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『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』③模擬試験

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

大学院で学ぼうと思った理由

 元々、私は家族介護者でした。
 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。

 私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

 それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、伝えることで、もしも、30代や40代になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

 同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この10年間感じてきました。

 もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士公認心理師を目指したい。さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

 この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。

 よろしくお願いいたします。

予備校

 独学で勉強を続けるのは、新しいことを知り続けることもできて、刺激もあったけれど、介護の合間だから、完全に集中するのは難しいと思いました。

 それは、夜中は、排泄介助以外のことも突発的に起きるので、2階の部屋にいながらも1階にいる義母の気配に耳だけでなく、体も澄ませているからでした。

 それでも、心理学が少しずつ分かってきたような気もしてきたのですが、これが大学院の入試に対して、どの程度有効なのかは全く分かりませんでした。

 だから、勉強を進めながらも、予備校を探しました。一般の大学入試に関しての予備校は、さすがに少しは知っていたのですが、最初は、臨床心理学専攻の大学院受験のための予備校のクラスがあることすら知りませんでした。

 それでも、勉強をしながら、予備校を検索もしてみました。

 その中で、心理学系の大学院受験専門の予備校があるのを知りました。ただ、その予備校の名前で出版している参考書もすでに買って読んだりもしていたのですが、どうも、あまり自分にとっては役に立たない本だったので、イメージが良くありません。

 1年ほど勉強する中で、そういうことだけは少し分かってきました。

 それから、その頃になると、自分の勉強方法を教えてくれるブログなども読むようになって、その中で、中央ゼミナールという予備校を知って、さらに模擬試験もやっていて、模擬試験だけを受けられることも知りました。

 見つけたのは5月でした。模擬試験は7月にあるのは分かりました。

 そこに向けて、頑張ってみよう、準備をしてみようと思えたのです。本格的に倫理学の勉強を始めてから、1年くらいが経った頃でした。

 かといって、試験用の勉強として「正解」かどうか分かりませんでしたし、がく然とするほど結果も悪いと思いましたし、元々試験自体がずっと苦手でした。それに、若い時に行った大学の時は法学部で、あれから20年以上経っていて、だから、大学院に入るまで3年くらい、もしかしたら4年や5年はかかると思いました。

 あまり時間がかかると、母親が残してくれたお金も尽きて、結局は、今よりも歳をとった何もない中年男性になるだけ、を想像すると、ちょっと怖くもなりました。

 だけど、とりあえず来年の入試までは、とにかく勉強をしようと思い直すようにしました。

 あれだけ、学校が好きではなく、今でも好きではないのだけど、最初の大学受験から20年は経っているのに、また受験勉強をするなんて、本当に先のことは分からないと思いました。

7月13日

 模擬試験の日は、7月13日でした。

 その日で、つい思い出したのが、8年前のことです。母の症状が悪くなって、入院した病院で、そこの医師の見落としによって、母の状況が悪くなったこともあったのに、それを忘れたように、母の動きに対して「困るんです」と繰り返し、夜中も昼間も朝も電話で呼び出され、病院関係者に追い込まれたこともあって、私自身が心臓細動の発作を起こし、「もう少し無理すると死にますよ」と、循環器の医師に言われたのが、この7月13日です。

 まだ、その記憶もそれほど薄れていないようでしたけど、とにかく今日(7月13日)は、出かけなくてはいけません。午前10時過ぎに起きて、午後からの模擬試験のために、支度を始めます。予備校は高円寺にあって、もしかしたら、初めて降りる駅だったのですが、駅から近いところに予備校があるのは分かっていて、まだ集合時間まで40分はあるのでマクドナルドで食事をすることにしたら、すごく混んでいます。

 今日は、ハンバーガーを買ったら無料券を配るというので、私も行ってみようと思ったので、同じような人が多いのだろう、と思いました。クーポンを使ってダブルチーズバーガーのセットを頼んだのに、そんな私にまで無料券をくれて、感心しました。

模擬試験

 模擬試験の会場は、けっこう大きい教室でした。
 そこの空気感は、なつかしく感じます。
 学校とは違う、微妙に重く、硬い気配は、高校を卒業してから大学受験に失敗して通った予備校と、とても似ていました。

 そして、試験を受けにきている人たちは、圧倒的に若いのは分かりました。
 中には、とてもきれいな若い女性も何人もいて、それだけで気持ちが動揺してしまうくらいだったのですが、それは、この8年間、病院と家でほぼ介護だけをしてきて、だから、こんなに若い人たちの中にいること自体が、自分にとっては非日常だったからだと思います。

 ほぼ20代。それも前半。ほんの2、3人が明らかに定年後といった人たちがいます。
 私のようないわゆる働き盛りの年代はいません。黒板の前に立っている予備校のスタッフたちも、私よりはるかに年下なのは分かりました。

 受験者のうちに一人の女性が、“辞書を持ってきて使えるかどうか”を聞いていて「それはダメです」と言われていました。続いて、スタッフに「大学院の正式名称が分からない人?」と聞かれて、けっこう多くの人が手をあげて「こんなに多いと思いませんでした」と微妙に非難がましい口調になっていましたが、私は前夜に調べて手帳にメモしていました。

