介護の言葉⑫「介護予防」と「自立支援」
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この「介護の言葉」シリーズでは、介護の現場で使われたり、また、家族介護者や介護を考える上で必要で重要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。
「介護予防」と「自立支援」
今回は、第12回目になります。このシリーズは、どちらかといえば、家族介護者ご本人というよりは、支援者、専門家など、周囲の方向けの話になるかと思いますが、よろしかったら、読んでいただければ、ありがたく思います。
(私自身の経歴につきましては、このマガジン↓を読んでいただければ、概要は伝わると思います)。
今回は、この「介護の言葉」シリーズとしても、かなり個人的な感覚ですし、もしかしたら、広く共有されない感覚かもしれませんし、反発を覚える方もいらっしゃると思いますが、それでも、お伝えしたいと思いました。
やや公的な言葉にもなっている「介護予防」と「自立支援」という言葉を、改めて考えたいと思いました。
もし、ご意見や疑問などがありましたら、お伝えくだされば、うれしく思います。
「介護予防」という言葉
「介護予防」という言葉自体が、よく考えると、あまりいい意味合いがないように思います。
「〇〇予防」という言葉の「〇〇」に入るのは、本来ない方がいいもの、といったニュアンスが強いのではないでしょうか。(不適切かもしれませんが、先ほど、見たCMでは「男のシミ予防」と言っていました)。
それが努力や工夫次第で、防げるものであれば、「介護予防」という言葉にも、意味があると思います。
ただ、「介護」が必要な状況になるのは、高齢であることだけで、自然な老化のために身体介護が必要な場合も多いでしょう。また、現在、介護が必要になる理由として多数派にもなった認知症も、医学的に完全に正確な理由が分かっていないはずです。
そうであれば、「介護」が必要になっていたとしても、ご本人にも、ご家族や周囲の方にも、落ち度があるわけではありません。
それなのに「介護予防」という言葉が示すものは、「介護」は避けたいものであるメッセージを強く伝えています。もちろん、誰でも避けたいのは事実でしょうが、それをどれだけ願い、どれだけ節制し、努力や工夫をしたとしても、「介護」が必要になることはあります。
「介護」が必要な状態は、避けたいとしても、忌むべきものではありません。それなのに「介護予防」という言葉は、「介護」自体を、「よくない状態」と規定しすぎていく可能性もあります。
「介護予防」という言葉への気持ち
そういうことを思っていたのは、自分自身の状況に強く影響されすぎていたのかもしれません。
「介護予防」という言葉が広く使われ出した2000年代には、私自身が、すでに、認知症の介護と、身体的な介護の両方をしているせいもあって、「介護予防」という言葉に抵抗感があったと思います。
「介護予防」という言葉が、まだ「介護」が無縁である人たちに使われるたびに、この「介護」は望まれない状況なのかといったことを思う時もありました。
人に迷惑をかけてまで、生きていたくはない。などいう言葉が、「要介護」の人に、遠くからかけられる場合もあると、知っていました。悪意はないとしても、そんなことを言われても、介護が必要になった状況というのは避けようもなく、恥ずべきことでもなく、それまで一生懸命生きてきたから、より負担がかかって、介護が必要になる場合もあるのに、と思っていました。
「介護予防」という言葉ではなく、シンプルに「健康長寿」という単語を使えばいいのにと、今でも思っています。微妙な脅しが感じられるような表現ではなく、目指すべき状態を、素直に使った方がいいのに、とずっと思っています。
「介護予防」が多用され始めた頃
急に「介護予防」という言葉を、多く聞くようになったのは、2000年から始まった「介護保険」の最初の大幅な「改正」の2005年の頃でした。
その時には、個人的にはすでに家族の介護を始めていて、介護保険も利用していたのですが、介護保険が始まると、要介護1が予定より多かった、といった理由などで、それほどの根拠もなく、要介護1の認定が、何も状況が変わらないとしても、要介護1と、要支援2に変えられたことに、介護者の一人として納得ができないままでした。
もし、施設に要介護1で入所していた場合、その施設から出なくてはいけない状況まで、ありうると考えたせいもあります。
その「改正」は、大事な基準が恣意的に動かされるとしか思えず、介護保険への信頼が大きく揺らいだ時期でした。その「改正」と同時に、大きく言われ始めたのが「介護予防」だったので、戦略的なものを感じ、また「自己責任」という言葉と結びつきそうで、あまり好感が持てませんでした。
「介護予防」の先にあり得ること
さらに、これは考えすぎかもしれませんが、言葉というものは日常的に使われ、その影響は意外と気持ちの深いところにまで届く可能性もあるので、「介護予防」が多用されることで、微妙な「偏見」につながる可能性も検討する意味はあると思います。
「介護予防」という言葉が日常的に使われ続けることによって「介護」は避けたいものを超えて、避けるべきものとなってしまう可能性さえあります。
これだけ「介護予防」という枕詞がついた単語や、さまざまな「介護予防」をうたう方法が多くなると、その「介護予防」のための運動や食事に取り組む人が多数になるでしょう。極端なものを除けば、健康長寿のためにプラスでしょうから、体にもいいと思います。
