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JW110 空白の一年

【孝昭天皇編】エピソード1 空白の一年


紀元前477年、皇紀184年(懿徳天皇34)9月8日、第四代天皇、懿徳天皇(いとくてんのう)こと、大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとも・のみこと)(以下、スッキー)が崩御(ほうぎょ)した。

ちなみに、崩御とは天皇が亡くなることである。

そして、次の五代目天皇は、皇太子こと日嗣皇子(ひつぎのみこ)の観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしね・のみこと)(以下、松彦)がなったと思いきや・・・。

ここで、松彦の弟、武石彦奇友背命(たけしひこくしともせ・のみこと)(以下、たけし)が声を上げた。

たけし「異議あり!」

松彦「なにゆえじゃ?!」

たけし「兄上。よく考えてくださいよ。我々の時代は、末子相続が普通なんですよ。」

松彦「分かっておるが、わしが日嗣皇子となり、次の大王(おおきみ)になることは、台本の『記紀』を見ても明らかじゃ。当然、『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』でも、そうなっておる。」

たけし「その通り! でもね、やっぱり納得いかない人たちが、一定数いたんじゃないですかね?」

松彦「どういうことじゃ?」

たけし「父上が亡くなられたあとの記事って何です?」

松彦「父上の陵(みささぎ)を造営したとなっておるな。」

たけし「でしょ!? おかしいじゃないですか!」

松彦「どこがおかしいのじゃ?!」

たけし「三代目も、そして父上も、即位(そくい)したあとに、先代の陵を造営してるんですよ。」

松彦「そ・・・それがどうしたというのじゃ。二代目は、即位の前に、先代の陵を造営しておるぞ。順番は関係ないと思うが・・・。」

たけし「でも、二代目の時は、何が有りました?」

松彦「二代目の時?」

たけし「二代目の時は・・・手研耳命(たぎしみみ・のみこと)と二代目による、皇位継承争いが有りましたよね?」

松彦「うっ。」

たけし「ということは、我々の時も・・・。」

松彦「うっ。」

たけし「そういうわけで、空白の一年が生まれたんじゃないですかね?」

松彦「空白の一年? なんじゃ? それは?」

たけし「兄上が大王となったのは、父上が亡くなられた翌年ではなく、翌々年となってるんです。」

松彦「なっ! では、父上が亡くなられた翌年は、何も書かれておらぬのか?」

たけし「一つだけ書かれてますよ。それが、父上の陵を造営したという記事です。」

松彦「これは・・・もしかすると・・・。」

たけし「もしかするでしょ?!」

こうして、紀元前476年、皇紀185年10月13日、先代のスッキーは、畝傍山(うねびやま)の南に位置する場所に葬られたのであった。

そこに、大臣の物部出雲色(もののべ・の・いずものしこ)(以下、イズモ)と兄の物部大禰(もののべ・の・おおね)(以下、大禰)がやって来た。

イズモ「松彦様、たけし様。兄弟げんかのところ、申し訳ありまへんけど、先代の陵の解説、やってもええやろか?」

大禰「せやで。二千年後のどこに葬ったのか、語っておかんと、あきまへんで!」

松彦「分かっておる。名前は『畝傍山南繊沙谿上陵(うねびやま・のみなみ・のまなごのたに・のえ・のみささぎ)』であるぞ。」

たけし「それで、二千年後のどこになるんだ?」

大禰「奈良県橿原市(かしはらし)の西池尻町(にしいけじりちょう)にある、真名子山(まなごやま)と言われてるで!」

懿徳天皇陵0
懿徳天皇陵1
懿徳天皇陵2
懿徳天皇陵3
懿徳天皇陵4
懿徳天皇陵5
懿徳天皇陵正面

松彦「真名子山とは、エピソード100で、おじい様こと、三代目の安寧天皇(あんねいてんのう)の陵と思われていた丘陵のことか?」

イズモ「よく覚えておられましたなぁ。せやけど、その山とはちゃうんですなぁ。」

大禰「エピソード100で紹介した真名子山の東隣の丘陵のことやねん。」

真名子山二つ

たけし「東隣? 同じ名前の山が二つ有るってことか? 削られて、二つになったとか?」

大禰「そうかもしれへんし、そうでないかもしれへん。」

たけし「要するに、よく分かんねえんだな。」

松彦「まあ、ともかく、父上を葬ることができたわけじゃ。」

イズモ「ところが、別の説も有るんや。」

松彦「べ・・・別の説じゃと?」

イズモ「先ほど紹介したのは、二千年後の宮内庁(くないちょう)が管理している陵や。江戸時代末期の調査で、ここが天皇陵と定められたことによるものやで。せやけど『いとくの森古墳』が、本当の陵かもしれへん・・・っちゅう意見も有るんや。」

松彦「いとくの森・・・父上の漢風諡号(かんふうしごう)は懿徳天皇(いとくてんのう)じゃ。関連があるのかもしれぬな。」

イズモ「ただ、こちらの古墳は、畝傍山の南ではなく、東部に位置してますぅ。せやから、皇后の天豊津媛(あまとよつひめ)の陵やないか・・・っちゅう説も有るで。」

いとくの森古墳0
いとくの森古墳1
いとくの森古墳

大禰「ちなみに『いとくの森古墳』は、もともと全長が30mの前方後円墳だったみたいやな。せやけど、二千年後は後円部分しか残ってへんのや。」

たけし「なんでだ?」

イズモ「削られたみたいやで。」

松彦「削られた・・・。もし、父上か母上が、本当に葬られた古墳であったなら・・・。可哀そうな、父上と母上・・・。(´;ω;`)ウッ…。」

大禰「ちなみに、古墳の頭頂部には、池田神社(いけだじんじゃ)が鎮座してはります。」

池田神社(いとくの森古墳)
池田神社拝殿

たけし「父上が祀(まつ)られた神社か?」

大禰「その通りやで!」

松彦「空白の一年で、陵を造りながら、争いもやっておったのであろうか・・・。」

たけし「まあ、今となっては謎だなぁ。」

こうして、天皇陵造営と兄弟げんか(のようなもの)が終了したのであった。

次回につづく

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