 年をとるというのは、けっこう疑り深くなる、という事だと思ったりもしました。

試験開始前

 試験が始まる前、模擬試験といっても、けっこうな緊張感がすぐに広まっていくのが分かりました。

 教室の黒板を見ていたら、急に、こんな人生の展開があるとは思わなかった、という気持ちになりました。8年前、動き回ろうとする母をおさえて、心臓が別の生き物のように動いて、死を意識し、それから後も、ずっと介護を続けてきて、こういうチャレンジが出来るような状態になれるとは思いませんでした。

 今は恵まれている。そんな事を思っていたら、母がもっと長生きしてくれたら、その分、やっぱり金銭的な余裕はなかったはずで、さらに、私も年をとっていて、こういうことをする気力がなかったかもしれない、もっとボロボロになっていたかもしれない、などと思うと、そういう事も含めて、ただ有り難いというだけではなく、重い気持ちもまじっていて、なんだか涙が出そうになりました。

 まだ介護は続いていますが、未来のことを考えないようにしていたので、なんとか希望のない介護生活が出来たのかもしれない。自分の先のことなんて、まったく考えていなかった。だから、10年ぶりくらいに、自分の将来に関係することを考えられるようになったのに、気がつきました。

 まだ何もしていないのに、とても気持ちが揺さぶられていました。

グリーンカレー

 試験が終わり、帰りにアートのショップに寄り、Tシャツを買おうかどうか迷って、サイズや首周りがちょっと違うかも、などと以前は思わなかったような理由で買うのをやめました。

 それから、歩いて、昨日インターネットで探したカフェに行きました。

 カフェのスタッフが、グリーンカレーを運んできてくれました。母の病院の帰りに寄っていた、フードコートのグリーンカレーよりも、オシャレな味がしました。ガトーショコラとコーヒーのセット。しっとりしていて、おいしく思いました。

 そこで、今日の試験の答え合わせをしました。びっくりするほど、出題者の意図に、自分がひっかかっていたのが本当に分かりました。知識の正確さが圧倒的に足りない。ここをつめていくのが、たぶん、これから、大変なのだろうと思ったのですが、そんな事を考えていられるのは、やっぱり恵まれているような気がしてきました。

判定

 しばらく経ってから、模擬試験の結果が郵送されてきました。

 志望大学院の名前の横に書いてあった「合格可能性」は、Aから始まり、Eまでで、それは5段階に分けられています。その時は、臨床心理学と英語の2科目だったはずですが、確か、臨床心理学の方は、Eの判定でした。

 それは、合格可能性から言えば、ほとんど不可能なのですが、それでも0点でもなければ、1桁代の点数でもなく、20点ほどは取れていました。

 だから、ほぼ何もないところから独学で始めたとしても、そして、間違えたところも、少なくとも次に同じ問題が出たら、解けるくらいの理解はできていました。自分が、とても低い点数で、全体の講評を読むと、かなり厳しいことを書かれていて、これでは受験する資格自体がないかも、と思えるような内容でしたが、それでも、ちょっとした達成感はありました。

 勉強の方法はそれほど、間違っていないようだし、問題はその量と質を上げることだという、遠くに続く坂道は見えた気がして、今までは、先が全く見えなかったので、それだけでも、ちょっと気が楽になりました。

 模擬試験は、必要だ。そのことを、生まれて初めて実感として分かった気がしました。

 結果が入った封筒には、次に模擬試験を受ける際には、少し安くなる割引券も同封されていました。また受けようと、より強く思いました。


反省点(もう少し余裕があったとしたら)

 これは、何年も後、大学院を修了する頃に、周囲の人たちと話をして改めて気がついたのですが、大学は臨床心理学部ではなく、他の学部の場合は、臨床心理学部の3年生から編入し、臨床心理学をきちんと学んでから、大学院に進んでいる人も少なくないことでした。

 または、私が予備校に通ったのは、模擬試験を受けるためだけでしたが、大学の学部から大学院を受ける人も意外と受験のための授業も受けて、模擬試験も受ける、という方法を選択する人も、やはり少なくないようでした。

 また、私のように他学部卒業で、社会人として受験するならば、どちかかといえば、予備校の授業にもきちんと通う、という方が、実はメジャーな選択らしいことを知りました。


(今、検索しても、こうした予備校があります↓。ただ、私自身は通ったことがないので、内容については、ご自身で調べていただくよう、お願いいたします)。


 大学の学部に編入したり、予備校の講座に通ったりした、他の人たちの話を聞くと、ただ独学で勉強をしていた私は、なんだか、自分が近道をしたような、ずるいような気がしたこともありました。確かに私に余裕があって、予備校に通う時間を過ごしたら、そこで、また知り合いが増えて楽しかったかも、とは思いました。

 それでも、その時の私は昼夜逆転の生活をしていて、金銭的に余裕もなく、とにかく介護を続けていて、その合間に勉強をするしかなかったので、自分にとっては、それ以外の方法は取れませんでした。

 だけど、それで大学院に通えたのは、かなり幸運だったとも、改めて思います。

 今回は、以上です。

 次回は、「④オープンキャンパス」の予定です。





(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。