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「ブレーンストーミング」って、ホントに役割を果たしてる⁉

まずは「ブレーンストーミングって何?」という方もいると思うので、下記に引用文を添えておきます。

ブレインストーミングとは、集団でアイデアを出し合うことによって相互交錯の連鎖反応や発想の誘発を期待する技法である。(Wikipediaより引用)

要するに、あるテーマについて思いついたことをそのまま発表しあうというものです。

参加者の自由な発言が、思いもよらないアイデアを生み出す…という手段の一つなのですが、自由と言っても、いくつかのルールが存在します。

ブレインストーミングの4原則
・判断・結論を出さない(結論厳禁)
・粗野な考えを歓迎する(自由奔放)
・量を重視する(質より量)
・アイディアを結合し発展させる(結合改善)
(出典元:Wikipedia)

…なるほど、上手に活用すれば、盛り上がりそうですし、良いアイデアも生まれてきそうですよね‼

ですが、個人的には、いくつかの疑問…というよりも、「やる必要ある?」と思うこともあったりします。

ということで、今回は「ブレーンストーミング」について書いていこうと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

チーム・オフィス

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ブレーンストーミングが有効となる条件

会社を含むいくつかのコミュニティで、ブレーンストーミングに参加して気づいたのですが、ブレーンストーミングの機会を設けるにあたって、参加者の特性や関係性が効果に大きく作用します。

例えば、会社のトップが参加するブレーンストーミングにおいて、果たして上記で述べた「粗野な考え」を発表できる人がどれくらいいるでしょうか?

一般的に、日本人は…と括ってはいけないのかもしれませんが、日本には「空気を読む風土」があります。

これは「社内環境を円滑に図る」とか「顧客への配慮」といった側面において、重要な要素だと思います。

日本の就職は「就社」と揶揄されることもありますが、会社の一員であることに誇りや尊厳といったものがあることで、質の高いサービスの均一化が担保されているのではないでしょうか?

つまり「」ではなく「」という特性が強い日本の組織において、「自由で粗野な考え」というのは、そもそも出ないのではないか?という疑問が個人的には感じられるのです。

逆に参加者同士がフランクに何でも言える関係性であると、「」の特性から、ただの雑談になってしまう可能性も考えられるでしょう。

チーム・MTG

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自己肯定感が自由な発想を阻害する

海外の文化と違い、「」を重んじる環境では、自己肯定感が高くなりにくいというのも、ブレーンストーミングを行う上で阻害要因となるでしょう。

「自分の意見なんて大したことないのでは…?」

「変なことを言って笑われたくない…」

集団での一体感を求めれば求めるほど、尖った個性は失われていきます。

このような「集団として統制が取れた状態で、尖った個性を伸ばす」ことについて、ジレンマを抱える会社は、多いのではないでしょうか?

多くのビジネスは飽和過渡期に入っているので、現状を打破する破壊的なイノベーションを模索していますが、それには尖った個性が必要ですし、それを会社が見つけ出すことも必要です。

破壊的イノベーションというのは、得てして「粗野な考え」から生まれることも多くあり、アメリカや中国というのは、このような発想が生まれやすい文化があるからこそ、今も国益を増やし続けているのではないでしょうか?

アメリカには「フロンティアスピリット」という文化があります。

開拓者精神。特に米国の西部辺境における開拓者たちの精神。剛健・忍耐・創意、また闘争性・現実性・利己性などを特色とする。(デジタル大辞泉)

一方、日本には「おもてなし」などの利他性に重きを置いた文化が根付いています。

自己主張を美徳としない文化そのものが、実はブレーンストーミングとアンマッチなのだと私は考えています。

チーム・オフィス・笑顔

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日本式ブレーンストーミング

では、日本のような文化にブレーンストーミングは不要なのでしょうか?

私の意見としては「NO」です。

文化に則した手法にシフトすれば良いのではないでしょうか?

…どのような手法なら、「」を維持した状態で「粗野な考え」を引き出せるでしょうか?

参加者の特性を把握することも一つの方策でしょうが、それでは特定の個人、特定の集団に依存する恐れもあります。

そこで私が提案したいのが「ファシリテーターの育成」です。

集団の「」を維持しつつ、個人の特性を引き出す人材が、思いのほか少ないのではないでしょうか?

これは、とある会社の役員さんとの話でも挙がった会社の新たな課題だと感じています。

お笑いが好きな方は「裏回し役」といった方がピンとくるのではないでしょうか?

上の立場の方を立てつつ、場を和ませ、参加者の発言を拾い上げ、自己肯定感すら向上させる「空間の支配者」となり得る人材が、日本的な文化でブレーンストーミングを活用するために求められている特性だと私は思います。

チーム・会議・ハイタッチ

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「和」のスペシャリスト

実はファシリテーターという役割は、利他性が美徳とされている日本人には向いていると考えています。

場の空気が読めなければならず、なおかつ、自己主張しすぎない人財

リーダーとは違い、決定権を持たず中立性を担保できるので、育成ハードルもリーダーシップを求めるよりも低くなるのではないでしょうか?

また、ファシリテーターには言語能力の高さが求められるでしょう。

多くの言葉の中から、適切な言葉適切な場面で使い分ける能力、さながら「和」のスペシャリストと言えるかもしれません。

欲を言えば、独自の意見を持ちつつも、主張せず誘導もしない人材であれば、行き詰ったときに、参加者を新たなレールに移し替えることも可能でしょうが、そこは教育ではなく才能に依存する部分もあるので、高望みかもしれませんね。

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ということで、いかがだったでしょうか。

ブレーンストーミングは、有効に用いれば良い結果を生むこともあるでしょうが、手段に依存することは、必ずしも有効とは言えないのではないでしょうか?

参加者や集団の文化に応じてカスタマイズすることで、より良い活用法が見つかることを願っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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