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出版の「配信」化と新しい編集者像

出版社を退職するとき、自分で出版社をつくれば、と言ってくれる人がいなかったわけではないが、わたしにはそんな資金も能力もない。

なにより、いまさら出版でもなかろう、と思った。出版が苦しくなっていたのは身をもって知っていたからだ。


それでも、なんとなく気になって、出版のようすは見ている。

二日前には、作家の芦辺拓さんが、こんなポストを投稿しているのを見て、なんだか身につまされた。


ある出版関係者と話し合ったこと:
・雑誌と刊行回数の激減により読切・連載の機会喪失
・短編集は書き下ろしに限られると連作以外は困難に
・廉価版としての文庫本の役割は失われつつある
・多彩多種な本の出版を大手は既に放棄している
・だが電書は紙の本の代替になり得ない
・個人発信の出版開拓へ

(芦辺拓X 2024/8/5 23:54)


この最後にある「個人発信の出版開拓」は、いま一つのキーワードになっているようだ。

昨日は、綿野恵太さんが、以下を投稿していた。


なんだかんだ言って大手出版社はパワーがあるし、良心的な本作りをする小さい出版社もある。でも、それ以外の版元で少部数で印税にも条件つけられて、本を無理やり出すぐらいだったら、もう自分が書いて自分で本を作るしかない。書き手みずからが出版も営業もやるしかない感じよ。

(綿野恵太X 2024/8/6 11:59)


出版社で本を出すメリットは、日本全国の書店に自分の本が実際に並ぶことなんよね。これはかなりすごいことで、素晴らしい宣伝になる。でも、本屋さん自体無くなってるし、そもそも配本もしてくれないから、このメリットがほぼない。Amazonで買うしかなくなれば、自分でBOOTHで売りゃあいいってなる

(同 12:06)


こちらも、「個人発信」の方向を向いている。


この方向をより具体化し、「軽出版」という名前を与えたのが仲俣暁生さんだろう。

それは、「zineより少しだけ本気で、でも一人出版社ほどには本格的ではない、即興的でカジュアルな本の出し方」だという。


出版界は長らく、本を大量に安く売ることをよしとしてきた。巨大な装置産業である大手印刷会社や、全国一律発売を担う大手取次会社に支えられた、雑誌や文庫や新書を中心とする大規模出版は、これらの商品が与える軽やかな印象とは裏腹に、実際は巨大な装置と資源を必要とする「重たい出版」だと言える。たくさん売らねばならないために中身も薄く浅いが、にもかかわらず、それはまさしく「重出版」なのだ。

「軽出版」は、その対極にある。

たくさんは作らない。読者も限られていてよい。売る場所も、ネット以外は限られた書店や即売会だけでよい。少部数しかつくらないから在庫も少ないし、運よく売り切れたらその都度、また作ればいい。そのかわり中身は、好きなことをやる。重たい中身も軽出版なら、低リスクで出せる。

(仲俣暁生 「軽出版者宣言」2023/10/22)


でも、こうしたカジュアルな「個人発信」でいいのなら、noteやYouTubeでもよくないか、という素朴な疑問がわたしにはある。

noteやYouTubeでも課金できるのだし、コンテンツを発信したあと、それを「軽出版」で本の形にすることもできる。


実際、noteやYouTubeやニコ動の内容を、一般出版社が本にする例が非常に増えている。今月創刊の「Hanada新書」など、ほとんどそればかりという印象だ。


つまり、YouTubeなどのネット媒体を「雑誌」代わりにする。YouTubeも雑誌も、どちらも広告モデルだから同じようなものだし、かつYouTubeのほうが低リスクでコンテンツをつくれる。

ネット配信を基本にして、一般の出版なり「軽出版」なりにつなげるやり方が、出版のあり方として、今いちばん現実的なのではないか。


もちろん、こんなことは、みんな考えているだろう。

しかし、ネット配信から出版への連携を恒常化するためには、もう少しインフラというか、人的な資源が要る。

そういう流れをつくる「編集者」なり「出版者」が必要だ。


そんなことをぼんやり考えていたら、きのう(配信されたのは6日前だが)田中英道さんが同じようなことを話しているのを聞いた。


(わたしは)YouTubeで出すっていうことを常にやりたいんですよ。

おそらく研究者はあんまりそういうことまで考えないんで、(コンテンツを企画する人を)研究者の中で育てたいんですよね。

YouTuberっていうのは、やっぱりそういう人が必要ですからね。

これはある意味で最高のメディアですよね。

テレビでやるような、あんな費用がかかって、凡庸なことやって、いろんなところを気にして、何も言えないようなね。

ああいうことはもうやめた方がいいんですよ。だからテレビは絶対、廃れると思いますよ。

テレビは結局、考えてみればみんな偏向番組ばっかりですから。

一度権力をとった左翼が、ずっと同じことを続けているわけ。

変わることができないんですから、ああいうスポンサーの関係でね。

だから、そういうことを唯一できるのはYouTubeですよ。

これは一つの大きな現在の職業ジャンルですよね。

(必要なのは)編集者ですよ。

つまり、編集者の立場で、つねに(YouTubeを)撮っていく。

そのためにはいろんなことを知らなければならない。

今の編集者は勉強してないから、ダメなんだけどね。

(和の国チャンネル 2024/8/1  動画6:00〜あたり)


ここで田中氏は、「テレビ」のほうから、「YouTubeに編集者が必要だ」という話をしている。

「テレビ(放送)」から向かおうが、「出版」から向かおうが、「配信」に収斂していく流れが、現在できていると思う。

いま必要なのは、その配信への流れをつくり、そこから場合によって「出版」「放送」に環流させることもできる「編集者」ではないか。


作家や研究者とコンタクトをとりつつ、その発表先をネットの中に効果的につくり、そこでのコンテンツを本なり放送なり映画・ドラマなりに利益化していく。そんな「編集者」(ないしプロデューサー)が求められている。


そういう仕事をしている人は、もうたくさんいるだろう。出版の編集者が、実質的にそういう仕事になっている場合もあるだろうし、リテラリーエージェントがそういう仕事をしている場合もあるだろう。

必要なのは、そうした新たな編集者像を明確にし、それに必要な知識やノウハウと、職業として成り立つ実例を蓄積していくことだろう。

もちろん、YouTubeやnoteだって、永遠に続くわけではないだろうから(失礼!)、つねに新たなメディアの行方を追っていく必要がある。


そういう「編集者」に、もう名前はあるのだろうか。

コンテンツエディター? なんかどっかで聞いたことあるな。



<参考>



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