ただ、それを続けて、とても努力して、「幸いにも」介護が必要でない人生を歩め、「介護予防」を絶対視しすぎた時は、介護が必要になった人に対して、「介護予防の努力が足りないせいだったのでは」という目線で見て、微妙な差別感が生じる可能性もあるのですが、それは、考えすぎでしょうか。
こういう視点から考えても「介護予防」よりも「健康長寿」という言葉の方が、そうした差別感が生まれる可能性を減らせると思っています。
「自立支援」という表現
介護保険の運用の中で、やたらと「自立支援」という言葉が使われることが多く、そこに違和感があったのですが、介護保険法の条文の中に、こんな表現があるためだということを、勉強不足もあり恥ずかしいのですが、この本を読んで↑、改めて知りました。
介護保険法の第二条には、サービスは「要介護状態等の軽減又は悪化の防止に資するように行われる」という文章があります。
「軽減」や「悪化防止」が掲げられているということは、「自立支援」に向かって、少しでも状態をよくすることが、介護保険のサービスの目的になっている、ということだと思います。
病気や障害により「要介護状態等」になるのは、本人も家族も望んだわけではありません。できることなら「軽減又は悪化の防止」をしたいと願わずにはいられないでしょう。しかし、防ぐことができないからこそ、病気や障害があっても「介護のある暮らし」をつづけることができるように、介護保険がつくられたのではないでしょうか。
二〇一四年に日本が批准した障害者権利条約には(中略)第一七条では、「全ての障害者は、他の者との平等を基礎として、その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する」とあります。
介護を必要とする人は、「全ての障害者」でもあります。障害者権利条約の理念にもとづいて、介護保険法は「要介護状態等の軽減又は悪化の防止」を見直す必要があります。
例えば、八十歳まで生きてきただけで、尊いと思うことも多いです。そして、どれだけ気をつけても、老化もありますし、病気になることもあり、本人や周囲に落ち度がなくても、「介護」が必要になることもあります。
そんな時に、「自立支援」という言葉に追い回されるような介護保険のサービスが、本当に、要介護の状態になったご本人のために、また家族介護者のためになるでしょうか。
「自立支援」を強調しすぎること
今の生活を静かに続けられるために「介護保険」があって欲しいと思っていただけに、改めて「自立支援」を目標としすぎている理念には、疑念が強くなります。
高齢になり、介護が必要になった人に、これまで生きてきたことを労うような静かな生活ではなく、本人が望まない場合でも、少しでも「自立支援」に向かうための「努力させる」ようなサービスは、本当に必要でしょうか。というよりは、どれだけ努力しても、緩やかな下り坂になるのが「老化」ではないのでしょうか。
そんなごく基本的なことさえ共有できないような発言を、私などよりもはるかに経験もあり、能力も高く、社会的な力もある「専門家」の方々がしているのを知ると、怖くもなり、絶望的な気持ちにもなります。
2015年の頃の、「介護保険部会」での発言です。
「生活動作が自立することなく何年もだらだらと提供され続けている」(日本医師会常任理事)にはじまり、「だらだらやっているのではないかという疑念があるということはしっかりと受けとめていただかなければならない」(慶應義塾大学教授)、「維持、改善に寄与しないサービスを漠然とだらだらやっていくということは、この先もあってはいけない」(日本看護協会常任理事)という批判があいついだのです。
そして、二〇一七年、介護保険法の改正案は、「地域包括ケアシステムの深化・推進」のため、「自立支援・重度化防止に向けた保険者機能の強化」を掲げました。 (「総介護社会」より)
こうした言葉が、オープンな場所で、正当に批判もされ、議論もされる社会になった方がいいと思うのですが、どうでしょうか。
これは「自立支援」だけが「正義」だと生まれてしまう表現だとも思っていますし、こうした、要介護者にとっても、介護者に対しても、残酷な言葉が生じるのであれば、「自立支援」という理念そのものが、一種の「呪い」のようにさえ思えてきます。
「自立支援」も理念として必要だとは思うのですが(回復の見込みがあるような場合のみ)、それと同時に、要介護者の状況によって、「生活援助」を中心的な目標に変えるようにすれば、穏やかな介護生活を、より可能にするように思うのですが、どうでしょうか。
その方が「介護」の実質に近く、「自立支援」という「無理な目標」にこだわらないことで、頻繁なシステム変更を減らし、そのことで予算削減につながる可能性すらあると思うのですが、それは素人の浅はかな考えに過ぎないのでしょうか。
今回は、以上です。
私は、「介護予防」と「自立支援」が多用される前から、介護に関わってきた人間なので、それは「古い」感覚に過ぎず、もっと若い世代にとっては、よく分からないクレームに見えている可能性もあります。
ただ、介護を考えるときに、その言葉も大事になるのは、このシリーズでずっとお伝えしてきたつもりですので、法律にも関わってくる言葉だからこそ、もう一度、検討してもいいように思っていますが、いかがでしょうか。
疑問点や、ご意見など、お伝えいただければ、とてもありがたく思います。
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