「介護時間」の光景㊽「新聞紙」。3.12.
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで書き続けることができています。
この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2002年3月12日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。
自己紹介
元々は、私は家族介護者でした。介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。
ただ、そうした支援をしている専門家がいるか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。それは、分不相応かもしれませんが、介護をしながら、学校へも通い、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護相談も続けられています。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年3月12日」のことです。終盤に、今日、2021年3月12日のことを書いています。
1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い(リンクあり)、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。
ただ、それ以前の病院といろいろあったせいで、うつむき加減で、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。それでも、2年たつ頃には、今の病院が、母を大事にしてくれているように感じ、少しずつ信頼をしていったと思います。
ただ、将来のことは、1年先のことさえ考えられなくなり、毎日の、目の前のことだけを見るようになっていました。
そのためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。前半は、そんな頃の記録です。家族介護者の気持ちの一つの例になるとは思います。
2002年3月12日
『午後4時半頃、病院につく。
この前持っていった雑誌と、読みたいと言っていた宮本武蔵の本が、冷蔵庫の上に置いてある。
馴染みがないものは、読まないのだろうか、と思う。
「もう、宮本武蔵は読んだのよ。10冊、全部、知ってるから」
母はそう言うのだけど、それが本当かも分からないが、また興味がありそうなものを持ってこようと思う。
病棟の中を、母と一緒に少し歩く。
外の景色を見て、クルマが通って、そこにありもしない文字を、母は勝手に読んでいる。
何か、少し症状が悪化したような気がする。
でも、トイレは、珍しく午後5時20分まで行かなかった。
壁に写真を貼る。雑誌の桜のページを切って、貼る。
午後5時30分。いつもよりも、少しだけ早く夕食になる。
今日は、30分で食べ終わる。
それから、すぐにトイレへ。
自分の部屋のトイレは、少し段になっているので、使えず、1つ置いた部屋のトイレを借りにいく。
ここから、またひどいことが続くのかな。
そんな気持ちになる。
昨日の夜は、アルコールを飲んで、心臓がバクバクしてびっくりした、という夢を見た。2年前に心房細動の発作を起こして、次に発作が起きたら死にますよ、と医師に言われ、それから体重を減らし、アルコールを一切やめていた。だけど、昨日の夢はすごくリアルだったので、本当に寝ている間に不整脈を起こしていたのかと思った。目を覚まして、少し胸が痛くて、嫌な感じがしていた。
母のメモには「朝、おしっこが長いので、びっくりした」とあって、日付は1週間後の3月19日になっている。
その話をされたので「あんまり夜に行かなかったからじゃないの?」というと、「内臓か何かが壊れたのかと思った」と返ってきた。
6時40分にまたトイレへ。
一回の時間が長くなっている。10分を超えるくらいになったので、呼びに行ったら、普通に、一緒に戻ってこれた。
午後7時に病院を出る』
新聞紙
夜、病院を出ると、右は雑木林。左は木が規則正しく植えてある、やっぱり林。日がくれると、ホントに暗い。最初は特に右の雑木林から何かが出てきそうで、びくびくして歩いていた。看板によると、2車線の県道までは180メートル。
その細く暗い道に新聞紙がページを広げて、ばらばらに落ちている。クルマが近づくと、風のせいで、中心が盛り上がるようになって、少し浮き上がる。さらにスーっと動くので、妙な生き物みたいに見える。そしてクルマが通り過ぎて風がなくなると、また平たくなる。
歩いていると、またクルマが来た。ただの新聞紙なのに、また風で少し盛り上がって動いたので、そのクルマはかなり大きくハンドルをきって、よけようとして、ちょっと踏んで走り去っていった。そして、新聞紙は、また平たくなった。
(2002年3月12日)
2021年3月12日
コロナ禍という言葉が定着して、マスクが当たり前になって、人と話す時に、相手の方がマスクをしてなかったら、「マスクをしてなくて、すみません」と言葉が返ってくるように「常識」が変わってからも、随分と時間がたった。
緊急事態宣言は二回目になり、今年に入ってから、すぐに宣言が出され、今は2ヶ月以上たち、当初の予定よりも、さらに延長されることになった。
緊張感は、かなり緩んでいるのは、少しでも外出すると感じる。
それほど、ニュースも見ないようにしているのは、不安だけがふくらむように思っているからだけど、それでも、今は、ワクチン接種の話題もかなり聞くようになってきたが、身近な人間で、まだワクチン接種をしている人を聞いたことがない。
いつになるのだろう。
それなのに、ワクチン接種に関して1本で五回とか、六回とか、七回とか、今の段階で、そんなあやふやな情報が伝わってくることに、不安が大きくなる。
さらには、自分がワクチン摂取ができるとしても、もしかしたら、今年以内だったら早めかもしれない、くらいの気持ちになっているけれど、これから先に、ワクチンを疑うような強めの声も、さらに聞く機会が増えるかもしれないと思うと、今から憂うつになる。
それに、変異株まで広がってきている、というニュースを多く聞くようになった。
不安はふくらむだけで、小さくはなりにくい。
ヒュウガミズキ
起きたら、妻が、「これ、ヒュウガミズキ、いいでしょ」と嬉しそうに言って、玄関に飾ってくれている姿があった。それは、妻のお姉さんが速達で送ってくれたものだという。
「速達」に、植物にかける思いの凄さを感じたが、ありがたかった。
そこには、小ぶりの薄い黄色のかわいい花が、ペン入れを花瓶がわりに飾ってある。ペン入れは、部屋を掃除してくれた時に妻が見つけた、私が知らないうちに紛失して、もう使わなくなったものだった。その下にお菓子の空箱を置いたのは、花びらが散るから、だという。
花だけでなく、花まわりにも細かく気を使っているのだと思った。
さらには、廊下の別の場所にも、ヒュウガミズキが飾ってあって、そんなに、花をたくさん送ってきてくれたことに、驚き、改めてありがたくも思う。
家の中に、新しい季節がやってきたし、明るさも増した。
柿の葉
今日は、午後から雨が降るという予報だったので、なるべく早く洗濯を始めて、できるだけ早く干そうと思っていたら、日がさしてきた。
庭の柿の木が、葉っぱが全部落ちて、柿の実のヘタだけが枝に残って、あとは本当に枯れ木だと思っていたのだけど、すでに葉っぱがツボミのようになっているだけではなく、場所によっては、葉っぱが広がりつつあって、もう季節が進んでいることに、気がついた。
新鮮な緑色だった。
午後になっても、雨は降らずに時間がすぎて、その間に買い物に行ってきた。
帰ってきたら、この前、エアコンが壊れたので新しく取り付けてもらった電気屋さんから電話があった、と妻が伝えてくれた。長く使ってきたオイルヒーターが調子が悪かったので預けていたが、私が買い物に行っている間に、電話があって、直ったから今から届けに行く、ということだった。
しばらくしてから、チャイムが鳴った。
オイルヒーターは、もう直らないと思っていたのだけど、修理をしてくれた。それも2日間つけっぱなしにして、安全も確認してくれたと聞いて、もう直らないと思っていたし、修理代も高くないのに、考えたら、すごく丁寧に対応してくれたと思い、ありがたかった。
雨は、夕方になっても、まだ降らず、天気はもっていた。これなら、少しでも洗濯物は乾くかもしれない。
(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、ありがたく思います)。
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