんな展開・・・聞いてないっすよ!」

そのとき、磯城葉江(しき・の・はえ)(以下、葉江)と甥の五十坂彦(いさかひこ)(以下、イ

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JW120 太子を立てた日

JW120 太子を立てた日

【孝昭天皇編】エピソード11 太子を立てた日

紀元前408年、皇紀253年(孝昭天皇68)1月14日、この日、立太子がおこなわれた。

皇太子こと日嗣皇子(ひつぎのみこ)となったのは・・・。

ここで、第五代天皇、孝昭天皇(こうしょうてんのう)こと、観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしね・のみこと)(以下、松彦)が叫んだ。

松彦「もう分かっておるとは思うが、あえて言わせてもらおうぞ!」

そこに三

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