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『「介護時間」の光景(225)「角度」。9.26。

いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます
 おかげで書き続けることができています。

(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2003年9月26日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、私自身が、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、しかも断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないかとも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年9月26日」のことです。終盤に、今日、「2024年9月26日」のことを書いています。

(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)。

2003年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は長期療養の病院に入院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に在宅で、義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあったせいで、うつむき加減で、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。それでも、3年がたつ頃には、この病院が、母を大事にしてくれているように感じ、少しずつ信頼が蓄積し、その上で、減額措置なども教えてもらい、かなり病院を信じるようになっていました。

 それでも、同じことの繰り返しの毎日のためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。

 2003年の頃には、母親の症状も安定し、病院への信頼も増し、少し余裕が出てきた頃でした。これまで全く考えられなかった自分の未来のことも、ほんの少しだけ頭をよぎることがありました。
 それでも毎日のように、メモをとっていました。

2003年9月26日

『以前の病院に母が入院していた時、明らかに見落としがあったり、私がその病院スタッフに追い込まれたせいもあって、母を病室で何日も泊まり込んでみていて、心臓細動を発症したときも、信じられないくらい冷たい対応をされたこともあり、できたら、訴えたいと思って、弁護士に相談をしていた。

 だが、今日も、訴えること自体が難しい、と繰り返し言われて、ぐったりして、それから病院へ向かい、電車が遅れたせいか、午後4時過ぎに最寄りの駅へ着いた。母の化粧品を買うのは、今日は諦め、あわててバスに乗り、午後5時過ぎに病院へ着いた。

 母は、病院のスタッフと一緒に、読売ジャイアンツの原監督が解任されたニュースを見ていた。

 部屋で母と話をしていると、また2つの話題が繰り返された。

 郵便局の貯金を移して欲しい。
 化粧品を買ってきて欲しい。

 化粧品は、次に買ってくるつもりだけど、郵便局については、理由がよくわからない。

 ただ、貯金については、病院にいても、細かいことが気になるみたいなので、なるべく、安心するために、どうしたらいいのかを考えようと思う。

 やっぱり心配なんだろうけれど、そこまで気が回るようになった、ということかもしれない。

 夕食は30分かかる。それほど早くなるわけではない。

 午後7時に病院を出る』。

角度

 電車の座席。今まで人が座っていて、その人が立つと、そこがお尻の形にへこんでいた。

 しばらくそのままだった。

 座っていた人の体重が重かったせいかもしれない。そのへこみの、へりの部分が、電車がスタートすると、ホームからの光なのか、車内の光なのか、どこかの光の角度が変わったせいか、少しずつへこみが戻ってきているせいか、少しの間、動いているもののように、ぱくぱくと鼓動のような感じで光って見えた。

                       (2003年9月26日) 

 この生活は、まるで終わらないように続いたのだけど、その翌年、2004年に、母親の肝臓にガンが見つかった。
 手術をして、いったん落ち着いたものの、2005年には再発し、2007年には、母は病院で亡くなった。
 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、妻と一緒に在宅介護をしていた義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得した。 
 昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2024年9月26日

 起きて、洗濯を始める。

 洗濯機が新しく、洗濯物を入れてから、スイッチを押すと、そのまま空回りをして、水の量を表示する。

 それに合わせて液体洗剤を入れることになるのだけど、水が出てくるまで少し時間がある。

 その時間に日光を浴びる。

 起きてから程なく、直射日光を浴びると体内時計がリセットされる、という話をどこかで聞いたせいだ。

 そして、1〜2分経って、少し忘れそうになる頃、洗濯機が水を注入し始める。

 その時に、液体洗剤を入れて、その入り口のような部分に、その出てきた水を洗剤のキャップですくって、少し入れる。

 そうすると、より洗剤が力を発揮しそうな気がするからだ。

 洗濯を一度して、干して、それから出かける。

介護者支援の仕事

 介護者を心理的に支援するための相談の仕事に向かう。

 イチョウはすでに黄色くなりつつある部分もあって、季節の変化を先取りしているようにも見える。

 幸いなことに、介護者相談を仕事として始めて11年目になる。

 ただ、それでも、利用してくれる介護者の方や、実際に介護者相談に尽力してくれるスタッフの方以外には、家族介護者には、心理的な支援こそが必要であるということが、それほど広く理解されないままだ。介護者相談の窓口は、この10年でほとんど増えていない。逆に減っているのかもしれない。

