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 私は、臨床心理士・公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護の言葉」

 この「介護の言葉」シリーズでは、介護の現場で使われたり、また、家族介護者や介護を考える上で必要で重要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。

 時には、介護について直接関係ないと思われるような言葉でも、これから介護のことを考える場合に、必要であれば、その言葉について考えていきたいとも思っています。

 今回は、気がついたら、当たり前のように使われる言葉になったのですが、その使い方について、違和感を覚えましたので、改めて考えたいと思った言葉です。

 よろしくお願いします。

介護破産

 こうした書籍を読むと、自分のことのようで、気持ちが暗くなります。

 介護離職をしてしまった私のような人間は、今も「介護破産」のような状況が続いている実感はあります。そして、そんな時に、問題は「介護離職」ではなく、「介護離職後の復職の困難」ではないか、と思っています。

 それでも、こうして社会の構造の問題について、改めて指摘してくれることは、長い目で見れば、家族介護者の負担を減らしてくれる可能性もあります。

 様々な、大事なことが書かれています。

生活保護受給者が増え続ける背景には低年金の問題がある。低年金の問題が解決しない限りは、この図式は永久に続く。 

高齢者たちに負担を課しても、財源不足の解消にはならない。まさに焼け石に水。むしろ、介護をする家族の負担は金銭的にも肉体的にも減ることはない。

(介護保険に関して)しかし、自己負担率が3割の層を誕生させたことで、10年先を考えると、そのカットラインが引き下がる道筋をつくってしまったことにもなる。

サービスカットが在宅介護崩壊を招く 

親の年金と一定の蓄えで細々と在宅介護を続けたとしても、介護離職の行き着く先は貧困生活になりやすい。

 それと同時に、どのようなサービスや制度を利用すれば、できる限りは、「介護離職」を防げるかもしれない、というような情報もありますので、5年以上前の書籍ですが、今でも参考になる要素は十分に盛り込まれていると思います。

 ただ、その中で、気になったのが「軽度者」という表現を使っていることでした。

軽度者

軽度者(要支援1・要支援2及び要介護1と認定された者)

「軽度者」という言葉が、こんなに日常的に使われるようになっていることを恥ずかしながら知りませんでした。同時に、違和感を覚えました。それは、要介護1と認定された方を介護している場合に、「軽度」という言葉が実感として当てはまらないから、という理由もあります。

 どうして、あえて「軽度」という表現が使われるのでしょうか。

改正

『介護保険法の2005年改正と要介護認定における評価バイアス』
https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/sh20238711.pdf

 2000年に始まった介護保険制度は,2005年に大 きな改正が行われた(施行は2006年度から)。そ の改正のポイントの一つは,給付費膨張抑制のための予防重視型のシステムへの変更である
 具体的には,従来の要介護認定 における「要支援」を「要支援1」,従来の「要介 護1」のうち状態の維持・改善可能性の高い者を「要支援2」(そうでない者を「要介護1」)とし,両者を対象に「介護予防給付」を開始したことがまず挙げられる。

 最初の「改正」で、要介護1が、何の状況も変わらないまま、要支援の区分に「強制移動」させられた「変化」は、とてもショックで、同時に介護保険への不信感が増大しました。それによって、介護状況が大きく変わる場合があるからです。

 しかも、そのことに、特に強い批判がされることもありませんでした。

 特に、介護者としての自分自身がその変化に大きく影響を受けることはなかったのですが、当時は、要介護1より重い区分であれば、施設入所ができました。ですので、この時の「改正」で、何も変わらないのに、「要介護1」から、「要支援2」になり、施設退所を余儀なくされた人もいたはずですが、そうしたことについて、検討された、という記憶もありません。

 現実に、介護が必要になったのは、ほとんどの場合、本人も家族も含めて、誰かが悪かったり、努力が足りなかったりするわけでもなく、特にアルツハイマー型の認知症に関しては、医学的に「予防」ができないにも関わらず、その最初の「改正」以降、「予防」ばかりを押し出す方針には、ずっと疑問を持ってきました。

