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介護について、思ったこと⑮「未来のためにできること」

 20世紀の終わり頃、突然、家族の介護をすることになりました。
 

 そのころは、30代で、介護への心構えが全くありません。ただ、目の前のことをするだけの毎日が続きました。

 辛いから、辛いと思わないようにしすぎて、そのうちに感情が動かなくなっていることに気がつきましたが、そうしないと、生きていけませんでした。

 母親と、妻の母親の2人に介護が必要になり、私自身も心臓の発作を起こし、仕事もやめ、介護だけをしていた時は、土の中で息を潜めているような感覚でした。


 しばらく暗い中にいました。

 金銭が尽きたりして、介護が、うまくいかなくなったら死ねばいい。そんな自暴自棄なザラザラした気持ちが変わってきたのは、妻と一緒に介護をしてきて、いつも妻が味方になってくれたこと。さらには、介護者としても、人としても、敬意を持てるような人たちと出会えてからだと思います。

 家族介護者にこそ、個別で心理的支援が不可欠だと思っていましたが、そんな気持ちの変化があったせいか、介護を続けながらでも、介護者支援に関わろうと考え、大学院に通い、50歳を超えてから臨床心理士の資格をとり、「介護者相談」の仕事も、幸いにも始めることができました。

 どうして、そんなに大変なのに、介護を続けようとするのだろう。とんでもなく厳しい状況で、どうすれば、そんなに心が澄んでいられるのだろう。そう思うような家族介護者は今も少なくありません。

 そうした人たちは、18世紀の思想家ルソーが「人間不平等起源論」で書いていた「あわれみの人」なのだと思いました。困っている人がいたら、考えるより前に、自然に手を差し伸べられる人であって、さらに、こういう人たちこそが人間の社会を支えてきた、といったルソーの指摘も本当だと思うようになりました。


 介護生活が終わったのは、突然始まってから、19年後でした。

 母親は80代で、病院で亡くなったのを看取りました。義母は在宅介護で103歳まで生きてくれました。


 介護する人、もっと広く言えば「ケアという行為」が社会にとって、さらには、人類にとって、どれだけ重要で豊かな行為なのかを、正確に伝えて、常識にしていきたい。だからこそ、自分自身でも、介護する人の心理的支援の質はもっと上げていきたい。

 それが、「未来のためにできること」だと思って続けています。




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