 なんだか、10年が経ってそんな状況であることに、自分への不甲斐なさと無力感のようなものを感じるが、それでも、利用してくれる方がいる限り、そして、その方々への心理的な支援ができる限り、意味は大きいと思う。

 これからも、自分の支援の力を少しでも上げること。とても微力とはいっても、介護者への心理的支援の必要性を、機会があれば訴え続けることも必要なのは、変わりがない。

介護制度の課題

 介護保険は5年ごとに大幅な「改正」を行なうということが、最初から言われてきた。

 個人的には1999年から家族の介護に関わり、2018年の年末で介護が終了したので、その「改正」の3回ほどは、利用者の家族として介護保険の「変化」を身にしみるように体験してきた。

 すでに2005年の最初の「改正」で、とても納得のいかない「変化」だったので「改正」という「正」という文字が入っていることが信じられないほどだった。すでに、利用する人を絞る方向へ舵を切った、という見方を、その当時にお世話になっていたケアマネージャーの方もしていたし、その後も、「改正」するたびに「サービス抑制」としか思えない「変化」だった。

 それは、高齢者の医療に関わった医師も指摘していることのようだった。この書籍が出版されたのは2012年。ただ、ここで指摘されている「介護制度の課題と試案」は、それから10年以上が経った現在でも、とても「改善」されているとは思えず、そういう意味でも、現時点でも重要な書籍なのだと思う。

 一九七〇年代末に大平内閣が打ち出した「日本型福祉社会」論は、高福祉・高負担型の北欧の福祉国家を否定的に捉え、個人や家族の自助努力と近隣・地域社会の連携を強調するもので、老親の介護も家族責任とされた。従来の施設中心主義から在宅福祉への転換が強調されたのもこの頃からだ。

(『長生きって迷惑ですか』より)

 すでに50年以上前からの方針が、今も貫かれているのかと考えると、ちょっと気が遠くなるような気がする。

 また、一九八一年から始まる臨調・行革路線とも言われる政策によって、福祉への公費支出の抑制・削減が推し進められ、その結果、福祉施設やホームヘルプ・サービスなどの在宅介護サービスは大幅に不足することとなった。このような公費支出抑制のために、長期化、重度化していく高齢者介護を家族に担わせてきた政策の歪みは、高齢者の虐待、介護疲れによる殺人や心中など、「介護地獄」とまで言われた悲惨な状況を生み出したのだった。

(『長生きって迷惑ですか』より)

 このことに関しては、いろいろな見方もあるかもしれないが、私も基本的には、ほぼ同様に感じている。それに、介護保険の2005年の「改正」に対しても、この著者は、こうした指摘をしている。

 介護保険の適用を難しくすることによって、「適正化」(何とすばらしい言葉ではないか)という縮小が試みられているようだが、財政的な面を考慮の材料としても、福祉の著しい後退であり、二〇〇〇以前に戻ることになりかねない。この一〇年間を無駄にしたこととなり、また「介護地獄」の時代に逆戻りすることも懸念される。

(『長生きって迷惑ですか』より)

 基本的には、これからも、介護を家族が担うことになる印象だが、それに対して「地域」という表現を多用するようになったのが、近年だと思う。

 施設介護が在宅介護に比して、高額なことは十分に理解している。これは在宅では介護者が無料奉仕であり、施設では専門の介護職が携わっているので、当たり前のことだ。

(『長生きって迷惑ですか』より)

 そして、2020年代では、あまり言われなくなったのだけど、確かに2010年代では、「地域」の力によって「24時間在宅介護」が目標とされていたこともあったと記憶しているが、今は状況が変わったのかもしれない。

 この体制を取るには、医師、看護師、介護士などのプロばかりでなく、近所のボランティアやNPO法人などの“ご近所さん”の力を期待しているという。しかし、現在、近所の高齢者の介護にボランティアで当たってくれる隣人が何人存在することか。

(『長生きって迷惑ですか』より)

 もしかしたら自分が知らないだけなのかもしれないが、介護保険の「改正」があるたびに、本当に現場をよく知る専門家が関わっているのだろうか、という疑問を今も持ち続けている。



(他にも介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)


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