 ちょうど介護保険の運用が始まった頃から、19年にわたって、介護をしてきた個人的な経験では、介護保険の「改正」のたび、サービス抑制としか思えない「変化」ばかりで、その「改正」は、とても「改めて正しく」しているようには思えず、その時期になると、ただ気持ちが重くなりました。

 同時に、その「改定」時期に登場する言葉に関しても、より気持ちを憂うつにさせられてきた気がします。

介護予防

 今でも「介護予防」という言葉には抵抗感があります。

 それは、繰り返しになりますが、介護が必要になる状態は、どれだけ努力しても避けようがない場合があります。それにも関わらず「予防」を打ち出すのは、「介護」をあまりにも避けたいもの、として強調しすぎることになると考えられます。

 こうした主張自体が、奇異なものに感じられるとすれば、それは「介護予防」という言葉が頻繁に使われることによって定着したこと。そして、介護は避けたいという自然な思いにフィットしていたからだと思われますが、実際に、介護に関わる場合には、「介護予防」という言葉は、どこか虚しい言葉にも響きます。

 それは、何度も繰り返して申し訳ないのですが、どれだけ努力しても、介護が必要になる状況を避けられないことがあるから、というのが大きな理由ですが、「介護予防」が使われすぎると、介護が必要になった人に対して、「あの人は介護予防への努力が足りなかった」という新しい差別を生み出す可能性すらある、というのは考えすぎでしょうか。

「介護予防」ではなく、もっとシンプルに「健康長寿」といった表現を使ったほうが、とても明快な気がします。

「軽度者」という表現

軽度者(要支援1・要支援2及び要介護1と認定された者)については、その状態像から見て使用が想定しにくい一部の福祉用具は原則として利用が認められていません。

 実際に「要介護1」の方を介護をする場合には、決して「軽度」とは思えない方も少なくないのに、「軽度者」が使われる文脈は、このようにサービス抑制の場面が多いように思います。

 2022年4月13日の財務省財政制度等審議会財政制度分科会(以下、財政審)で、また「効率化」を強く訴える介護保険制度改革案が示された。
 中でも特に反発が強いのは、これまでも繰り返し示されてきた以下の改革案だ。

介護保険サービスの利用者負担を見直し、原則2割にする。
現在、利用者負担なしのケアマネジメント(ケアプラン作成)を有料化する。
軽度者(要介護1,2)の訪問介護(ホームヘルプ)と通所介護(デイサービス)を介護保険から外して自治体サービス(地域支援事業)に移行する。
この3つの改革案は繰り返し提案されながら、介護現場や利用者からの反対の声が強く、未だ実現に至っていない。弊害が大きいからだ。

 こうした介護保険から外すときには、「要介護1」だけではなく「要介護2」の方まで、「軽度者」と表現されています。

 繰り返しになりますが、要介護1が、介護をする場合には、とても「軽度」だとは思えません。特に認知症であって、体が元気な場合は、「要介護1」や「要介護2」に留まる場合が多いような印象があります。

 その場合の「要介護1」もしくは「要介護2」は、24時間見守りが必要な場合さえ考えられます。目を離したときに、外へ出てしまうこともあるからです。個人的な経験にすぎませんが、介護をしている時、家族が「要介護1」の時に、介護負担が軽いと思ったことは、一度もありません。

 そうであれば、現在の介護認定の区分の基準自体を、やはり、改めて考え直す時期に来ているとは思いますが、今回は、それよりも「軽度者」という表現が使われ続けることで、それが実感とはかけ離れた、いかにも介護の必要性が低いイメージにつながりやすく、それは、将来的には、介護保険から外される時に、やむを得ない、といった世論につながりかねない。という危惧から、こうるさいかもしれませんが、こうした記事を書いています。

