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黄昏時に潜むしっとりとした情感

僕は『たそがれること』が好きだ

たそがれる(黄昏る)とは、日が暮れて空が薄暗くなる様子や、盛りを過ぎて衰えていく様をあらわす言葉

現代では、物思いに耽ったり、ぼーっとするという意味で使われることも多い

『たそがれ』の語源は『誰そ彼』

目の前にいる人が識別できなくなるくらい暗くなって、「誰ですか、あなたは?(誰そ彼)」と尋ねる頃合いとなった時間帯が、黄昏時

・・・ここ1年ほど、僕は黄昏時の写真をたくさん撮ってきた

どうしてこの風景が好きなんだろう?と考えてみたのだけれど、その答えは「有り難さを確めたい」からだと、ふと気づく

黄昏時には、空が赤く染まったりオレンジ色になったり藍色になったりと、短い時間に様々な変化が起きる

その間に少しでもスマホを眺めていようものなら、空の色は移り変わってしまう

さらには気象条件も大切で、晴れていても雲の位置によっては色の染まる範囲は狭くなるし、その日の大気がどれだけ澄んでいるのか?で、全く違う色になってくる

そして、たとえ曇っていたとしても、風が強く雲の流れが速ければ、黄昏時にだけ空が輝いて見えることもあって、それはハッピーだ

・・・このように、黄昏時の空とは『有ることが難しいもの』

同じ空は二度と訪れない

そこに僕は、有り難さを感じている

・・・そして、同じ空は二度と訪れないのだけれど、正直、毎日のように観ていれば似たような空はままやってくる

それでも、自分の心持ちや眺める場所を変えることで、普段とは違う新たなフィーリングを得られるんだ

同じ風景を観ていれば、それが当たり前になってしまうけれど、自分の受け取り方や視点をやわらかく変えていくことで、有り難さに気づくことができる

・・・その際の有り難さって、黄昏時に出会える空の希少さに対してだけではなくて、自分自身の価値に対しても改めて「有り難い」と、僕は感じるんよね

一見して変わらぬ風景だけれど、自らするりと移ろうことで、自然との間に穏やかな静寂がやってくることがある

それはまるで、しっとりとした心の余裕が、自然の魅力を引き出していくかのよう

自然は日々移ろい、流れ、それ自体が有り難いものだけれど、そこに意志はない

その一方で僕らは、自らの意志で柔軟に態度を変え、自然をやわらかく受容していくことができる

それこそが、自然界には有りえない僕ら自身の『有り難さ』だ

・・・黄昏時の美しさは、とても有り難い

そこに美しさを抱くことのできる僕らの意志や感性も、有り難い

こうして、自分自身に対して「誰そ彼?」と問うこの時間が、黄昏時をよりしっとりと温かく醸していくのだろう

・・・以上です

今週も読んで頂きありがとうございました(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者のツイートを深堀りするエッセイです。
※毎週日曜日の夜に更新!

新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています

水はあらゆる流れに身を投じることができるし
自ら流れを作ることもできる

世の中の動きに流されるのではなく
「主体的に流れること」を大切にしたい

そんなおもいを込めています

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