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#ぬったりとした日常
日本酒と共に想いを酌み交わしたい
お酒を飲みだすと、ありふれた日常が愛おしくなってくるこの感覚は、いったい何なのだろう?
昨日は、ひとり居酒屋で熱燗を呑みながら、こんなことへ想いを巡らせていた。
・・・僕は、日本酒が好きだ。
お酒を飲み始めた頃はその良さが全く分からなかったけれど、23歳くらいから、日本酒の魅力に気づき出した。
そのキッカケは、年末に親父が日本酒を買ってきてくれて、一緒に乾杯したことだった。
当時の僕は、
互いの日常が交わる瞬間を味わう
僕は3年ほど前から、自分が普段考えていることをTwitterで発信し始めた。
そして2年半ほど前から、Twitterやレターポットを通じて仲良くなった人へ、直接会いに行くようになった。
当時の僕が住んでいたのは新潟で、東京、大阪、京都、福井、三重、兵庫、岡山、熊本、そして台湾など、色んな場所に旅をした。
『会いたい人へ会いに行く旅』を毎月続けていたら、ご縁があって、岡山へ移住することにもなっ
温かくて優しい気持ちが消費されないためには
今日は仕事が休みで天気も心地よく、瀬戸内海の周りをドライブしてきた。
岡山へ移住したものの、この辺りのことを何も知らないので、自分の目で見て、肌で体感することが目的だ。
さらには、自分の感性がぬったりとするようなフォトスポットと出逢えたらいいなぁという己の期待に乗っかるように、ふらーっとひとりで旅をしてみたんよ。
今日のコースは、笠岡(岡山県)⇒尾道(広島県)⇒しまなみ海道⇒今治(愛媛県)⇒
悲観に流されずぬったりとした日常を過ごすために
毎日noteを更新して改めて感じたのは、『悲観は気分、楽観は意思』だということ
【見返したくなる日めくりカレンダー】を書き続け、日常の大切さと向き合い続ける日々を過ごした
4月のうちに、数千枚にのぼる写真の中から500枚ほどを厳選
今までTwitterなどで発信してきたコアメッセージをざっくりとまとめ、それらをベースに、5月は毎朝noteとにらめっこ
その日その日で、移ろいゆく自分の感情と
日常を大切にすることの重要性は揺るがない
「日常」と「非日常」の境目は、いったいどこにあるのか
非日常的な体験の一例として、温泉やディズニーランドへ行く際には、境目をイメージしやすいだろう
1日の始まりと終わりに、日常から非日常へ、非日常から日常へと、スイッチが切り替わるからだ
だけれど…
もしも突然、僕らの身に非日常的な出来事がやってきたら、その境目はどうなっていくのだろう?
「ウイルスが蔓延した」「災害が発生した」
こうい
水のように流れに流されず自ずから流れる
僕は、水のような生き方をしたいと思っている
水から連想するものといえば、例えば何が思い浮かぶだろうか…
天然水はもちろん、川や海、雪や雨、お酒やジュースにも水は使われているし、僕らが必ず触れている空気にも水分は含まれているよね
様々な水の、自然なふるまいを観察していると、人間のありのままのふるまいと同じだなと感じることが多々ある
僕らは天然水のような潤いを持っているし、時に、誰かの心地を和
黄昏時に潜むしっとりとした情感
僕は『たそがれること』が好きだ
たそがれる(黄昏る)とは、日が暮れて空が薄暗くなる様子や、盛りを過ぎて衰えていく様をあらわす言葉
現代では、物思いに耽ったり、ぼーっとするという意味で使われることも多い
『たそがれ』の語源は『誰そ彼』
目の前にいる人が識別できなくなるくらい暗くなって、「誰ですか、あなたは?(誰そ彼)」と尋ねる頃合いとなった時間帯が、黄昏時
・・・ここ1年ほど、僕は黄昏時の
アイデンティティーとパーソナリティーの溝を流れゆく時
「自分とは何者か?」という自問自答を、僕は幾度となく重ねてきた
何かしらの答えを見つけたとしても、「本当にこれが自分なのか?」という問いを繰り返す
毎度のごとく、心にうねりを感じながら、波打つ感情と向き合ってきたように思う
・・・さて
「わたしはこうゆう人間だ!」と考えたことが、実際の自分と同一であるという一貫した自覚を持った時に、人は『アイデンティティー(自我同一性)』を獲得する
アイ
必要とする人へ『自分を届ける』ということ
僕は昔から、自分のことを語るのが苦手だ
子どもの頃のエピソードや「最近あった面白いこと」といったような、自分の身に起こった出来事がサラッと出てくる人のことを、とても羨ましく思っている
きっと心の奥底では、自分に自信がないのだろう
・・・だからこそ僕は、ドラマが好きだ
映画やテレビ、漫画といったフィクション作品に登場する人物の生き様に自分自身を投影して、うっすらと命の片鱗を感じ、自らを愛して
優しさの奥にある厳しさが人の心を整える
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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者のツイートを深堀りするエッセイです。
※毎週日曜日の夜に更新!
新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています(*^^*)
川の流れのように、世の中の動きに流されるのではなく「主体的に流れること」を大切にしたい。
そんなおもいを込めています。
本日
積極的な慎ましさで想いを汲み取っていく
注いでも注いでも、渇いていくものってな〜んだ?
・・・その答えは”愛情”だと、僕は思う
きっと僕らは「愛情を注ぐことで相手の心は潤うはずだ」と、そう思いたいんだ
自分の心が渇いていればいるほどに、愛おしい人へ愛情を注ぐことで、無意識に自分の心を潤そうとしてしまう
相手のために優しさや思いやりを与えるという、その愛情を行動で示すことで、自分の心が温かく潤っていくような実感を得られるからね
道の数だけ生き辛さがある
僕は様々な道を辿ることが好きだ。
昔から、学校への登下校ルートを日によって変えてみたり、まだ通ったことのない道にあえて寄り道をしていくことも多い。
「あの道に進んだらいつもと違う何かがあるかもしれない」
「あの道は一体どこに続いているんだろうか?」
こんなことを考えながら日々を過ごしている。
僕は子どもの頃から、何となく「自分は周りの人とは違うんだ」という気持ちを抱くことが多かった。