 こうして「要介護2」の方にまで、実際の状況とは違っている、「軽度者」という表現を、抵抗なく使用してもいいのでしょうか。

「介護保険」に関する議論

 例えば、こうした介護保険の制度の本質に立ち返った議論を、という提言をされている方もいらっしゃいます。

 大きな注目を集めた「軽度者改革」、すなわち「要介護1と2の訪問介護・通所介護などを保険給付から介護予防・日常生活支援総合事業に移行する」ことについては、財務省の審議会から強い意見が出ていたにもかかわらず、今回は見送られることになりました。この見直しを懸念していた介護職員・経営者や利用者などは、ひとまず安堵したのではないでしょうか。

実は私は、総合事業の創成期(2012年度)に、その推進策を検討する国の研究事業に参画していました。この意味で、総合事業には私個人としても様々な思い入れがあります。

その頃、すなわち創成期の総合事業は、財源の膨張の抑制や給付の効率化という目的を有していなかったと記憶しています。本来の目的は、要支援者とその前段階の高齢者に対する介護予防の取り組みの推進でした。

つまり、介護予防の効果を高めるためには、保険給付だけでも当時の介護予防事業だけでも不十分であり、そこに住民主体の活動や一般事業者も含めたサービス提供を総合的に組み合わせて展開し、今日で言うところのソーシャル・キャピタルを厚くすることが必要だ、という議論から生まれた仕組みだったのです。

ところが、近年の総合事業をめぐる議論は、財政面からの見直しの推進という色合いが強くなっています。本末転倒と言ってもよいでしょう。

私は、今こそ総合事業の本来の目的に立ち返って、この事業の将来のあり方を検討することこそ必要なのではないか、と考えています。

 こうした指摘をする専門家もいらっしゃいます。

短期的に軽度者への給付費を「ケチ」ることで、思わぬしっぺ返しを食らうだろう!

筆者は、2015年制度改正をめぐる議論に審議会の委員として携わった身として、そもそも総合事業の政策評価がなされていないにもかかわらず、要介護1・2を総合事業へ移行させるのは「乱暴」であると考える。

むしろ、そろそろ国も総合事業の不成功を認め、政策転換する時期が来たのではないだろうか。「従前相当」サービスの状態化、「事業費の上限超過」の自治体の多さ(その他理由で259自治体)などをみれば、うまくいっていないことは明らかと言わざるを得ない。介護関係者であれば誰もが感じているはずだ。

 こうした専門家の提言や指摘に触れると、「要介護1」や「要介護2」の方まで、介護保険の対象から外すことだけではなく、介護保険そのものを、もう一度、根本的に考えるときに来ているのではないか、というように思えてきます。

 基本的に、「要支援1、2」の方だけではなく、「要介護1」や「要介護2」の方々まで、まとめて「軽度者」と表現すること自体が、介護の現場の実感に即していないと思います。
 それに、「軽度者」のように、ひとまとめにするのであれば、要介護から、要支援まで、わざわざ7段階に区分している意味自体の否定のようにもなりますし、「軽度者」という言葉を使い続けることによって、将来、介護保険から外す、ということに対して、わかりにくいですが、背中を押すようなことにつながる可能性すらあります。

 そうであれば、「要介護1」や「要介護2」の方まで、介護保険から外すことへ疑問がある方ほど、「軽度者」という表現は、使うべきではないと個人的には思います。

 現在、介護に直接関係はないのだけれども、介護に関心がある人にまで、「軽度」という印象が強くなってしまえば、将来的に、介護保険の運営のために「軽度者」は、外すべきという主張に対して、賛意を示してしまいがちになるのでは、といった危惧も感じています。

 将来的に、「要介護2」や「要介護1」の方まで、介護保険の対象から外す、という方針に反対の方ほど、「軽度者」という表現は使うべきではないと思うのですが、いかがでしょうか。




(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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